インタビュー・構成 ぼそっと池井多
精神障害を前面に出して選挙に当選する
ぼそっと池井多 今日は「金なし、コネなし、地盤なし」の三なし状態の当事者の立場から選挙に立候補して、政治家になった
私は、
「ひきこもりは、ひきこもりであることで、すでに社会の一部である」
という考え方を持っていて、長いこと働いてこなかったひきこもりが働いて収入を得るようになることを「社会復帰」とは呼びたくないのですが、一般名詞としてそう言われているようなので、仕方なく今日もその語を用いますね。
それで、ひきこもり当事者が社会復帰するのに際して、選挙に立候補して政治家になることによってそれを果たそうと考える方はけっこういらっしゃいます。
しかも、自治体によっては地方議員への成り手がいなくて、立候補すればほぼ当選する村や町も多いことから、ひきこもりにとって政治家になることで社会復帰を果たすという道筋は現実的な選択肢のようにも見えます。
それで、実際に私のまわりにも地方選挙に出たひきこもり当事者が複数いたんですけども、みんな落選してしまったんです。そのような中で堀合さんはどのように当選を勝ち取ったのか、そして議員となった今は何を考えているのか、などをうかがっていこうと思います。
堀合さん、よろしくお願いいたします。
堀合研二郎 よろしくお願いいたします。
ぼそっと池井多 まず堀合さんが政治家になる前にどういう当事者ライフを送っていたのかを、自己紹介を兼ねて教えていただけますか。
堀合研二郎 はい。私は横浜で活動していた精神障害の当事者でした。働いていない年月もありました。現在43歳(2023年時点)です。
2003年、大学3年生の時に統合失調症を発症して、今までに4回入院しました。任意の入院だけでなく、措置入院や医療保護入院も経験しています。
2010年から病院のデイケアに通い始めましたが、薬を飲むのが嫌で、自分で減薬・断薬を試みては失敗し、また入院するという繰り返しでした。
さすがに34歳のときの4回目の入院で、「このままではいけない」と考え、就労継続支援B型事業所に通い始めました。それから2年後に、そこのピアスタッフ職員として採用されることになりました。
それに先立つ2015年には、仲間と共にYPS横浜ピアスタッフ協会を設立して、精神障害を持つ人のための当事者会を定期的に開く一方、講演や出版、雑誌への寄稿といった当事者活動を始めました。
2020年5月には、神奈川精神医療人権センターを設立し、精神科病院に入院・通院している本人、家族、友人などからの電話相談に応じる支援活動を行っていました。
ぼそっと池井多 それが市議会議員になって政治家になった、というわけですね。きっかけは何でしたか。
堀合研二郎 ある人から「やってみませんか」と声をかけられたことがきっかけでした。
それまで政治にはまったく関わっていなかったので、自分が選挙に立候補するということは想像すらできなかったのですが、やる価値は感じましたね。
ぼそっと池井多 実際やってみたら、どうでしたか。
堀合研二郎 やってみたら、想像とちがうところがいろいろありました。
ぼそっと池井多 勝算はどれくらいあったのですか。
堀合研二郎 まさか自分が当選できるとは思ってませんでした。(笑)
当選したのは2023年4月23日の統一地方選挙で、神奈川県大和市の市議会議員ですが、定数が28名、立候補者が35名で、5人のうち4人が当選するという選挙でした。でも、自分は新人だし、無名でバックもないし、私にとって大和市は地元からは少し離れた土地だったので、とても当選できるとは思っていなかったのです。
それでも、たとえ選挙に不利に働いてもいいから、自分が精神障害者であることは前面に出して戦いました。
ぼそっと池井多 精神障害者に対して偏見を持つ選挙民の方がいるかもしれないというリスクのなか、それは勇気が要ったでしょう。
堀合研二郎 そうですね。これについては葛藤がありましたが、自分にとって「精神障害を持っていること」と「選挙に出ること」は完全につながっていたので、これは言うしかない、言わないと自分の選挙活動そのものが成立しない、と考えて、前面に出して戦ったのです。
議員秘書はブラック雇用?
