文・ぼそっと池井多
歴史をつくるのは嫉妬である
「パンがないならケーキを食べればいいのに」(*1)
と言ったために、マリー・アントワネットは殺されたようなものだと思う。
フランス王妃であった彼女はぜいたくな暮らしをしているから民衆の貧困を知らない、と反感を買ったのだ。
しかしこれは、それぞれの認識の中にしか棲めないという人間の宿命を物語っている。彼女はケーキというものがあるのが当たり前の世界に生きてきたから、そのようにしか考えられなかったのだ。
歴史はつねにより良い思想によって新しい時代が開かれてきた、と考えられがちだ。
「明治維新が起こったのは、江戸時代の封建体制よりも明治近代国家のほうが思想的に良かったから」
「大化の改新が起こったのは、中大兄皇子や大海人皇子の思想がそれ以前の豪族たちのものより良かったから」
といった具合である。
しかし、そうだろうか。とくに社会の主流秩序から外れ、ひきこもりという立場で生きてきた私から見れば、進歩史観はおおいに欺瞞に見える。
ところが、それを迂闊に口にしようものなら、いつの時代にも
*1. 正確には « S’ils n’ont pas de pain, qu’ils mangent de la brioche. » という表現だったといわれる。
フランス革命も、唯物史観の立場から階級闘争の典型と説明され、 啓蒙思想が普及した結果であると高校では教えられた。なるほど、そういう側面をとらえることもできるだろう。
しかし、階級闘争を引き起こすものは何か。
それは「明日食べるパンがない」という切羽詰まった経済的希求だけではなく、
「あいつら、いい思いをしてやがって」
という、社会的承認を得ていない者が得ている者に対していだく、生活環境に対する幻想に由来する嫉妬が占める比重が大きいのではなかろうか。
嫉妬は、嫉妬という醜い情念のまま社会へ提示されることはない。自分の言動の動機が嫉妬であると自らを客観視できるほどの知性の持ち主は、そもそも嫉妬から言動しないことが多い。
動機は嫉妬であると知りつつそうした言動をしつづけるという、いわば嫉妬も人生の一部として楽しんでしまうような、感情の綱渡りを演じられる人は世間になかなかいない。
たいていは、人は自分が持つ嫉妬という動機を否認して生きており、嫉妬の醜さを隠すために社会的に聞こえのよい大義名分を借りてきて、「正しさ」というラッピング・ペーパーで何重にも包装するのである。
たとえばこんにち、時代から「正義」のお墨付きをもらった「ジェンダー平等」などの概念から、中味を伴わず記号だけをかっさらってきて振り回す者たちによっていかに不当な暴力がふるわれていることか。
それはマリー・アントワネットと同じ時期に処刑されたロラン夫人(*4)が断頭台で最期に言ったとされる、
「ああ、自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されていることか!」(*5)
という言葉とぴったり照応しているのである。
*4. ロラン夫人はジロンド派であり、いちおう政治的にはマリー・アントワネットとは反対の立場である。
*5. 正確には « Ô Liberté, que de crimes on commet en ton nom ! » という表現であったといわれる。
ソフィア・コッポラ監督が作った映画『マリー・アントワネット』(2006)は、革命が起きる前から、もともと王妃マリー・アントワネットの生活は民衆が考えているような幸せなものではなかったという視点で、彼女の人生をとらえなおしていた。
なんといっても、プライバシーがなかった。
着替えも入浴も、すべて裸身を臣下や侍従たちの衆目にさらしながら行われたのである。これほど社会に正当化された性虐待はない。
他者の視線を浴び続けることからくる精神の消耗に光を当てたこの作品は、やはり監督が女性だったからこそ描き出せたのではないか、と男性として生きてきた私などは思ったものである。
王妃のひきこもり部屋
断頭台の露と消えたマリー・アントワネットが生前、ひきこもり部屋を作っていたことは、知る人ぞ知る事実である。
それは公務を執りおこなう王宮、ヴェルサイユ宮殿の奥に作られた小トリアノン宮殿( Le Petit Trianon )にあった。
サロンには快適な家具や調度品が置かれ、彼女の好みに合わせて美しく装飾されていた。しかし、そんな装飾よりも彼女にとってこの空間で最も大事であったのはプライバシーだったと思われる。
ここには彼女の許可なしには誰も立ち入ることはできなかった。絶対的な権力を持っていたとされる夫の国王ルイ16世でさえ例外ではなかったのである。
彼女はこの部屋に逃げこむことにより、世俗の圧力や宮廷の厳格な規則からのがれ、安らぎと自由を見出していたらしい。とくに民衆からの糾弾が激しくなったフランス革命の激動期には、彼女がここを訪れる頻度は高まっていったという。
ひきこもりと視線
「ひきこもりとは何か」
ということを考えると、答えはなかなか出てこない。
「6ヵ月以上にわたって家庭にとどまりつづけている人々」
「人との交流を避けつづけている人々」
などというフレーズが「ひきこもりの定義」として語られることはあるが、
「それじゃあ5ヵ月と25日間ではひきこもりじゃないのか」
「ネット上の交流は『人との交流』に入らないのか」
などと、いくらでもツッコミは入れられる。
だから私は、完璧な「ひきこもりの定義」はつくれないと思う。つくれるのはせいぜいひきこもりの人たちが持つ傾向のリストにすぎない。
それでは、どういうことが傾向なのかといえば、私は、
「ひきこもりは、他者から『見られる』ことをひと一倍嫌う傾向がある」
という点が思い浮かぶ。
見られることは対象化されることであり、支援を嫌うひきこもり当事者たちが支援者たちに対象化・客体化されるのを嫌うことにも通じる。
マリー・アントワネットはパリへお嫁入りする前、ウィーンの皇族の少女だった頃からもともとひきこもりの心性を持つ女の子であったのかどうか。それは私も知らない。
しかし彼女は、他者の視線にさらされつづければ、表面的に恵まれた生活をしていても人はひきこもりになるのだ、ということを身を以て私たちに教え、露と消えていった人なのではないだろうか。
・・・ひきこもり歴史館 第5回 へつづく
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
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