(文・南 しらせ)
地方で車が運転できない不便さは、多くの人が知るところである。しかし車社会で生きるひきこもりには、もっと深刻な問題があると私は感じている。
自動車は常識と自己肯定感の塊
「暑ぃ……」
額から噴き出た汗を腕で拭いながら、私はそう呟く。真夏の太陽の下で一人、近所のバス停のベンチに座って、もうどれくらい時間が経つだろうか。スマホで時刻を確認すると10:42だった。バスの予定通過時刻は10:23。バスはまだ来ない。
1時間に1本、バスが走るかどうかという地域でのひきこもり生活。外出の頻度は少ないとはいえ、たまの外出で使える交通手段がこのバスだけというのは、不便極まりない。
地方では通勤や農作業のために車の運転はできないと話にならない。それができない者は半人前扱いされているように私は感じる。地方民にとっての車とは、常識や自己肯定感を具現化させたものではないだろうか。よってそれができない私のような人間は物理的にだけでなく、心理的な生きづらさも抱えてしまうのだ。
目の前の道路では、自動車やバイクが大きな走行音を響かせながら行き交っている。気持ちのよいスピードで私の前を横切っていく彼らは、炎天下のなか延々バスを待つ私をせせら笑っているようだ。道路から目をそらすように足元のアスファルトをじっと見つめながら、私は過去の苦い記憶を思い返していた。
自動車教習所での苦い思い出
私が自動車免許を取得しようと思ったのは20歳の時だった。「就職のためにとっておけよ」と父に言われるまま、大学の長期休暇を利用して地元の教習所に通い始めた。
その教習所には昔の知り合いが多く通うと分かっていた。私は中学時代にいじめを受け、不登校を経験している。だから中学時代の同級生と教習所で顔を合わせるのを避けるために、免許を取る時期をあえて一年遅らせたのだ。
「久しぶり、南先輩」
教習所の受付で響いたその声の主は、私が中学生時代に仲のよかった一つ下の後輩だった。
「あ……。うん」
声がかすれて、うまく言葉にならない。周囲を見渡せば、知った顔の後輩が何人もいる。さっきから全身の汗がとまらない。一年後輩となら大丈夫だろうと高をくくっていたが、実際に彼らと再会すると、昔の嫌な記憶や気まずさが呼び覚まされていく。全然大丈夫なんかじゃなかった。
座学の試験も、S字クランクも、縦列駐車もそこまで難しくなかった。それよりも教習所の受付で、教室で、仮免試験の車内で、後輩と一緒にいる方が私には困難だった。
ペーパードライバー
それでもなんとか免許を取得した私は親の車を使わせてもらい、車道で運転の練習を始めた。しかしハンドルを握ると中学時代や教習所での嫌な記憶が蘇り、冷静に運転できない。もともと不安が強い性格も手伝って、事故を起こしてしまうのではないかという恐怖が私の視界を黒く覆った。
同年代のみんなは当たり前に学校に行ったし、車も運転できる。しかし私にはそれらができない。大人になっても何も変わっていない。その事実が私の自己肯定感をさらにそぎ落としていった。
そんな日々が長く続き、私は完全なペーパードライバーになった。一応身分証明書として更新し続けているゴールド免許に映った私の表情は、冴えない。何度免許の更新をしても、過去の辛い記憶と自己肯定感は更新できない。
車の走行音にはっとして、私は顔を上げて意識を現在に戻す。また一台の車が目の前を通り過ぎ、吹き抜ける風が私の前髪をふわっと揺らす。さっきの車を運転していたのは、誰だったろうか。一瞬見えたその横顔に中学時代の同級生や、教習所で一緒だった後輩の輪郭が重なる。
スマホで時刻をもう一度確認して、私はバスが来る方向を何度も何度も確認する。バスはまだ来ない。真夏の日差しは一層強くなり、粘っこい汗が目に入ってジンジンと痛む。バスはまだ、来ない。
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執筆者 南 しらせ
自閉スペクトラム症などが原因で、子ども時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。現在はB型作業所に通所中(ひきこもり生活は6年目)。