文・ぼそっと池井多
・・・「あなた何してる人 第2回」からのつづき
一本のキュウリが変えた近所の均衡
前回「第2回」で述べたように、
私のボロアパートの隣にある、
白亜の一戸建てに住むオバサマから
一本のキュウリをいただいてしまったことにより、
私はハタと頭を抱えた。
戴き物をしたからには、何か御礼をしなければならない。
いかに生活保護で暮らしていようとも、私は乞食ではないのだ。
お返しに何を持っていけばよいのか。
もしキュウリ夫人のように、私も家庭菜園でもやっていれば、
こちらの畑で獲れた自慢の野菜の一つでも持っていけばよい。
キュウリに対抗するには、ダイコンで十分だろう。
いや、ナスでいいかもしれない。
ところが、なんせ東京郊外の貧困層であるから、
畑など持っているわけがないのである。
では、スーパーで何か買ってきて差し上げるか。
それもおかしい。
だいたい、キュウリ夫人は、そこそこのお金持ちで何でも持っているようである。向こうも同じスーパーへ通っているし、向こうの方がお金は持っている。
私がスーパーで買ってくるようなものは、買わないようである。
同じ商品でも、もっと上等な品を消費している様子である。
たとえば、納豆一つとっても、
私が4パック59円の安売り品を買っているとすれば、
遺伝子組み換えなしで自然農法でこだわりの大粒豆の3パック231円の高級品を、同じ商品棚から買っているのである。
だから、スーパーで買ったものではだめだ。
故郷がない者の不便
世間の人はおそらくこういう時、
「実家から送ってきた物なんですけど、お口に合いますかどうか」
などと言って、故郷の特産品を持っていくのだろう。
ほんとうは「お口に合う」かどうかなんてどうでもよくて、
とにかく借りを作りたくないからお返しをしておきたくて、
故郷の駅の売店で売っているような、
中味は全国どこでも同じようなもので、しかし外箱に刷られた名称だけは地名が入っている、いわゆる「ご当地まんじゅう」を買っていくのだ。
世間の人たちは、なんと無駄な消費をしていることか。
しかし、その無駄な消費で近所づきあいは回っているのだ。
そして、私にはその故郷がない。
横浜で生まれたものの、物心ついたころには転出し、
転勤族の子どもとして、一つの土地に根が生えることなくあちこちを転々とした。
原家族はまわりまわって、いま再び横浜に住んでいるようだが、
彼らが私から逃げているために、私は「実家に帰る」ということができない。
「実家」は、まるで大坂冬の陣以前の大坂城を思わせる、
セキュリティの万全な難攻不落の高級マンションに籠城していて、
私のような輩が単身攻めこむことができない状態である。
それでもいいから、このさい実家のある横浜へ帰ったことにして、
キュウリ夫人にはキュウリのお礼として横浜の名物でも持っていくか。
横浜名物って何だ? ……シュウマイ?
私も食べたことがないのに。
「お口に合いますかどうか」
とか何とか言って、持っていくのはよいが、
すると、きっとキュウリ夫人と私の間でこういう会話が始まってしまうことが予想される。
「あら、ご実家は横浜なの?」
「ええ、まあ」
「近くていいわね。ときどき帰られてるの?」
「いいえ、ぜんぜん」
「あら、だってご両親はまだご健在なんでしょ?」
「ええ、たぶん生きてると思います。死んだという話は伝わってこないから……」
「あらまあ、ひどいことおっしゃるのね。でも面白い方ね、おほほほほ」
「いや、これギャグで言ってるんじゃなくて、ホントなんです」
「ホント? ホントって、なんだかよくわからないけど、そんなに近いんだったら、時には帰ってあげないと、ご両親は寂しがってるんじゃない?」
「いいえ、親は逃げてます」
「逃げてる? ……って、どういうこと?」
「ええ、1999年に家族会議を開いたのですが、親は私を虐待した事実が認められないらしくって、否認して逃げ回ってるんです。福祉事務所を通じて、何度か扶養照会状は出してるんですが、もう応答もしてこなくなりました。親は、親戚や世間に聞こえの悪いことは、全部なかったことにしたいんでしょう」
「……」
きっとこのあたりから、キュウリ夫人が私を見る目には恐怖がまじってくるのではないか。
私は虐待された側である。
何も悪いことをしていないのに、
なぜいつも私が危険な悪者であるかのような状況が、
私が生きていく先々に出現するのだろうか。
こういう状況は初めてではない。
そのたびに、私は冤罪を着せられた感覚をおぼえる。
過去を隠す理由もないのに
そもそもキュウリ夫人は、
何のために突然キュウリなんぞをくれたのか、
考えてみるがよい。
隣のアパートに住んでいる人間の素性を知っておきたいから、
根ほり葉ほり聞き出す会話のきっかけを作るために、
キュウリを差し出してみたのだろう。
近所という名の小さな世間では、
みんなお互いに、お互いの建前をひっぺがして、
その向こうにどんな実態があるかを知りたがっている。
けれども、その関心はつとに表面的で、
相手の実態を知ったからといって、
いっしょに解決を考えてくれるわけでもなく、
実態を知った責任を取ってくれるわけでもない。
やはり横浜を出してはダメか。
だからといって、それ以外に私が過去に住んだ土地はどこも使えそうもないのである。
千葉県にせよ、名古屋にせよ、その土地の名前を出して、
いささかでも私自身が語れるものとも思えない。
それならば、いっそのこと、
「私には故郷はないんです」
と言ったらどうか。
おお、そうだ。故郷はないことにしてみよう。
そうすれば、キュウリ夫人も話のきっかけをつかめず、
私から根ほり葉ほり聞き出そうとはしないだろう。
これで長年行き詰っていた私の近所づきあいも新たな地平に開ける。
近所づきあいが新しく始まるということは、人生が新しく始まるということだ。
私はにわかに思いついた案に希望をいだいた。
ところが…
・・・「あなた何してる人 第4回」へつづく