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フランスのひきこもり当事者アエルの激白 第1回「ボクはどうしてひきこもりになったのか」

文・画・アエル
翻訳・構成 ぼそっと池井多

 
 
 

訳者はしがき

「ボクの当事者手記を記事として発信してもいい。
ただし、アルファベットをつかう言語では配信しないこと」
 
それが彼の条件であった。
つまり、彼の母語であるフランス語や、国際的な流通度の高い英語などでは配信してはならない、というのである。ヨーロッパ諸語はのきなみNGとなる。
 
それだけ、彼にとっては勇気あることを語ってくれている、ということでもある。
 
彼のインタビューは、前に他のメディアでも発表したことがある。
それから3年が経ち、彼の語りも深まってきた。
以前は語らなかった、あるいは語れなかったような深部にも、彼の言葉は容赦なくもぐりこんでいった。そして、痛々しい過去をフランス風の乾いたエスプリで料理して、私たちの前にさらけだしてくれている。
 
それだけに、内容は読んでいて苦しい。
性的な表現や、残酷な描写がたくさん出てくる。
そういうものが苦手な読者の方は、お読みにならない方がよいと思う。
 
しかし、それはただ痛々しいわけではない。ひきこもりという現象に関する、社会の表で語られざる真実がまた一つここにも、ある。
 
 

 

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画:アエル

 

アエル
 
ボクは5歳だった。
両親は働いていて、ベビーシッターがボクの面倒を見ていた。
 
ところが、このベビーシッターがボクを性的に目覚めさせたのだ。
 
この齢にして、ボクはすでに女性の性器の舐め方を学習させられ、
彼女の弟もまじえてお互いに性的な刺激を与えあうことを強いられた。
 
しばらくして、ママが車のなかでボクに訊いた。
 
「ちょっとお前、変なことを聞くけど、
ベビーシッターのお姉さんと、
ママがいない間、何をやっていたの?」
 
ボクは何らためらうことなく、無邪気に
 
「ファックだよ」
 
と答えた。
 
ボクは、まさかそれがやってはいけないこと、
言ってはいけないことだとは知らなかったのだ。
 
ボクはママに
 
「そんな悪い言葉を口にしてはいけません!」
 
と激しく叱られ、
そのうえベビーシッターのお姉さんとの間に起こったことも
ぜんぶボクが悪いことになって一件落着したのであった。
 
この事件のあと、ボクは場面緘黙症(かんもくしょう)になり、
また自閉的な傾向を発症した。
 
さらにボクの聴覚にも異常が出始めた。
耳がよく聞こえなくなった。
 
学校に入ると、ボクがよく授業を聞いていないということで、
教師たちがキリキリしていたが、
先生の言葉は部分的にしかボクの耳に入ってこないから、
ボクが授業の内容をよく理解できないのは当たり前だった。
 
やがて、ボクは自己流で読唇術を身につけ、
相手のしゃべっている口の動きが表情などから
言っている意味を少し汲み取るようになっていった。
 
しかし、結果として、「理解力のわるい子ども」という扱いを受ける。
ボクは無知で無能な子どもとして周囲に扱われていた。
 
ある時、良い先生に出会った。
その先生は、ボクに何か異常があるということに気づいた。
 
ボクが先生のいうことを理解しているのは、
先生の言葉を聞いて理解しているというよりも、
彼女の唇の動きを見て理解しているのだ、
ということに気づいたのだ。
 
彼女は、そのことをボクの両親に告げた。
両親は、あわててボクを耳鼻科の病院へ連れていった。
 
内耳のほうへ大きな手術が必要だ、ということになった。
ボクは、とても痛い手術を受けた。
 
その手術の体験がトラウマの一つとなって、
耳に何かが触れることが、ボクはいまだに怖くて仕方がない。
 
 
 

バニラの味は嫌い

そういうふうにボクは、5歳のときに、
ベビーシッターから性虐待を受けたのが初めだったんだけど、
その後、ボクが12歳になったときに、
「親友」ということにされていた17歳の男の子が
ふたたびボクを性虐待することになった。
 
