ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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【書評】芹沢俊介さんの〈ひきこもり〉本セレクション 『引きこもるという情熱』『引きこもり狩り』他

今回は、評論家・芹沢俊介さんの本を4冊いっぺんにご紹介。ひきこもり当事者の喜久井ヤシンさんが「救われた」と語るその中身とは。思いのこもった書評集をお届けする。

 

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先日、雲母(きらら)書房という珍しい名前の出版社が倒産した。

養育や福祉に関する本を多く出していたところだ。

その中には、芹沢俊介さんの本も多数あった。

私は芹沢さんを、「ひきこもり」について語った最良の思想家だと思っている。

硬い内容が多いので、元からベストセラーになる種類の本ではない。

しかし出版社がなくなってしまっては、そもそも手に取られることや、本の存在を知られることもなくなってしまう。

これはいけない。

せめてWEB上に記録し、私だけでも(そして願わくば多くの人が)記憶できるようにしておきたいと思う。

 

今回は、「雲母書房から出た芹沢俊介さんの本」4冊を紹介する。

良書が失われていくことを、少しでも食い止めるための書評集だ。

 

Ⅰ  引きこもるという情熱(2002年)

 引きこもるという情熱

芹沢俊介『引きこもるという情熱』雲母書房 2002年

 

98年に、斎藤環の「社会的ひきこもり論」がベストセラーになった。以降公的な支援も活性化したが、そこには「ひきこもり」に対する否定的な態度が強く入っていた。

否定的なまなざしをもった支援は、結果として引きこもる人の逆効果になりかねない。

本書は「ひきこもり」を全面肯定し、「正しい引きこもり論」の獲得を目指した画期的な一冊だ。

 

「社会的ひきこもり」では、「ひきこもり」は特定の状態としてしか見られなかった。

しかし芹沢氏は、「ひきこもり」は流動的・能動的なものであり、三つの基本的なプロセスがあるという。

それは「ひきこもり」の「往路」「滞在期」「帰路」だ。

自己が傷つけられる環境にあるとき、そこから撤退しなければ、自分という存在は守れない。

本人も親も引きこもることを否定せずに、「受けとめ―受けとめられ」る関係が必要になる。

それを「逃げる」ことや「怠け」というのは論外で、むしろ安全な居場所を探し求めるための、流動的・能動的な行為といえる、と言う。

直接は書かれていないが、ここに題名のもととなった「情熱」があるということだろう。

後の『「存在論的ひきこもり」論』(2010年)では、これらの思想が深められている。

 

出版された2002年の段階では、「ひきこもり」がまだ青年期の姿としてとらえられていた。中高年の「ひきこもり」が課題となった現代からすると、時代遅れになった箇所もある。しかし一部で「ひきこもり」の女性が論じられているのは先駆的だ。

 

巻末のあとがきでは、「ひきこもり」を強制的に引きだす「O」への怒りがつづられている。これは言ってしまうと長田百合子氏のことであり、のちの事件を予見している。

 

 

Ⅱ 引きこもり狩り アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判 (2007年)

 引きこもり狩り―アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判

芹沢俊介編『引きこもり狩り』雲母書房 2007年

 

アイ・メンタルスクールと長田塾の事件をめぐり、6人の論者が熱く語った一冊。

芹沢氏は強い怒りを込めて、強制的な「引き出し」と、それを肯定的に報道したメディアを全面批判する。

 

現代でも、「引き出し」を良いことであるかのように報道するテレビ番組や、一部の視聴者の反応がある。私はそれらを鑑賞することに耐えられない。

だが本書は無理解な「引き出し」が完全に間違いであることを伝え、精神的な励ましを与えてくれるものだ。

 

60年代からの「ひきこもり」の歴史を語った高岡健氏(斎藤環氏がボロクソに批判される)や、「引き出し」にあった青年の言葉を引きんがら誠実に語る山田孝明氏など、それぞれの論者が専門的な見識を交えて語っている。

 

弁護士の多田氏の言葉が面白かったので紹介したい。
多田氏は、そもそも「引きこもり」の「引き」がネガティブな意味であり、たんに「こもり」と言うべきであるという。
その上で、「こもる」ことには三つの意味があると語る。

『 ①当人にとって、己を守るという意味で「こもる(己守る)」。
 ②親にとって、子を守るという意味で「こもる(子守る)」。
 ③私たちの社会にとって、個人、すなわちオンリーワンの「個」を守るという民主的な意味で「こもる(個守る)」。』

