ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

強迫性障害を治すことは、私にとって世界を​"雑に生きること"と同義だった

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強迫性障害を治すことは

私にとって

世界を"雑に生きること"と同義だった

 
いつでも
世界に何か価値を見出だしたくて、
日常の景色に
手に触れるものに
感情の微細な揺れに
目の前の人の瞳孔の振動に
 
その意味を
その理由を
見出だしたかった。
 
 
自分の部屋のドアがちゃんと閉まっているか確認するのは
 
自分の入力した文字が間違っていないか何度も見てしまうのは
 
自分の取った行動が正しかったか、その数秒後には世界を巻き戻して考えてしまうのは
 
私が今、その表情をしていて良いのか常に案じてしまうのは
 
私の目に写ったものに、何か意味を見出だしたいと強く願ってしまうのは
 
自分の手の触れた書類に、私の手元に届くまでに至ったそれまでの経緯、背景を
強く意識してしまうのは
 
 
まぎれもなく、世界を全力で生きようとしている生き様だったと気付く。
 
 
 
社会に出ることは
雑で 粗くて 関われば傷つく
 
傷つかずに関わりたいという要求を
社会は叶えてくれない
 
無駄な傷を負いたくないと逃げ続けても
社会というものは常に
私の背後から私の内面を覗き
ぴたりと跡をつけ
"社会"を忘れることを許さなかった
 
 
自分の行った一連の行動を記憶し
頭の中でひとつひとつ振り返る作業は
残酷なほどのエネルギーと時間を要する
 
確認作業が終わるまで、
眠ることは許されず
その"仕事"は自らの日常生活に侵食して
私は確認行為の一部となる
 
 
徹夜して、部屋の本棚にもたれ
「なに馬鹿なこと、やってるんだ。」
とつぶやいても
 
そのつぶやきは私の思考の奥深くに届くことなく
ただの音の断片として床に落ちる。
 
 
 
私が、丁寧に生きたいと願った先には
世界が望むものはなく、そして
私が世界に対して望むものもなかった。
 
 
自分をすり潰し、
踏みにじり、
覚悟し、
痛め、
心臓をどんなに強く鳴らしても
 
それらは手に入らなかった。 
 
 
 
過去への逆再生を
私は恐れる
 
 
今、自分の歩く道が
価値がないと切り捨てた先に続くのなら
それは未だもって私の見たことのない
粗削りの自分が待っているからだ。
 
 
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「強迫性障害」という言葉を
初めてこの記事で言葉にします。
 
この言葉が、私の生き方そのものを表すものであると
私はのちに気付きました。
 
何かを大切にし、何かを大事に扱い、
誰かを尊く思う
その気持ちの裏には
常に、大切にしたい対象について"今"を確認する必要がありました。
 
渦中の私には
この行為を否定する他ないのが現実でした。
 
けれど
症状が良くなったり、悪くなったりを繰り返すうち、
なぜ、症状のそれは繰り返されるのか自分に問いたくなった。
 
 
症状の良い状態が続いて欲しいはずなのに
なぜまた確認してしまいたくなるのか。
 
 
それを考えた時、私には
今、目の前に映っているものに
真剣に向き合いたい思いがそうさせているのではないか、
と思考が完結するに至る時間がありました。
 
 
私にとっての強迫性障害を問うた
峰の思いをここに置きます。
 
 
著・写真 ゆりな 
執筆者  ゆりな
2018年2月、ひきポスと出会う。
「私はなぜこんなにも苦しいのか」
ひきこもり、苦しみと痛みに浸り続け、生きづらさから目を背けられなくなった。
自己と社会の閒-あわい-の中で、言葉を紡いでいけたらと思っています。