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「戦争」・「児童虐待」・「ひきこもり」をつなぐ3本の補助線<前篇>家庭という名の戦場

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真珠湾攻撃 写真 : free-photo net

文・ぼそっと池井多

 

 

もうすぐ12月8日がやってくる。

この日を「開戦記念日」と呼ぶと、戦争が始まったことを喜んでいるように聞こえる気がして、つと躊躇(ためら)う。

しかし、まぎれもなく師走の寒気が兆す78年前のこの季節に、日本人はラジオで開戦の第一報を聞いたのだ。大衆は何もわからず、歓喜の声をあげたという。似たような状況は、今もきっとあるのだろう。

今年は元号があらたまり、「昭和」が二昔(ふたむかし)も前になったので、かつてタブーとされていた史料もより多く社会の表に出てきたようである。

そんな背景があるためか、いつも「ひきこもり」や「児童虐待」について発言している論者たちも、今年は「戦争」に言及することが多かった。

リベラルな論者たちにとって、戦争」に反対することと児童虐待」の防止を叫ぶことは、ともに社会正義の表徴である。それにひきこもり」への理解がもっと入ってくるといいのだが、と思いながら、私はひきこもりの日々を紡いでいる。 

ところが、どうも彼らのいうことを聞いていると、「戦争」と「児童虐待」は、つながりのない別個の問題と捉えられている気がしてならない。

たとえば、彼らの思考の中では「女性」と「貧困」は地続きである。しかし、それと同じようには、どうやら「戦争」と「児童虐待」はつながっていないのである。だから、その向こうにある「ひきこもり」もつながってこない。

戦争は戦争、児童虐待は児童虐待。戦争を語ることは、国際政治史の話に終始することであり、児童虐待を語るときには、日本の社会が親を圧迫して起こしている問題として語られる。

はたしてそうであろうか。

私は、「戦争」と「児童虐待」と「ひきこもり」は、人間が起こす行動現象として、みっちりとつながっていると思う。そこで、それらをつなぐ3本の補助線を引いて示してみたい。

 


 

補助線 1本目

 

 家庭という名の戦場

いわゆる「専門家」によって、「ひきこもりは社会の問題」と割り切られることが多い。

実際には、ひきこもりは児童虐待の後遺症であるケースが多いと思う。児童虐待とは、もちろん「精神的虐待」をふくむ。

まず私自身がそうであるし、当事者会でお会いする多くの他のひきこもり当事者がそうである。

虐待する親の背後には「社会」があるだろう。しかし、それをもって「ひきこもりは社会の問題」などというのは、あまりに強引ではないだろうか。

 

虐待がおこなわれる家庭で育った者にとって、家庭は「戦場」であった。ところが、そのように言うと、まずはこう返される。

「それはどうせ、比喩(ひゆ)として言っているんだろう。商品を安売りすることを、安易に価格『革命』などというように」

そうではない。

比喩としてではなく、毎日の家庭が、ガダルカナル島やアッツ島など、太平洋戦争のときに熾烈な戦闘がおこなわれた「戦場」と同じ構成要素を持つ空間であった、と申し上げているのである。

すると、保守層はもちろん、リベラルな陣営からもこんな反論が飛ぶ。

 

一つの家庭の中の出来事にすぎない児童虐待と、
国と国とのあいだの戦争を同列に語るのか。

 

これは、昭和時代に児童虐待が軽視されていた原因にもつながる価値観であるといえよう。わかりやすく言えば、こういう考え方によって子どもたちは虐待されてきたのである。

そこには、しょせん児童虐待は家庭の中の小事であり、かたや戦争は国家の大事である、という考え方が裏側にへばりついている。前者は個人的な体験にすぎず、公共性はなく、後者は政治であり、公共的で崇高なものだ、という社会観だ。こうして家庭内の問題は、国家の問題より下位に序列されるのだ。

しかし、はたしてそうであろうか。

 

戦場から帰ってきた時におかしくなる

最近は、ひきこもりを「問題」とする人たちが、医療モデルではなく社会モデルで問題の解決を考えることが多くなってきた。そうした背景を踏まえてあらかじめ確認させていただくと、ひきこもりに至った当事者の苦痛を、精神医学が持つさまざまな概念を使って考えることと、ひきこもりという「問題」を医療モデルで解決しようとすることは、イコールで結ばれるものではまったくない。

そのうえで申し上げると、精神医学の症状論に、戦闘後ストレス症候群(*1)という概念がある。

 