彼の母親も、そうとう狂っている人だった。
彼があんなふうであったのは、
母親にレイプされたためであるとしても、
ボクはまったく驚かない。
 
むしろ、そうであったほうが、
いろいろなことが説明つくのだ。
 
ともかく彼は、
ボクに「友情のしるし」として、
ポルノ画像を一緒に二人きりで見ることを要求した。
 
ボクは、気が進まなかったけど、
彼から関係を断ち切られるのはいやだったので、従った。
 
友達のいないボクには、
彼はたった一人の「友達」だったのだ。
 
それからというもの、毎週末は
彼による「性教育」がボクに施された。
 
ボクの性器は彼によってこすられ、
ボクが彼の性器を舐めさせられ、
ついにはボクの肛門に入れられた。
 
そして、
もし「友情」を失いたくなかったら、
このことは絶対にボクの両親に言ってはならない、
と口止めされた。
 
彼はしきりにボクの性器を摩擦したが、
ボクはまだ12歳で何も出てきはしなかった。
 
この齢の子どもだったら、ふつう
プレイステーションで遊び、
サッカーに興じているものだろう。
毎週末、「親友」に犯されているような子どもは
他にいないのにちがいない。
 
しかし、なんのことはない、
ボクは12歳にして彼の売春夫だった。
 
最悪であるのは、
彼はボクに惹かれていたのでも何でもなく、
ただボクをデクノボウのように弄(もてあそ)び、
ボクを性の玩具として利用しただけなのだ。
 
ボクは、いまだにバニラの味が大嫌いで、
臭いを嗅ぐだけで吐きそうになるが、
それは彼がボクの口につっこんでいた
モノにかぶせたコンドームがバニラの味だったからだ。
 
 

いつも、何でも、ボクのせい

ある日、ボクのママが急に家に帰ってきて、
ボクたちがポルノを見ながら
お互いの性器を触っていたところへ入ってきた。
 
「なに、やってるの、あんたたち!」
 
彼はあわてて自分の家へ帰っていった。
 
「あの子を二度とこの家に入れてはいけません」
 
とママは言ったが、
結局ボクが彼を家に引き入れていたからいけないんだ、
ということになり、
すべてはボクのせいになった。
 
ボクは、いたわられることはなく、
責められるばかりだった。
 
 
でも、そのことについて
今はもう亡くなったママに恨みは持っていない。
 
なぜならば、あのときはママもきっと
あまりの事態に、何をどうしていいかわからず、
ボクを叱りつけ、責めつづけたのだと思うからだ。
 
こうして、いちばん良い友達のはずだった年上の子が
性虐待の加害者としてボクから遠ざけられてからは、
ボクはいきなり独りになった。
 
いまさら友達をつくることなんか、できなかった。
ボクは、ずっと独りで遊んでいた。
 
ときどき外に出かけていっても、
公園のベンチに座り、
ずっと地面を観察していた。
 
やがて学校に通うようになると、
級友たちからたちまちボクは
「変な奴」
という目で見られるようになった。
 
なぜって、いつもボクには友達がおらず、
たった独りで遊んでいたからだ。
 
あと、ボクは場面緘黙症でしゃべらなかった。
 
運動もできなかった。
 
耳が悪いから平衡感覚が乏しいということもあるけれど、
運動しようとすると、
膝が痛くて仕方がなかった。
 
あとから検査でわかったことだけど、
ボクは膝の半月板が、うまく足の骨に接続していなかったんだ。
 
そのことがわかってからは、
ボクは、それ以上、足が悪くなるといけないということで、
体育の授業も受けなくてよい、
ということになった。
 
ところが、これでますますボクは
学校のなかで友達をつくる機会から遠ざかったのだった。
 
サッカーをはじめ、
同学年の子どもたちが興味を抱くスポーツにも、
ボクは縁がないままに、ひたすら孤立を深めていった。
 
 
・・・「第2回」へつづく
 
 

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