(文・湊 うさみん)
お正月といえば親戚で集まるのが定例行事となっています。年始くらい血縁者で集まってぱーっと楽しもうという趣旨なのだと思います。
しかし、ひきこもりにとっては地獄です。
久しぶりにあった祖父母は私にこう聞いてきます。
「最近どうなの?」
私はこの質問に答えられません。
「ヒマな生活してるよ」→「仕事はしてないの?」
「忙しくしてるよ」→「何の仕事してるの?」
「今は仕事してないけどすぐ見つけるよ」→「それならいいけどひ孫の顔がそろそろ見たい」
どのような答えをしても、詰んでいます。なんでそんなに仕事とか孫とかにこだわるんですか。趣味の話などをしてくれれば私は追い詰められなくて済むのに。
部屋に閉じこもる作戦は通用しない
体調不良を装って自分の部屋から出ない作戦も考えてあります。というか、実際やりました。
その時、親はこう言いました。
「久しぶりなんだから顔ぐらい見せなよ」
そうはいうものの、本当に顔を見せるだけでは終わりません。「そこに座りなさいな」とうながされて、場の空気が拒否することを許してくれません。
席に座ると飲み物と食べ物を用意され、すぐに立ち去っていいような状況ではありません。
仕方なく急いで飲み食いしてできる限り早くこの場を去ろうとするのですが、その間に冒頭に書いたような質問をしてきます。適当にお茶を濁しつつ答え、親戚たちの集まるリビングから出ます。
すると、リビングの空気が変わるのがわかるんです。
おそらく、こういった会話をひそひそ声でしてるのでしょう。
「あの子、働いてくれなくて」
「もういい年でしょうに仕事も結婚もしないなんて」
「病気だから仕方ないにしても期間が長すぎる」
「育て方を間違えたんじゃないの」
陰口は基本的に盛り上がりますから、いかに私がダメ人間かというテーマで話をするのでしょう。
動悸がして吐き気すら覚えます。
災害を期待する
親戚の集まりがイヤすぎて災害でも起きてくれないかと考えたこともあります。大地震が起きれば親戚で集まっている場合じゃなくなります。
私のグーグルの検索履歴には「地震 起こし方」とか「人口台風 作る方法」とか「災害 タイミング 調節」とかそんなキーワードが並んでいます。
地震の起こし方がわかったからといって実際に実行する度胸はないでしょうが、検索せずにはいられないのです。
自殺も考えますが、1日ガマンすればいいという状況ですから、そのためだけに死ぬのはさすがにと躊躇してしまいます。
結局、災害が起きるのを祈りつつも、結局何も起きずに親戚の集まりが発生していまうのが毎年のことです。
大事な用事があって出かける作戦
友達の家に避難したこともあります。「ちょっと久しぶりの友達と会うので」と親に告げて家を出ました。
親戚の集まりが盛り上がっているであろう頃に、携帯(当時はスマホじゃなかった)に電話がかかってきました。
「今どこ?」
「今は友達の家」
「いつ帰ってくるの」
「もう少しで戻るよ」
電話してきた母親の声色には怒気が含まれています。
適当ににごして電話を切りました。
その十分後、再び電話がかかってきました。携帯の液晶には「母親」の文字。何を言われるかわかっていたので出たくなかったのですが、ずーっと携帯が鳴り続けて根負けしました。
会話の内容は先ほどと同じです。しかし、母親はだいぶ怒っている様子。
さすがにそろそろ帰ろうか……いや、もう少しだけ。電源を切って圏外のふりをしたらさすがに帰宅した時が怖いです。
そしてまた十分後に電話が鳴りました。
なんで大事な友達と会っている(ふりをしている)のに、親戚の集まりに参加しなくちゃいけないのか。私に選択権はないのかと気持ちが沈みます。
電話の先の母親はもはや怒鳴ってるレベルなので、さすがに帰ることにしました。
最近は聞かれることすらなくなった
私はニート生活10年を超えています。それで毎年、親戚の集まりに参加しているといいかげん親戚たちも気を使うようになります。
仕事や結婚のことは完全に封印されたようで、何も聞かれなくなってきました。でも相手は酔っぱらいですから、暴走することだってありえます。
私はいつ触れられたくないことを聞かれるか恐怖で身をこわばらせています。
会話に参加する気も起きず、「ああうん」「そうだね」とか適当なことを言ってお茶を濁すばかり。
そうして終電が近くなると親戚の集まりは終わるのですが、もうぐったり。精神的にはもちろん、緊張のせいで肉体的にもすごく疲れています。
最近は、この親戚の集まり自体が災害のようなものではないかと思うようになりました。
正月なんて来なければいいのに。本気でそう思います。
執筆者 湊うさみん
20代でドロップアウトして自殺未遂。ニート歴10年以上のエリートニートになっちゃいました。