*1. 戦闘後ストレス症候群

精神医学的にも、この概念はまだ最終的に確立していないと見え、専門家たちの間でも名称が一定していない。私がここで語っているのは、古くは「戦争神経症」、近年は「戦闘後遺症」「戦闘ストレス反応」と呼ばれているものと考えていただいてよい。下記はウィキペディアの該当項目。

ja.wikipedia.org

 

兵士は、戦場で恐怖にさらされ、過度に緊張した時間を過ごす。やがて除隊され、本国へ帰ってくる。そこには平和な日常生活が待っているはずである。ところが、帰ってきたときに、兵士はさまざまな心身の不調を訴え始める、という現象である。

 

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古くは約100年前に精神分析の祖、Sフロイトが着目し、のちに第二次世界大戦のころにアメリカの精神分析医エイブラム・カーディナーが『戦争ストレスと神経症』(右図、*2)を著し、さらに多様な発展を遂げて、ここから今日PTSD(外傷後ストレス障害)と呼ばれる概念が成立していった。

 

私自身をふくめ、幼少期の家庭で虐待されてきた者たちが、大人になって訴える心身の不調は、症状としてはまさしくこの概念の末裔にあたるC-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)であることが多い。

つまり、私たちは子どものころに家庭という名の戦場にいたのだ(*3)

 

*2.原題は"The Traumatic Neuroses of War" Abram Kardiner, 1941. 直訳すれば『戦争のトラウマ的神経症』となる。こんにち原著は以下のサイトから無料で読める。『戦争ストレスと神経症』原著,英語版

*3. これは、被虐待当事者の私だけが主観によって勝手に言っていることではない。先に挙げたA.カーディナーも、以下のように著述の前提としている。

(戦争神経症に関しては1921年にフロイトの研究があるが、そ)の業績と現在1941年との間にあるものは何であろうか。それは大戦による慢性神経症にかんする経験である。これがその精神病理、治療、ならびにそれにまつわる厄介な法的問題について多くを教えてくれた。しかし、この仕事から得た結論はさほどの注目を浴びず、平和時の外傷神経症の概念にもほとんど影響を与えなかった。平和時の外傷神経症も戦争によるものと構造が同一であることを考えると、これはまことに遺憾である。

A・カーディナー『戦争ストレスと神経症』中井久夫、加藤寛 共訳、みすず書房、2004年, 初版への序。太字、カッコ内は引用者。

 

戦場という名の密室

これでピンと来ない方は、次のように考えていただくとよい。

たとえば、目の前に何かモノが飛んできたときに、私たちは思わず目を伏せる。これは「条件反射」という、生体としての反応である。そう、私たちはみんな「生体」なのだ。

飛んでくるモノが、第二次世界大戦と歴史的に名づけられる事件のさなかに国境を越えてくる砲弾であっても、小さな家庭のなかで親からふるわれる理不尽な拳(こぶし)であっても、私たちという「生体」は同じように目を伏せることだろう。

生体は、飛んでくるモノの社会的文脈を脱ぎ捨て、そのストレスだけを受け取り、負の蓄積をおこなうのである。

戦争中の戦場において、もし兵士が戦場から逃げたら、たちまち「敵前逃亡」などという罪状を着せられ、軍法会議にかけられて厳罰に処せられる。だから兵士は戦場から逃げられない。

すると、戦場がどんなに空間的に開けたジャングルや草原であっても、兵士にとってそれは密室と同じである。そこで数々のストレスにさらされ続けるのである。

いっぽう、虐待家庭において、やはり子どもは逃げられない。

「あんたはここから出ていったら、路頭に迷って生きていけないんだからね。虐待され続け、この家庭に留まるしかないのよ」

などと洗脳されているからである。そのような明からさまな言葉を浴びせられなくても、親など虐待者の行動から言外の意としてそのようなメッセージを放射されつづけて毎日をすごしているわけである。

かくして家庭も密室となる。

「家の中のことを外で言ったら恥」という規範が埋め込まれることによって、被害を家の外へ訴えられないまま、虐待というストレスにさらされ続けるのである。

こうして、戦争へ駆り立てられておかしくなる兵士と、虐待されてひきこもる子どもは、生体に関して同じメカニズムで反応を起こしているといってよい。

 

……。

……。

 

以上のような面倒な説明をすっ飛ばして、飛ばし読みしているせっかちな読者のために、いったんここまでの話をまとめておこう。

 

子どもという生体にとって、
児童虐待戦争であり、
虐待的な家庭戦場である。
成人すると、
後遺症としてひきこもりになりうる。

 

