ひきこもり当事者・喜久井ヤシンさんによる小説「遊べなかった子」の連作を掲載します。12歳の少年みさきは、海の上をただよう〈舟の家〉に乗り、行く先々で奇妙な人々と出会います。さびしさやとまどいを経験していくなかで、少年はどこへたどりつくのか……?時にファンタジー、時に悪夢のような世界をお楽しみください。
文・絵 喜久井ヤシン 着色 PaintsChainer
昨日だった
Ⅰ
みさきは、ただっぴろい広場にたたずんでいた。村の中央広場から眺める景色は、あちこちが散らかっている。大きな円形の跡地があるのは、もしかしたらサーカスが帰っていったあとなのかもしれない。とり残された木製の骨組みや、中身のなくなった屋台だけが残っていて、人の姿も見えなかった。しぼんだ風船や、長い飾りヒモが、地面に落ちて泥に濡れている。
みさきがやってきたこの村は、大きなお祭りを終えたばかりだった。みさきは村を歩き回って、からっぽになったテントの中や、放り出されたお立ち台を見ていった。村はとても静かだ。木製の民家はあちこちに建っていたので、たぶん村の人たちはみんな、楽しさに疲れて、眠り込んでいるんだろう。
何時間もが過ぎて、みさきはようやく村人を一人見つけた。ゴミ袋を持って、あくびをしながら歩いている。太った掃除夫だった。
「ここ、昨日がお祭りだったんですね。それも、すごく大きなお祭り」
みさきが話しかけると、掃除人は幸せそうな笑顔で答えた。
「今やって来たのかい?惜しいなぁ、昨日だったんだ。この村の〈祝祭〉だよ。いやあ本当に、素晴らしかったね」
掃除人は頬を赤くしている。昨日あった楽しい時間が、まだ体から抜けていないみたいだった。
「そんなに良いものならぼくも見たかったけど……。終わったんなら仕方ないね」
みさきは残念がったけれど、掃除人は言う。
「〈祝祭〉なら、また来週もあるよ。今度の〈祝祭〉も、昨日に負けないくらい大きくて楽しい〈祝祭〉になる。誰でも歓迎。小さな子はもっと歓迎。またその日に来たらいいよ」
掃除人は笑顔で言った。みさきは掃除人から日付を聞いて、間違えないように覚えておくことにした。
Ⅱ
それからみさきは、何日も〈舟の家〉で過ごした。一日が過ぎ、二日が過ぎて、六日が過ぎた。一週間が経ち、掃除人に聞いた〈祝祭〉の日になったので、みさきはまた村へと降り立った。
サーカスがいて、たくさんの屋台が並んでいて……と思ったけれど、村は初めに来た時と同じような雰囲気だった。〈祝祭〉の日のはずなのに、楽しんでいる人もいないし、飾りも片付けられている。
歩いている人もいなかったけれど、みさきは酔いつぶれている若者を見つけた。その若者に聞くと、〈祝祭〉は「昨日だった」と言う。それはもう、一生忘れられないくらいの、素晴らしい一日だったよと言う。酒くさい息だった。
また逃してしまったけれど、みさきはまたすぐに別の〈祝祭〉が開かれることを聞いた。次はたった三日後の開催で、それもとびきり特別な、めったにない〈祝祭〉で、その日に出会える少年は、本当に運の良いことだという。
みさきはまた〈舟の家〉で過ごして、一日が過ぎ、二日が過ぎて、そして三日目になった。たった一、二、三日のことで、間違えようもないはずだった。村に行けば特別な〈祝祭〉をやっていて、歩いていれば気づくことができる。
それでもみさきが村人に聞くと、「それは昨日だった」と言う。まるで大事な一日だけがすっぽりと抜け落ちてしまうみたいに、みさきは大事な日の当日にめぐりあうことができなかった。
「過ぎ去ってしまったことは残念だけど、〈祝祭〉と言えば、一ヶ月後にすごいお祭りがあるよ。これはもう、最高中の最高だ。十年に一度、村の人たち全員が、朝から晩まで幸せに包まれる祭典だもの。他の〈祝祭〉を逃したってかまわないけど、これだけは絶対はずせないね」
みさきと話した村人はそう言い、実際村のあちこちにポスターも張られていた。一ヶ月後にある〈祝祭〉は、本当に大きなものなのだろう。
みさきは〈祝祭〉を待って、〈舟の家〉からその村に何度も通った。三週間前に行けば、「三週間後にある」と聞いた。二週間前に行けば、「二週間後にある」と言われた。最大の〈祝祭〉の日はすぐに近づいてきて、一週間前、村人は「もう来週だ」と話していた。村のあちこちに「最大の〈祝祭〉きたる」の張り紙もしてあった。四日前になり、三日前になり、二日前、そして一日前。村の人たちは、「いよいよ明日だ」「ついに明日やってくる」と言い、高揚感がみさきにも伝わってきた。村の中央広場には巨大な円形の土地が用意されていて、サーカスのテントが来るのを待ちかまえている。屋台も並んだし、村中に建てられた柱に、色とりどりのヒモ飾りや、あざやかな照明も準備されていた。明日、本当に〈祝祭〉があるのだ。
Ⅲ
翌日になって、みさきは〈舟の家〉で目を覚ました。すこし長く寝すぎたかもしれないけれど、〈祝祭〉の日で間違いないはずだった。みさきは〈舟の家〉を降りて、村の中央広場につづく道を歩いていく。その通りで見たのは、空きビンが散らかった屋台の並びや、何かが去っていった大きなタイヤのあとだった。お祭りはどこにも発見できず、村には誰も人がいない。昨日とはまるで違う、からっぽの光景だった。
円形の跡地には動物の足跡があって、サーカスがおこなわれたのだろうと思う。あたりでは、汚れたじゅうたんがくしゃくしゃになっていたり、残飯と食器が落ちていたりした。大きな楽しさが過ぎ去っていったあとだ。村人のための〈祝祭〉は撤去されていて、満ち足りた人たちはもう、祭りのあとの広場になんて用事がない。世界中が疲れて寝静まっていて、みさきだけが的外れな一日に立っている。いつになったら「今日」と出会えるのか、みさきには何も手立てがなかった。
誰もいない広場のすみの方を、しぼんだ風船がただよっていた。また村人がやってきたとしても、また「昨日だった」と言われるだけだろう。たぶん幸せな記憶でいっぱいの、あれは「昨日だった」と言う。「あれは昨日だった」と。風船が広場の端から端まで流れていくのを、みさき一人、長いあいだながめていた。
次回「獣皮」
前回 「〈家族〉の上演」
執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の三年間は同世代との交流をせずに過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆。個人ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/