ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

生きる意味が分からないまま23歳になった、ひきこもり女子の戯言

f:id:hikipos:20201002172252j:plain

(杉本しほ)

 

いつからだろう。悟ってると言われるようになったのは。生きるのがつらくなったのは。欲望が思い出せなくなったのは、精神疾患になってから、「好きなこと」が分からない。

 

「好きなこと」が目の前にあっても「こんなもの、どうせ役に立たないのに。どうせ死ぬのに、意味のないことをしてもしょうがない」と諦めるようになった。

 

ただ天井を眺める日々で、ネガティブな思考が入ってきたら、当てもなく延々とスマホゲームをするだけ。別に楽しくもない。ゲームが本当に好きなら、大会のひとつにでも出ているでしょう。趣味の仲間とつながろうとするでしょう。そんなことはしなかった。現実を考えないように、手っ取り早い方法としてゲームをしていた。それを取り上げられると、やっぱり死にたいと思うようになる。

 

人に「死にたい」と言ってしまう理由

家族から見ると、怠けているように見えるのかもしれない。でも、それはきっと、死なないようにするための最善策なのだと思う。



人に「死にたい」と言ってしまうのも同じ。自分の中に死にたみが一定数、溜まってしまうと、自殺を実行してしまうから。その前に、身近にいる人にアウトプットしてしまう。もちろん迷惑で、相手は訳がわからないだろうけれど、そのときは生死を彷徨っているので、お構いなしに死にたいと言ってしまう。

 

もし言ったとき「いっつもそれだね。どうせ本当に死ぬ気はないんでしょ?」とでも突き放されてしまうと、死にたみが溢れて自殺を決行するだろう。私は、実際にこれで、飛び降りようとしてしまった。降りる前に地上を見ると、高所恐怖症のせいで怖くて実行できなかったけれど。

 

死にたくて欲が思い出せないのは、たぶん、他人を優先しすぎて、自分を殺して生きてきたからだろう。悟ってるとよく言われる。精神科に行っても「好きなことをしてください」と言われる。そう聞いても、自分の好きなことがひとつも思い出せない。クローゼットを見ても、利便性と着回しのしやすさを優先して買ったような、無地の白と黒とデニムしか出てこない。最近になって、色のあるお洋服を選ぶ良いになったけれど、それまでは地味で悲惨だった。

 

きっと、ひきこもりの私は、人生の楽しいことを知らなさすぎる。なにが楽しいのか分からないから、無気力になっちゃって、そしたら、生きてる意味まで分からなくなっちゃった。

 

本当は親に言いたいこと

ひきこもりの親御さんや、私の親や知り合いも見ているかもしれないけれど、問いたい。好きなこと、考えずに出てきますか? やっていますか? 世間ばかり気にしていませんか?

 

親に、そういうことをずっと聞きたかった。私の両親は趣味や友人が少なくて、とにかく真面目だったから。私も、生きることの楽しさが分からない。むしろ嫌いでしょうがない。私も人生も他人もね。他人から恵まれているように見えても、こころの中は空っぽのまま。依存に走った。いまはゲーム。自分の好きが分からないまま、好きなことを見つけても、楽しくなんてならない。欲望に呑まれてしまうだけ。

 

同じ欲望でも、本当の好きなら、人生を楽しくする材料になると思う。

 

自分にも、他人にも、変に制限しなくていいよ。いままでやってなかったことをすると、やりすぎるひとがいるかもしれないから言っとくけれど、ちゃんと法と秩序は守る。例えば「コンビニで好きなだけお菓子買って食べながら、夜更かししてドラマ観る!」とか、そういうこと。自分で考えること。他人の欲望を実行したところで満たされないはずだから。

 

今日もなんとか、生きればそれで。