著・ゆりな
耐え切れない。
自分が汚れていくことも。
世界の汚い部分を知ることも。
この世に存在しているだけで、毎日汚れた言葉が私の耳を通り過ぎていく。
聞き入れてしまったら心が濁る。
墨汁を垂らしたように、私の心は黒く染まる。
「一度染まった汚れは、一生落ちないのではないか」
自分の体に染み付いた汚れを確認し、そして怯える。
私はその恐怖から常に綺麗事を求め、
社会への入り口を自ら塞ぐ。
自分の中に不純物を取り込まないよう
毎日 敏感になり、神経を張り、
そのような場面に遭遇すると
記憶を消去する。
「どっかで悪口言ってるに決まってるじゃん」
「2人に、さっきの人達のことで本音を言い合って欲しいんだけど」
悪口を言う前提で回っている会話も
口論させる体制を作ろうとする策略も
それを聞いた途端、私の思考は麻痺して、時が止まる。
悪口を言ったら汚れる感覚
人の気持ちが分からなくなる罪悪感を背負う私は、戸惑う。
あの言葉の意図は何だったんだろう
あの人の心理はどうなっていたんだろう
誰かが傷つくことを考えないのだろうか
さらに私は考え続ける。
これを解決するためには
もう私が一人一人の心を理解しないと
ダメなんじゃないか
一人一人を理解するには、もっと色んな人のことを知って、寛容な心を持たないといけない
でも、寛容な心を持てるまで、
私にはこれから先も生きていられる気力も、自信も、気持ちの余裕もない
寛容な心を持てなければ、存在してる意味ないんじゃん?
自分も、世界も、完璧でないと気が済まなかった。
人のために何かしていないと、息をしてはいけないという思い込みを
私は疑うことをせず、存在していた。
ただ、"きれいなまま"生きていたいのに。
寝ても覚めても、私の頭は常に"世界の真理"を探してる。
日常の、人の奥底にある心理から、
世界の真理を垣間見る。
いつでも、私の見る世界がきれいを保つために、常に物事は円滑に回ってなくてはいけない。
だから、この世のことを全て把握していたかった。
全ての物事が上手く回るように、人の心を察知し、行動の意図を汲み取らなければ。
そう思うゆえ
人の本心を知らぬまま生きているのが怖い。
そして本心を探るために、自分の精神を切り刻む覚悟は
「苦しんでいないと気がすまない体質」を刷り込んでいった。
自分が傷ついていれば、みんなは傷つかずにすむ。
私が犠牲になれば、周りは上手くまわっていくんだ
もしかして、私、"社会"が上手くまわるのを邪魔してる?
私が消えれば、もっと世の中が良くなるんじゃ……
ただ、"きれいなまま"生きていたいのに。
時が経ち、いまさら気づく。
きれいなまま生きていたいと懇願することが、皮肉にも、むしろ毒を溜め込んでいくことになるとは。
自分の"純"を守ることに必死だった頃の私にそれを知る手立てはなかった。
無垢なまま生きることを、社会は許さない。
社会は「年を取れば汚れていく」という認識をもって、私に迫ってくる。
だから、いずれ私の無垢は無知であると認識され、馬鹿にされる。
このままでは
滑稽でおかしい さらし者として生かされる。
私は自問自答する。
「自分のことをそんなに純粋だと思ってるの?」
「そんなに自分が純粋なままでいたいか」と。
こんなにも純粋であると自覚しているはずなのに、
純粋な自分を認められない。
認めてしまったら、さらに傷付きやすくなることを分かっているから。
汚れた生き方を覚えなければという焦り、多くの人のことを理解したい偽善、自分の心のキャパシティー、汚れずに生き残る方法…
全てを同時に、脳が処理する。
脳の処理量に、気持ちが追いつかなくなると、
「汚れる恐怖からの解放」より
いっそのこと
世界の苦しみを抱えたまま、見えない圧力で握り潰されたい
そう思うようになる。
そして一度 芽生えたこの感情を、
私は消せずにいる。
清いまま生きる
汚れにまみれて消滅する
私の心は今も、不安定で
かろうじて、この世に「私」を留めている。
この世に私を繋ぎ止めてるものはない。
すきで生きていることを選んでる訳じゃない。
私のことを生んでなんて、誰も頼んでない。
何も考えず、思考を停止したときの体が
生きることを選び、
知性でなく、体の生命力に操られ、私は今生きている。