と言い、うなづける考察だった。

現代でも変わらない、というより、現代だからこそより一層必要性を増した論考がつまっている。

 

 

Ⅲ この国は危ない 子どものことは子どもに習え(1998年)

 この国は危ない―子どものことは子どもに習え

斎藤次郎・芹沢俊介『この国は危ない』雲母書房 1998年
 

教育評論家の斎藤次郎氏との往復書簡を書籍化。

互いの教育論や文学的な教養を交えた、穏やかな交感がおこなわれている。

しかし少年犯罪とその報道が過熱した時期と重なっており、以下の芹沢氏の言葉には時代の空気感がこもっている。

 

暑熱の陽差しのなかに秋風がまじるようになり、朝夕はしのぎやすくなってきました。今年は春から打撃が重なり、態勢を立て直す方途さえつかめぬまま、夏が終わろうとしています。惨憺たるものだな、という思いがしきりです。具体的に言ってみますと、四月の宮崎勤くんの死刑判決、五月の酒鬼薔薇聖斗事件、つい先頃の永山則夫さんの死刑執行ということになります。こう次から次へと応戦のいとまもなく畳みかけてこられると、呆然としてしまいます。

芹沢氏は少年犯罪に関して日本を代表する評論家であり、2000年頃は特に活動も多彩だった。それだけ事件の多いスリリングな時代だったということだろう。

もっとも、本書はおおむねほのぼのとしたやりとりであり、歌手の早川義夫への言及など、趣味的な部分も少なくない。

「この国は危ない」というタイトルも、中島みゆきの「4.2.3」の歌詞からとられたものだ。

 

 

Ⅳ 殺し殺されることの彼方 少年犯罪ダイアローグ(2004年)

 殺し殺されることの彼方―少年犯罪ダイアローグ

芹沢俊介・高岡健『殺し殺されることの彼方』雲母書房 2004年

 

精神科医の高岡健氏との共著。

2000年以降に相次いだ少年犯罪を、芹沢氏ならではの観点で踏み込んでいく。

青年が抱えた孤独感、映画「バトルロワイヤル」の余波、「ネット心中」の衝撃など、2000年代の「大人」たちの動揺に対して、本書は冷静な道標となっている。

 

事件ごとの詳細は省くが、補足として付けられた「事件と報道とのアンバランス」の指摘が興味深い。

少年事件の報道件数(朝日新聞の記事検索サイトで「少年犯罪」のヒット件数を調べたもの)によると、10年間で大幅な変化があった。

まず少年による殺人事件の件数は1990年が71件、2000年が105件だった。

それに対して、少年犯罪の報道は1990年が21件。2000年が800件と激増している。

90年は事件のうち三分の一以下しか報道されていないが、2000年は実際の事件の8倍の報道がされていた。

酒鬼薔薇聖斗事件を契機として、2000年は「十七歳」の犯罪が注目されたためだという。

 

私見だが、2000年代は少年犯罪だけでなく、その「報道」において激動の時代だった。

一方で現代は、少年犯罪や青年・思春期の課題に対して、報道がおとなしすぎるように思われる。

それはどこか、子どもへのまなざしの希薄化という、「事件性」のなさそのものが「事件」であると思えなくもない。

 

 

書籍情報

本稿は話題書のためではなく、「手に入らなくなってしまった本」を紹介している。そのため以下の情報は、書店へ買いに行けるようにするためでなく、失われつつある書物を記録しておくためのものだ。

 

引きこもるという情熱 

芹沢俊介著 雲母書房 2002年 187ページ

 

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帯文
(表)
引きこもりは希望である。
引きこもりには、往路・滞在期・帰路がある。そのプロセスを十全に歩みきることしか、引きこもりからの帰還はありえない。
渾身の書き下ろし!

(裏)
引き出し症候群と、その周辺にある考え方を論理的に批判し、引きこもり現象を全面肯定する!
「正しい引きこもり」において引きこもり現象は、一人ひとりに固有の物語であると同時に、それは物語としてのある共通の軌跡をたどるのである。

 

  目次
Ⅰ 引きこもり現象の現在
第一章 引きこもりの社会心理学的背景
第二章 社会的引きこもり観の限界
第三章 引きこもりの危機Ⅰ 引きこもり引き出し人
第四章 引きこもりの危機Ⅱ 社会的自立論について

