「韓国のひきこもり事情 第1回」からのつづき・・・
文・ぼそっと池井多
受験戦争を激化させる歴史的な素地
本シリーズの前回、第1回は、お隣の国、韓国が日本よりも厳しい受験競争社会である現実をご紹介した。
韓国がそのような過酷な受験社会になった源流は、なんと遠く新羅(*1)の真興王(진흥왕 / ジンヘゥンワン)が定めた花郎(화랑 / ファラン)という制度にまでさかのぼることができるという。
新羅の真興王(534 - 576)といえば、日本の聖徳太子よりも一世代ほど前の人だから驚きだ。
*1. 新羅(しらぎ / しんら / 신라 )紀元前57年~935年に古代の朝鮮半島南東部にあった国家。多くの文化を古代日本にもたらした。663年に白村江の戦で日本と戦争をしている。
時代が下って李氏朝鮮(*2)の時代になると、科挙制が採られた。
科挙(과거제 / グワゲォゼ)という国家試験に合格すれば、両班(양반 / ヤンバン)という、王族以外ではもっとも高い身分が約束され、官僚として政治的にも大きな権力を持つことができるのである。
*2. 李氏朝鮮:(りしちょうせん)1392年~1897年 朝鮮半島を支配した王朝。1910年に日本に併合されるまで「大韓帝国」として存続した。
そのため人々は科挙に合格するため必死で勉強した。30歳になっても合格できない者は、12~13歳ですでに合格できた者から「童」と呼ばれて馬鹿にされていたという。
いったん合格すると、権力を利用して人民から搾取や収奪のかぎりをつくす
19世紀に朝鮮へ渡ったフランス人宣教師マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ(1818 - 1866)は、
「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」
李氏朝鮮の初期には、両班は全人口の3%にすぎなかった。この少数エリートが全国民を支配していたのに等しい。
裏返せば、
「いったん試験に受かれば、あとは人生バラ色。なんでも好き放題できる」
という人生観が、韓国では歴史的に深いところで共有されていたということである。
いまの韓国の財閥系企業で働く人々を「現代の両班」という人もいる。
こう考えると、韓国には日本とちがって、
「勉強して、試験に受かって、えらくなる」
という人生コースが昔から、すなわち日本が大韓帝国を1910年に併合して教育の近代化を始めるよりもはるか以前から存在したわけである。
ひるがえって日本には、明治の学制発布より以前には、文官試験を受けてそれに受かれば、身分にかかわらず出世ができるという機会均等の社会制度がなかったのではないだろうか。歴史の専門家からご意見を俟ちたいところである。
急上昇する進学率
日本の植民地となっていた時代(1910 - 1945年)に近代的な教育制度が導入されたあと、1948年に大韓民国として独立すると、新しい教育制度が施行され、国民の教育熱はさらに高まった。
中学校は義務教育ではなかったのにも関わらず、その下の学校である国民学校からの進学率は、独立後わずか7年の間に21%から46%へぐんと高くなった。
中学校から高校への進学率も、1952 年には58%だったものが、1955 年には 83%へと急上昇した (*3)。
*3. 「ひきこもり支援の哲学と方法をめぐって ─若者問題に関する韓日間比較調査から─ 」
山本耕平ほか 2011年
立命館大学 http://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/2010/46-4_02-02.pdf
このように、韓国の人たちの教育熱は高まっていったが、経済難や朝鮮戦争をかかえていた政府は、行政による教育制度(公教育 공교육 コンキョユク)をじゅうぶんに整備することができなかった。そのため人々は、
「少しでも上の学校へ行かないと、ロクな人生を歩めない」
と考えられるようになった。
その結果、国民の意識のなかで、ちょうど日本の偏差値地図のように良い学校から悪い学校が序列化され、受験競争が激化した。
こうなると、学習塾(学院 학원 ハクォン)や家庭教師(課外教師 과외교사 クワウェキョサ)など学校以外のところで行なう教育、つまり私教育(사교육 サキョユク)が繁盛することになったのである。
すると、学校の先生たちがそういう方面、つまり塾や家庭教師のアルバイトで稼ぐことに熱心になり、本業である学校教育をおろそかにするようになって、社会問題となっていった。
日本でも似たようなことは起こるが、社会問題にまではなっていない気がする。
そこで
日本でも同じような時期に、同じような問題が起こって、一部の自治体で、高校に「学校群制度」が導入されたことを考えると、これはたいへん興味深い。
これで韓国の中学校や高校に学力的な格差がなくなったが、そうなると大学受験のための勉強は、いよいよ私教育でやらなくてはならなくなった。だから、学習塾や家庭教師は相変わらず盛んで、学校の先生たちのアルバイト稼業もいっこうになくならなかった。
これに対して
塾産業など私教育の市場は、学校教育の正常化を妨害するだけでなく、家計に重大な負担をかけ、階層間の格差を拡大するワルモノだということになったわけである。これを「7・30教育改革通達」という。
これによって塾講師や家庭教師をしたり、その指導を受けたりした者は、公に処罰されるようになった。学校の先生たちは塾や家庭教師で教えていることがバレると、以前は注意される程度で済んでいたものが、それからは学校をクビになって主収入を失うことになった。
たいへん厳しい政策であった。
さすがに、これで韓国における私教育は絶滅しただろうか。
そんなことはなかった。
以前にも増して、秘密にして、違法な取引として塾や家庭教師が流行したという。
韓国の人たちはどれだけ教育にお金をつかっているか
最近のデータで、韓国と日本における教育産業の大きさを見てみよう。
下の図は、二つの国の経済における塾市場の規模と、それぞれの国家予算のなかの国防費を比べてみたものである。
韓国は国防費が4.18兆円であるのに対し、塾市場の総額は1.90兆円、日本は国防費が5.40兆円であるのに対し、塾市場は0.96兆円である。
しかし、これは総額で比べているので、日本には韓国の2倍以上の人口があるという事実を無視しているのに等しい。
そこで、人口で割り、国民一人がそれぞれ塾産業と国防費に年間どれだけ払っているかを比べてみよう。
ここでは、たとえば子どものいない家庭や老人など、教育産業への支出にまったく縁がない国民も算入されてしまっているが、それでもいかに韓国の人が、日本の人に比べて塾などの私教育に支出をし、国防費を払っているか、ということがわかるだろう。
こんなふうに韓国では、教育産業というものに絶えずやましい違法性の影がつきまとっていた。
のちに2000年に、韓国では憲法裁判所が、
「1980年の7・30教育改革通達は憲法違反である」
という判決をくだし、それ以降は塾や家庭教師は違法ではなくなり、白昼堂々と営めるようになった。
ところが、このことによって韓国の受験戦争は、2000年代になってますます激化し、大学進学率はどんどん高くなっていったのである。
・・・第3回へつづく
<プロフィール>
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。2020年10月、『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社)刊。
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