ぼそっと池井多 堀合さんがたどった道は、他のひきこもりや精神障害の当事者たちにとっても今後とも一つのモデルになるかもしれないので、途中経過を詳しく教えてください。立候補しようと決めて、まず最初に何をしたのですか。
堀合研二郎 まずは他人の選挙を手伝って、選挙や政治の仕組みを学ぶことから始めました。
選挙というのは、探せばしょっちゅう日本全国どこかしらでやっています。自分の場合は運よく衆議院選挙があったので、遠くまで行くことなく近所で選挙ボランティアをやりました。
具体的にはビラ配りですね。駅前で演説している候補者のそばでビラを配る。俗にいう「駅頭活動」というやつです。
ぼそっと池井多 なるほど。私の最寄り駅でもやってますね。
堀合研二郎 そのうち、ある政治家の秘書になりました。その政治家の方も、元は私と同じように秘書から政治家になった方です。ボランティアから秘書に昇格すると、給料が出るようになりました。でも、秘書の仕事はめちゃくちゃ大変でした。
ぼそっと池井多 どういう風に大変だったのですか。
堀合研二郎 実質労働時間が長いのです。
毎朝4時半に起きて、5時半に家を出て、議員を車で迎えに行って、6時ごろから駅前で街頭演説をします。議員が演説している横で、道行く人にビラを配る。それから事務所に帰ってきて、書類仕事をいろいろやって、昼は個別訪問に出かけます。それでクタクタになって、夕方はまた事務所に帰ってきて、夜遅くまで書類仕事がたまってます。それで翌朝もまた5時半出勤。
睡眠時間は毎日3〜4時間で、休みの日もほとんどありません。だいたい歩いているか、車で移動しているか、どちらかです。健康面やメンタルもけっこうやばかったです。もうできないですね。楽しくもあったけど。
ぼそっと池井多 大和市議に立候補するのを決めたのは、いつごろですか。
堀合研二郎 2022年10月に政党の公認をもらったときです。
どの政党から公認をもらうかは私が決めていました。公認は、党の県連が出してくれるものなんですけど、県連のなかでそれぞれの選挙区に総支部という組織があります。自分の場合はある総支部の支部長の秘書をやっていたので、公認申請は比較的スムーズに進みました。
「党の公認がもらえたから立候補しよう」という人と「立候補するから党の公認をもらおう」という人がいるのですが、自分は前者で、「党の公認をもらえないなら立候補しない」という方針でした。
しかし、この方針はあとから考えれば微妙です。選挙というのは、やりようによっては無所属でも当選できます。実際に選挙をやってみて、立候補には政党の公認は必要不可欠ではないと学びました。
ぼそっと池井多 選挙に出るというと「お金がかかる」というイメージがあるのですが。
堀合研二郎 俗に「300万かかる」と言われていたので私も覚悟していたんですけど、終わってみたら100万もかからなかったです。
制度的に1回の選挙で使えるお金の上限は決まっているんですけど、それは500万とか高い金額なので、ふつうに戦っていたらそこまで行かないですね。
ぼそっと池井多 立候補が決まって、それからどうしたんですか。
堀合研二郎 最初にやったのがチラシづくり、グッズづくりですね。
私は横浜市の住民だったので、大和市で立候補するとなると、いわゆる落下傘候補ということで不利なんですが、そこは党の公認をもらうことを優先させた私の戦略でした。
落下傘候補であることは、公示中はできるだけ言わないようにはしていました。でも、街頭演説などの時に、選挙民の方ではっきりと、「私は地元の人に投票したいから、あなたには入れないよ」と言ってくる人がいました。ということは、私が言わなくても、どこかで私が落下傘であることはバレていたわけですね。
でも、大和市で立候補するという私の判断は正しかったと思います。地元横浜市で出るよりも大和市で出た方が勝率が高かったでしょう。げんに地元横浜市で出た同党の候補者は厳しい戦いをしていますから。
