いつも喜久井ヤシンさんによる連載で大好評の1000文字小説、今回はぼそっと池井多からお送りします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。
文・ぼそっと池井多
ボクが自分の時間を売ろうと思ったのは、他に売れるものがないからだった。
他のひきこもりの人は、古着を売ったり、古本を売ったりして、小遣い稼ぎをしていたけど、ボクは服も本も関心がないから、あまり持っていない。
どこかの外国では、お金に困った人は自分の臓器を売ると聞くけれど、それは真っ平ごめんだった。
ひきこもりでも、オンラインゲームやアニメ鑑賞や読書など、やることのある人は、毎日が24時間では足らないくらい忙しいという。
でも、ボクは毎日、部屋の中でやることもなく、時間だけは有り余っていたので、それを売ってお金に換えることにしたんだ。
でも、この国には売時禁止法というのがあって、個人の時間を売ることは法律で禁止されている。
だから、売買は闇で行なわなくてはならない。
時間売買取締捜査官(通称ジトリ)があちこちで目を光らせているから、取引は慎重にしなくちゃいけないんだ。
Twitterで #時間買います とハッシュタグを立てている密売人にDMで連絡を取ると、取引の場所に指定されたのはショッピングモールの駐車場だった。
言われた場所へ行くと、車が停まっていて、近づくとドアが開いた。乗り込む。
中には、ボクと同じような年恰好の男の子が座っていた。
「どれくらい売れる?」
「一日1時間ぐらいかな」
「いいね。あまり長い時間は買い手がつかない。短すぎても人は買わない。
『もうちょっとだけ時間があれば』
と人は願う。
1時間ぐらいがいちばん売れるよ」
ボクの時間は、1時間10,000円で売れた。
しめしめ、と思った。
いつも行くコンビニのガラス壁に貼り紙があるんだ。
ちゃんと見たことはないけど、時給1,000円と書いてあったから、バイト募集だろう。
働いても、そのくらいしかもらえないとしたら、この相場はかなりの儲けものだ。
こんなおいしい話、誰にも知られたくない。
でも、おいしい話はすぐに知られていくのが経済ってもんだ。
時間市場にも、すぐに変化の波がやってきた。
これまでは、売り手はせいぜいボクのような少数派のひきこもりとニートぐらいだったのに、異業種からの新規参入というべきか、他の職業から進出する人たちが出てきたらしい。
とくに専業主フたち。昼間のおしゃべりの時間をけずって、売りに出してきた。
またたく間に時間は値崩れを起こし、1時間1,000円まで下落したんだ。
そこへコロナ禍がやってきた。
会社へ行く必要のなくなった会社員たちが、通勤時間を売りに出すようになった。
そのうえ自宅でリモート・ワークしている最中にも、上司の目がないのを幸いに、能率よく仕事をさっさと片づけて、余った時間を売りに出してきた。
時間は供給過剰でさらに値が下がり、1時間100円まで落ちこんだ。
これでは缶コーヒー1本買うことはできず、とうてい時間を売って生きていくわけにはいかない。
そのとき、ふといつも行くコンビニの貼り紙に視線を止めた。
あなたの時間、1時間1,000円で買います。
相場よりも、かなり高額です。
そのかわり軽作業もしていただきます。
作業内容……レジ、店内の掃除、商品の陳列など
改めてちゃんと見てみると、かなりきわどいことまで匂わせてある。
ジトリに嗅ぎつかれたらどうするつもりだ。
まあ、いい。
仕方がないから、ボクはとりあえずここで自分の時間を売って、コロナが収束するのを待つことにした。
でも、そのときになってボクは、なぜ他のひきこもりたちが時間を売らないのかがわかった。
(了)
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは無関係です。
<プロフィール>
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。2020年10月、『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社)刊。