 Ⅱ 正しい引きこもり─引きこもりにはプロセスがある
第五章 引きこもりの往路 引きこもりのプロセス1
第六章 滞在期について 引きこもりのプロセス2
第七章 自己領域と帰路について 引きこもりのプロセス3

 Ⅲ 具体例を考える
第八章 女性が引きこもるとき
第九章 引きこもりを生み出す環境  〈教導する父〉の問題
第十章 引きこもりの意味 撤退と退行

 Ⅳ 引きこもりの失敗
第十一章 引きこもりと暴力 正しく引きこもるための大切さⅠ
第一二章 正しく引きこもることの大切さ 西尾市一七歳ストーカー殺人事件 

 

 

引きこもり狩り アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判

芹沢俊介編 高岡健 多田元 山田孝明 川北稔 梅林秀行 著

雲母書房 2007年 250ページ

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帯文
(表)
疑うべきは善意の「支援」そのものだ
支援者、家族を激しく揺さぶった死亡事件を引きこもり問題に関わりの深い論者たちが徹底検証。煽り立てるメディアの責任、拡大する支援の産業化、善意という動機のはらむ暴力性など、根深く絡み合った問題の全貌を明るみに出す!
引きこもりにかかわるすべての人へ

(裏)
アイ・メンタルスクール寮生死亡事件
2006年4月、東京都世田谷区の男性が、母親から依頼を受けた名古屋の引きこもり支援施設アイ・メンタルスクール代表・杉浦昌子らにより夜中に寮へ「拉致」され、4日後、外傷性ショックで死亡した。同施設では支援の名のもとに入寮者に対する日常的な暴力行為があり、また鎖や手錠を用いて拘束するなどしていたことも判明し話題となった。

長田塾裁判
2005年7月、テレビや雑誌などで引きこもりや不登校を2時間で直すなどとうたい脚光を浴びた更生施設代表・長田百合子がかつての入寮者であった青年から損害賠償請求の民事裁判を提起された。アイ・メンタルスクール同様、入寮者を脅迫するなどして「拉致」する手法をとっていた。

 

  目次
諸論 「善意の道は地獄へ通ずる」ということ 芹沢俊介
1 アイ・メンタルスクール事件報道の概要 川北稔
2 予期された事件 山田孝明
3 長田塾裁判で問われていること
4 引きこもり狩り
5 誰の支援か 梅林秀行
6 家族と信仰
付録 シンポジウム 
   緊急シンポジウム「アイ・メンタルスクール寮生死亡事件を考える集い」
あとがき 芹沢俊介

 

 

殺し殺されることの彼方 少年犯罪ダイアローグ

芹沢俊介 高岡健 著 雲母書房 2004年 229ページ

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 帯文
事件の加害者は特別な存在なのか? なぜ少年少女たちは加害者に、また被害者になってしまったのか。そして、事件を回避する未知はなかったのか。社会を新刊させた事件が内包する普遍性に迫る、白熱の討論。 往復書簡による〈佐世保事件〉を緊急収録!

 

 目次
はじめに(芹沢俊介)
序章 佐世保同級生殺害事件(往復書簡)
第1章 長崎園児殺害事件
第2章 大阪池田小学校事件
第3章 河内長野家族殺傷事件
第4章 居場所をめぐる二つの事件
第5章 少女連れ去り事件
第6章 澁谷少女四人監禁事件
補章 事件と報道のアンバランス
あとがき(高岡健) 

 

 

この国は危ない―子どものことは子どもに習え

斎藤次郎・芹沢俊介著 雲母書房 1998年 271ページ

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 出版社内容情報
子どもを巡る問題について、常に子どもの側に居続ける2人が、2年半に渡って交わした往復書簡。大上段に振りかぶった論ではなく、日常の個人的な体験や感覚といった視点から事象を捉えていくその眼差しは、人間とは何かという問いを見据えている 

 

 目次
はじめに 斎藤次郎
Ⅰ「ここ」を求めて
Ⅱ 奇妙な夢
Ⅲ 求めるか、避けるか
Ⅳ 「一寸先は闇」を生きる
Ⅴ 子どもの消滅 
あとがき 芹沢俊介 

 

 

ご覧いただきありがとうございました。

 

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 執筆者 喜久井ヤシンきくい やしん)

1987年生まれ。8歳から学校へ行かなくなり、20代半ばまで断続的な「ひきこもり」を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター喜久井ヤシン 詩集『ぼくはまなざしで自分を研いだ』2/24発表 (@ShinyaKikui) | Twitter

個人ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/

 

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