著・ゆりな
「まだ苦しめる」
体の奥深くから発せられた要求が
頭の中に響く
苦しみが体の一部であるように、
私は心に余裕を見いだすと、
すぐさま愚考で埋めにかかる
「苦しい思いをしないと 成長出来ない
傷つかなくちゃ 得るものがない
傷ついてからじゃないと何も得てはいけない」
脳裏にこびりついた、この愚かな思い込みは、
私の視野を狭め、私の人生そのものが"苦しみ" と化すことを待っているようだ。
何をするにも
故意に失敗する方へ
自分の評価を下げる方へ
相手に迷惑をかける方へ
奇妙な目でみられる方へ
周りから孤立する方へ
自らを駆り立てる
そして
人よりも余計に傷ついていることに安心し、
それをアイデンティティとして持つことに執着し、
ボロボロな精神でこの世に存在していたいと願う。
常に、自分で自分のことを嘲笑っていたい
自分という無価値な人間がこの世に生きていることを、 鼻で笑っていたい
自分をバカにして、無理矢理 相手と立ち位置の差を作ることで、孤独を確保したい
楽しみも、喜びも、優越感も、人への親しみも、 自尊の精神も失った私は
苦しみを欲求する
気持ちが明るくなったり、辛さが少しでも減ってしまえば
苦しんできたこれまでの時間が無駄になる。
それが怖くて、悲しくて、"悔しくて"。
苦しむことを美化してきた私にとって、
生きやすくなれば、
痛みを抱え続けてきた意味、
苦しみの中で得られた感覚を否定し、
私の存在は無かったことになる気がした。
ふと、自意識から覚める。
私はどこまで自分を痛め付けたいのだろう?
「一生、生きづらいままで生きていくことになるぞ」
自分の中の第三者が他人事のように、
頭の中でささやいた。
今のままのやり方で生きていたら、 より苦しくなることは自覚していた。
それでも
自分の体が、自分を生きづらい方向へ連れていく。
すぐ手に入る 痛みと苦しみでしか
時間をもて余す手段はなかった。
痛みを感じ続けていないと、
新しい傷をつけ続けていないと、 生きている手応えを感じることができなかった
癒えることのない傷痕をながめ
背負う苦しみの量でしか
私はこの世界で勝負できないと感じていた
自分を痛めつけることに
罪悪感などなかった。
痛めつける所がもう見当たらない
これ以上切り刻むことが出来ないほどの傷だらけの心に
まだ これでもかと 刃を突き刺す
疲弊し、悲鳴をあげる心に
休む暇など与えない。
私は、自分の心に酷を強い続ける。
自分の心を守る意味を見出だせず
その手段に辿りつけない私は
「心の自傷」を続ける
生きづらい現状から、なぜ抜け出そうとしないのか
自分に問う。
「生きやすくなったら、 苦しい思いをしていた過去の自分に申し訳ない。」
苦しみ続けることで、ツラい過去の記憶を自分の中に留め続け、
そして同時に、昔の自分を守り、労り、
体の中にその生き方を大事に保存する。
私の生き方に、存在に、
誰かが肯定している素振りをみることはなかった。
だから、自分のなかにいつでも辛い記憶を思い出して、 自分を労ってあげられるように
人のツラい気持ちを誰よりも理解してあげられるように
そのまま全身をホルマリン漬けするように時を止め、固定し、 過去の自分も
「今の自分」という器の中にしまう。
昔の自分など記憶から抹消してしまいたい。
私の過去には、嫌いな自分しか存在しない。
だけど、「今の自分」も「昔の自分」 も一緒くたに大事にしてあげないと、
この瞬間を生きる私は毎日を過ごすことが出来ない。
しかし、
申し訳なさを感じる根元に向き合い続けて、ある時気づいた。
私は本当は、
自分以外の人間に対して
「申し訳ない」なんて思ってなかったのだと。
申し訳ないって思っていれば、良い子であると認識してもらえる
へりくだっていれば、せめてもの安全地帯を、
自分の居場所をかろうじて確保できることを知っていたから。
結局私は
「自分」のことしか考えてなかった。
生きてて、ごめんなさい
と思いつつ、
「何で心地よく生きさせてくれないの?」
と矛盾を抱え、腹わたは煮えくり返っていた。
「人生、苦しいことの連続だ」
「結局、人間はどこかで苦しむようにできてる」
「あの時、辛かったから今がある」
「苦しみを乗り越えたからたくさんのことが得られた」
幼い頃、よく耳にしていた綺麗事。
大人たちの口から発せられた多くの言葉は私を従わせ、洗脳し、 強迫する。
「傷つくことこそが成長だ 」
この信念は、
「自ら苦しみに行け」と心に自傷することを科す
生け贄となった過去の自分の呪いか…
苦しみの最果てから声が聞こえる。
「私の体、まだ苦しみにもつよね。」
「まだいけるでしょ?」
私は
痛み信者から抜け出せない。