それで選挙2か月前くらいからは、ひたすら街頭活動です。市中をくまなく歩き回って、演説をして、選挙民の皆さんとお話をする。この時間の長さがすべてだと思っていました。
最後のほうは一日中、駅に立っていましたね。
候補者しか知らない選挙当日の恥じらい
ぼそっと池井多 選挙戦最終日の夜はどこにいましたか。
堀合研二郎 中央林間駅という所で演説をしていました。
堀合研二郎 自分の場合、大和市の北の方で活動するという方針をとっていました。そのエリアで最も大きいのが中央林間駅です。
中央林間駅は東急線と小田急線の乗換駅で大和市の中で利用者が非常に多い駅ですから、候補者はみんな最終日の夜はここを狙います。
それで候補者がすごい重なって、場所の奪い合いが起こっていました。
自分はずっと中央林間にいたので、あとからやってきた候補者やその選挙参謀が、
「何時から何分ぐらいやらせてくれませんかね」
みたいな感じで交渉にやってきました。
私のチームはそんなに組織的ではなかったので、そういうときは参謀ではなく私自身が交渉に当たりました。
ぼそっと池井多 それでいよいよ選挙当日がやってきたわけですね。
堀合研二郎 選挙当日はもう投票へ行くだけです。
もう恥ずかしくって、あまり外へ出る気になれなくて。
ぼそっと池井多 へえ、それは面白いですね。前日までは少しでも人々に顔を知ってもらおうと、できるだけ人目に触れるように毎日を送ってきたのに、いざ公示期間が終わると恥ずかしくて人に会いたくなんですね。
堀合研二郎 そうなんです。ある種、一気に反動がやってくるというか。
それでも自分の名前を書いて投票するために、投票所へは行かなくてはなりません。
受付の人がなんだかニコニコして私を見てるんです。向こうはおそらく私が候補者だとわかっているんですね。もう、恥ずかしくって恥ずかしくって。
当選したら人生変わったか
堀合研二郎 やがて開票が始まって、ずっとハラハラドキドキでテレビを見てて、ある時点から、
「もしかしたら、これは行けるんじゃないか」
と思い始めたというわけです。
ぼそっと池井多 よかったですね。やはり堀合さんが地道にメッセージを発信し続けたのが選挙民の方々に届いたのでしょう。当選確実が出たときはどんなお気持ちでしたか。
堀合研二郎 うれしいというより、ほっとしました。そして驚きが大きかったです。
ぼそっと池井多 その瞬間から人生が一変したのでしょうか。
堀合研二郎 いえいえ、そんなことはありません。
ただ、翌日からお祝いの品々がたくさん届きました。私はお酒が好きだと公言していたので、みなさんお酒を送ってくださって。
市議としての第一歩は、まずオリエンテーションみたいなのがあって、自分は新人なので市が主催する研修を受けるのです。市役所の各部署の担当者がやってきて、市の予算がどうなっているといったレクチャーを受け、それから市内の視察ですね、浄水場とか図書館とかゴミ処理場とか。
やがて議会が始まります。初めに準備会みたいなのがあって、本会議が6月1日から。
初めての議会は緊張しました。議決の時に「賛成の人は立ってください」と言われて立つだけで、はっきり言ってあとは何もしないんだけど、やはり政治家にとって神聖な場所だと思うから緊張したんですね。
ぼそっと池井多 よく国会中継には、もう慣れちゃって居眠りしてる古参の議員が映ってますけどね。
堀合研二郎 ああはなりたくないと思っています。
古参の政治家の中には、なんだかよくわからない力を持っている人がいます。何も持っていない自分から見ると、
「なぜこの人に政治家が務まるのか」
という人たちがみごとに政治家をこなしているんです。
また、自分の場合、議員をやっているのは「障害関係の制度にアプローチしたいから」という明確な目的がありますが、先輩政治家たちのなかには、
「この人たちは政治家を続けることでいったい何をやりたいんだろう」