ここに「戦争」「児童虐待」「ひきこもり」を結ぶ一本の線がある。

 

 

外傷の再演

映画『ディア・ハンター』(1978年)は、ようするに戦闘後ストレス症候群を描いた作品であった。

ロシアンルーレットに興じたために自らの頭を撃ちぬくことになるニックは、なぜわざわざそんなに危険な死亡遊戯にうつつを抜かす毎日を送ることになったのだろうか。

それは、舞台となっているベトナムの戦場にいて、毎日のように過度な緊張にさらされていたからである。いつのまにか、戦場と同じくらい神経が張り詰めていないと生きた気がしない心身になっていたのだ。


ディアハンター_ロシアンルーレット

 

このように自傷的な行動を、精神医学では「外傷再演」と呼ぶ。かつて体験したトラウマを、わざわざ自分の身に再現させる現象である。

ベトナム戦争から帰還した多くのアメリカ兵たちが、平和な市民生活になじめず、ふたたび独りジャングルの奥地へ分け入り、他人と接触しない生活を営んでいるメカニズムは、これによって説明される。

また、レイプなど性暴力を受けた人が、わざわざ性暴力を受けそうな危険な場所へ入っていったり、もしくはそのような危険な環境を自らの生活圏に築いたりすることも、この外傷再演で説明されることが多い。

そして、ひきこもりにも外傷再演という概念が密接につきまとう。

 

 

社会が軍隊に見えるひきこもり当事者

テルリエンヌという、フランスに住むひきこもり仲間にインタビューさせていただいたことがある。(*4)

テルリエンヌは、幼少期から父親による虐待にさらされ、その影響で成人期にひきこもりになったと考えられる女性だ。

ひきこもりから社会への復帰(*5)を考えたときに、いくらでも他の職場が選択肢として考えられたであろうに、彼女はよりによってフランス陸軍への入隊を試みたのであった。

 

*5. 社会復帰:私自身は、ひきこもりの社会「復帰」ということは考えていない。なぜならば、その場合の社会とは、ひきこもり当事者が拒絶したものだからである。なぜ、そこへ「復帰」させなければならないのか。あるべき支援とは、ひきこもりを、ひきこもりのまま孤立させないように社会とつなぐ方策を考えることだと思う。ちなみにフランスでは、「社会復帰」とはいわず、Réintégration des Hikikomori dans la société (ひきこもりの社会への再統合)ということが多い。

 

もちろん、長年のひきこもり生活で心身が弱くなっていた彼女にとっては、軍隊へ就職することなど、どだい無理な試みであった。入隊検査だけで、彼女は身体にも心にもさらなる多くの傷を負い、その後は前にもましてひきこもるようになったのである。

これは彼女の「外傷再演」であったことだろう。彼女にとっては、「復帰」すべき「社会」とは軍隊だったのである。

 

日本のひきこもりでも、就労しようと奮励努力して、あえてブラックな労働環境に就職してしまう人がある。

「自分の可能性を試そうと思った」

などと説明されるのだが、前よりも深い傷を負って撤退すれば、それも外傷再演であったという解釈があとから成り立つ。

 

私はかねがね、

ひきこもり過労死コイン

と申し上げているのだが、ひきこもりがともすれば過労死しそうな作業環境へ自ら入っていくことも、外傷再演の理論から説明できる。

数ある選択肢のうち、ことさらブラックな職場に就職してしまう場合はいうまでもなく、就労などまったくしていない私自身をふくむ多くのひきこもり当事者が、ひきこもりながらにして自分の部屋で、お金にならない作業に精魂を使い果たし、過労死寸前になっている姿がしばしば見受けられる。

私自身の場合、そんな自分に、小学生のときに母親から深夜2時まで「勉強」を強要されていた被虐待児の影を透かし見るのである。

語りの力を信じている私は、そういう影すらもこのように言葉にする、すなわち「語る」ところに、せめてもの出口を見いだしたいものである。

 

 ・・・「『戦争』・『児童虐待』・『ひきこもり』をつなぐ3本の補助線<中篇>補助線2本目」へつづく

 

筆者プロフィール >
ぼそっと池井多 :中高年のひきこもり当事者。まだ「ひきこもり」という語が社会に存在しなかった1980年代からひきこもり始め、以後ひきこもりの形態を変えながら断続的に30余年ひきこもっている。当事者の生の声を当事者たちの手で社会へ発信する「VOSOT(ぼそっとプロジェクト)主宰。「ひ老会」「ひきこもり親子 公開対論」などを主催。
facebookvosot.ikeida
twitter:  @vosot_just

 

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