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慣れるということ

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 文・写真 ゆりな

 

慣れるということ
それは人の感情をつぶさに観察できなくなるということ

 

慣れるということ
それは些細な変化を見逃してしまうということ

 

慣れるということ
それは目の前の思いに丁寧に寄り添えなくなるということ

 

慣れるということ
それは日常にかぶれるということ

 

慣れるということ
それは心の動きが単調になるということ

 

慣れるということ
それは映る景色の儚さに気付けなくなるということ

 

慣れるということ
それは知ることを怠るということ

 

慣れるということ
それは例外を見落とすということ

 

慣れるということ
それは注意深く考えなくなるということ

 

慣れるということ
それは物事の本質を追えなくなるということ

 

慣れるということ
それは周りの情報に振り回されるということ

 

慣れるということ
それは権力の後ろに身を潜めるということ

 

慣れるということ
それはその事実が当たり前になるということ

 

慣れるということ
それは分かりづらいものを排他するということ

 

慣れるということ
それは瞳に諦めが混じるということ

 

慣れるということ
それは自分を裏切るということ

 

慣れるということ
それは強くなるということ

 

慣れるということ
それは成長の証

 

 

慣れるということ
それは『私』がいなくなるということ

 

慣れるということ
それは弱さと対等でいられなくなるということ

 

慣れるということ
それは尊いものではなくなるということ

 

慣れるということ
それは日々の平穏を忘れるということ

 

慣れるということ
それは慈しむ心が零れ落ちてしまうということ

 

慣れるということ
それは傷ついた記憶がかさぶたになるということ

 

慣れるということ
それは苦しみに目を向けられなくなるということ

 

慣れるということ
それは、私にとって世界に絶望するということ

 

慣れるということ。
慣れが生む命の恒常性に、
私は、組まんとする指先の震えを噛み締める。
それは今の私に、生の維持と屍のきわとの選択を迫っているということ。   

 

<プロフィール>

執筆者  ゆりな
2018年2月にひきポスと出会い、物書きデビュー。
以降、自身の体験や心に触れる違和感・痛みを書き綴る。
自己否定の限界が訪れた先で、社会とぶつかった接点に残る傷は、今も薄い皮膜を帯びながら、「生きること」への恐怖を訴えてくる。
苦しさの根源に向き合い、自己と社会の-あわい-の中で、言葉を紡いでいけたらと思う。

 

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