と疑問に思う人も多いです。
そういう人たちは、政治がやりたくて政治家になっているのではなく、政治家というものがやりたくて政治家やっているのだろう、と思う。
私は政治家をやりたいわけではない。正直をいって、自分は政治家には向いていないと思っています。でも、やりたいことの実現のためには、今は政治家であることが必要なので、政治家をやっているという次第です。
ぼそっと池井多 当選したからよかったものの、もし落選していたら今ごろどうなっていたと思いますか。
堀合研二郎 先ほども申し上げたように、私はまさか当選するとは思っていなかったので、「やっぱり落ちたか」ぐらいにしか思わなかったんじゃないでしょうかね。
私は精神疾患のために仕事していなかった年月が長いので、選挙に敗れて何かを失うことに関しては恐れがなかったですね。また無職に戻るだけの話なので。
私は、選挙は「落ちてもいい」というくらいの気持ちで出るものだと思います。
「これに敗れたらもう後がない。この選挙に全人生を賭ける」という感じで出るものではない、と。当選枠より多くの候補者が出馬すれば必ず落選する人がいるわけで、自分自身だけその可能性を排除して事に望むというのはあり得ない話だと私は思います。
当事者活動と政治
ぼそっと池井多 このインタビューでは堀合さんの政治家としての主張をお聞きするよりも、堀合さんの人間として、当事者としてのお考えをお聞きしているわけですが、堀合さんは政治の現状、あるいは日本の民主主義というものをどう考えておられますか。
堀合研二郎 民主主義とはほんらい、人間には一人ひとり異なる意見があって、それをぶつけあって最終的にいちばん良い道にたどりつくために在るものだと思うのですが、それが機能していないのが日本の民主主義の現状なのではないかと考えています。
その具体的な現われが、たとえば投票率の低下です。どうせ自分が投票しなくても何も変わらないだろう、と考えてしまう。あるいは、そもそも変える必要がないと考えてしまう。
一つの法案が通っているとか通らないとか、その具体的な中身だとかは、国民はまったく知らない。だから、国民が聞いたこともないような法律がいつのまにか可決されて制定されている。
しかし、それは選挙で選ばれた人たちが決めているわけで、けっきょく選挙で投票する国民が決めていることになっている。このあたりで現実と実感が乖離しています。
私はそのあたりの仕組みを変えたいと思っているのです。もともとは障害支援が目標だったけど、実際そこに取り組んでみると、それを決める仕組みそのものを変えていかなくてはならない、ということに気づいたものですから。
ぼそっと池井多 いわゆる「界隈」と呼ばれる当事者たちのローカル・コミュニティでは、当事者活動というものが政治的な要素を備えることがありますよね。いまや正真正銘の政治家となった堀合さんは、界隈の当事者活動というものをどう見ておられますか。
堀合研二郎 当事者活動はもちろん促進すべきものだと考えていますが、その促進にあたって、私は本人たちが名前や顔を隠さず、責任を持って意見を表明すべきだと考えています。どうしても被害的・攻撃的に、そして無責任に語る当事者が出てくることが多いですが、周囲に理解を深めてもらいながら社会に意見を発信できる当事者がもっと増えてほしいと思っています。
ぼそっと池井多 それは大事なことですね。
ところで、議会制民主主義というのはParty Politics (政党政治)ですよね。でも、ひきこもり界隈というところは、しょせんひきこもり当事者は一人ひとりちがっていて、全体としては多様としか言いようがないために、政党のようなものは作れず、Identity Politics (個人のアイデンティティを基にした政治)にならざるをえない部分があります。現実には、ひきこもり界隈にも派閥のようなものが生まれますが、それは個人的なコネクションで発生することが多く、必ずしも個々人の主張を反映した党派性は持っていません。
