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私がひきこもりになった原因を考えてみた

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文・杉本しほ

現在進行形でひきこもりである、私がひきこもりになった根本原因を記しておきたくて書きました。現・ひきこもりの心の支えや、支援者・ひきこもりの周りの方々に心理を知っていただけたらと思います。あくまで私の経験なので、もちろん全員には当てはまりません。それを承知の上でご覧いただけると幸いです。

この3つが私がきこもりになった根本原因です。

・心安まる居場所が自室になったこと

・病気で気力と体力がなくなって、頻繁に出かけられないこと

・自己肯定感を育てても壊される環境

それらを私の体験談を踏まえて、説明します。

 

心安まる居場所が自室になったこと

まず、通常の状況として、家が心安まる場所ではありませんでした。「勉強しなさい」「そんなことしている暇があったら、家のこと手伝って」「あなたのために言ってあげてるんだから」の言葉が原因です。手伝って当然、良い点を取って当然、……母の理想が膨れあがりました。最初は旅行や出かける用事を作りまくって、家に居る時間を少なくしていました。でも、今ではその気力もないから、自室に引きこもっています。全ての行動は自分の心を守る手段です。

学校でうまくいっている間は、「家で頑張る」「学校で休む」というように上手に回っていました。でも、私が小学6年生のとき、いじめに遭ってから「家で頑張る」「学校でも頑張る」になってしまいました。私は、全部を頑張ることができませんでした。

 

病気で気力と体力がなくなって、頻繁に出かけられないこと

中学二年生で突発性難聴と診断されました。左耳が聞こえなくなり、耳鳴り・回転性の目眩が酷い病気です。当時も真夜中に目が覚めると、左耳が聞こえなくて、立ち上がると回転性の目眩で天井が回っているように感じました。原因は不明で、医師には「ストレスがいちばんに考えられる」と言われたので、ストレスだと思っています。

当時も、学校で倒れて母が迎えに来てくれましたが、第一声が「お前のせいで皆勤じゃなくなった」でした。正直、私にはそういった心ない言動ひとつひとつが私にとってはストレスです。そんなに子供がいることが迷惑なら、産まなきゃ良かったのにと悲しかったことを覚えています。

それから、体調が悪くて、何にもまともにできませんでした。完治はしたはずなのに目眩と耳鳴りが止まりませんでした。気が付けば常に「ここから落ちたら死ねるかな」とか、消えること、死ぬことを考えてしまって、中学を死んだ目で乗り切ります。親に認められず、学校でいじめられている私の人生に、何の希望も感じられませんでした。

そして高校一年生の秋、メニエール病として再発しました。それがきっかけで不登校になりました。現在も完治はしていません。ストレスが溜まると目眩・耳鳴りが悪化します。そういった状況において、外出が難しくなり、私の居場所が自室だけになりました。

 

自己肯定感を壊される環境

話し合っても、無駄だった記憶しかありません。最初に自分の意見を伝えると、いつも通り「私だって苦労していた」と大して考えもせずに返答されました。父は「俺は何もしていない」と言っていましたが、それがいちばんの原因だと思います。精神科に連れて行って、一緒に話を聞いても他人事。

私の両親は、成果は干渉して自分たちのものにするくせに、問題ごとになると「あなたの問題」にしてきます。

そういったこともあって、「生まれてきたこと自体が間違いだった」「消えてしまいたい」という考えが強まりました。例えば、横断歩道を渡っていると「車に引かれて死んでしまいたい」、ロープがあれば「これで首を吊ってしまいたい」と自然に考えてしまっていました。

自己肯定感が高い状態とは、根拠のない自信を持っていることです。そのままの自分を受け入れられる人は「成績が優秀だから」自分を認められるわけではありません。ただ、存在しているだけで、全て大丈夫なんです。うまくいくのは根拠なく「自分はできる!」と思って、努力した先にあります。

それも知ってか知らずか、失敗ばかりが私の人生になってしまって、自己肯定感が削られていくことしかありませんでした。

以上、私がきこもりになった原因です。