堀合さんは精神障害の当事者として、政党政治という形態への違和感などはありますか。
堀合研二郎 私は統合失調症を患っていますが、同じ統合失調症を持っている人でも、みんな瑣末な状態はそれぞれ異なっていることでしょう。同じことはうつ病、強迫、発達障害などすべての精神障害にいえると思います。
しかし、「統合失調症だからいえること」「うつ病だからいえること」というように、病名ごとにまとまりがつくこともあります。また「精神障害者だからいえること」という大きな括りも考えられます。そこに、ぼそっとさんがおっしゃっている党派(party)に似た何かを考えることもできるでしょう。
でも、それはいわば患者会のようなもので、いわゆる政党政治でいう政党とはちがいます。
私が属している政党に対して私が感じていることとしては、「バカで弱い」ということです。一方で政権与党は「賢く強い」ですね。
勘違いしてほしくないのですが、私はどちらも貶しているのです。政権与党は選挙で勝つことに徹して国民の幸せを犠牲にしていますが、そのことに「バカで弱い」野党は付け込めていません。ただ、最近の国会では悪くない動きをしていると私は思っています。
ぼそっと池井多 いまや政治家である堀合さんを前にして言いにくいのですが、じつは私は「政治の言葉」というものに良い印象を持っていません。それは既存の政治家たちが私にもたらした負の遺産でしょう。
良い例が、選挙期間中に候補者が選挙カーのてっぺんから人々に訴える言葉です。それらは力強く、美しく、抽象的な理想論であり、正論で響きがよいのですが、ひきこもり当事者たちが当事者会でボソボソと語る、暗く、複雑な、社交辞令とは縁遠い、人間や世界の真実をえぐり出すような言葉とは背反する側面があります。後者のことを、私は「真論」と呼んでいます。
たとえば、「誰もが幸せな社会を築く」というのは正論であり政治の言葉ですが、私に言わせれば真論や当事者の言葉ではありません。私はそういう政治の言葉を聞くと虫唾が走るのです。
「できるわけないだろう。そんないいかげんな美しい言葉を平然と吐けるのは、何も地を這うような活動をしておらず、現実を知らないからだ」
と言いたくなってしまいます。
堀合さんはそういうこと、ありませんか。
堀合研二郎 激しく同意します。はっきり言ってしまえば、ほとんどの政治家が空虚な正論ばかりを振りかざしていて、私も嫌気がさしています。
「誰もが幸せな社会を築く」という趣旨のことを、とくに選挙の際は皆さん口にされます。
具体的に彼らは何をしてくれるんでしょうね? 特に「幸せ」の部分です。「幸せ」とは何かを考えるところからやり直してくれないかな、とも思います。
ぼそっとさんがおっしゃるように、やれることは限られます。だけど政治家ができることはやはり多いとも思います。じつを言うと、私は「幸せ」とは「生きる」ことプラス「自己決定」と同義だと思っていて、社会の中でそれが阻害されている状況を改善するのが政治の役割だと考えています。
ぼそっと池井多 なるほど。考えさせられます。
最後にまだ語りたいこと、他の当事者仲間へのメッセージなどありましたら、お願いいたします。
堀合研二郎 いま「幸せ」とは何かを考えてほしいと言いましたが、それは政治家に対してです。当事者はそんなこと考えなくて良いと私は思います。もちろん、考えたければそれはそれで好きに考えてくださっていいのですが。
先ほどぼそっとさんが政治家に良くない印象を抱いているとおっしゃったことが、かなり多くを物語っていると思います。政治家なんて全く偉くありませんし、そもそも人間なんて偉くはありません。私に言わせれば単なるアニマルです。本能の赴くまま、好きなように生きるだけなのです。
ぼそっと池井多 今日はどうもありがとうございました。
(了)
関連記事