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ひきこもりがコロナ禍で感じたこと その2

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 (文・南 しらせ)

ひきこもりの私が、コロナ禍を過ごす中で思ったことや気づいたことを思いつくままに書いてみました。前回に続き第2回です。

家族との関係について

私の家族は全員「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる仕事についており、コロナ禍でも業務がリモートワークに切り替わることなく、以前と同じように出社している。だからコロナ禍になっても、私は日中はこれまで通り一人で家にいる。でももし家族の誰かがリモートワークになって一緒に過ごすことになったら、私は家の空気を重苦しく感じるのかもしれないと想像する。

普段私がひきこもっていて家から出ないので、これまで私と家族が距離を取るためには、家族の方が外出する必要があった。それがコロナによって必要以外の外出ができなくなったので、みんな家にいることが多くなった。特に大型連休中は、家族全員の休日が重なって家の人口密度が高かったので、いつもとは違う居心地の悪さのようなものを実際感じた。

コロナ禍によって家族の関係が特に悪くなったわけではないけれど、「将来親が仕事を定年退職して家にいることが増えたら、毎日こんな感じの生活になるのかなあ」とこれから先の家族との関わりを考えるきっかけになった。そういう生活にも慣れていくのだろうか。

コロナ禍で社会のそれぞれの役割について考える

コロナ前はひきこもっている自分は何も出来ていないと思っていた。しかしコロナで外出自粛が求められるようになってからは「働けてはいないけど、ステイホームには貢献できている」、「自分は無職だけど、感染拡大を防ぐ力にはなれている」という変な肯定感(あとは自分が家にいることを正当化しようとする気持ちも)を感じていた。

しかしエッセンシャルワーカーの仕事をしている家族や、TVで見る医療従事者や生活困窮者などを支援する人たちの姿を見ていると、コロナで外出自粛が求められているからといって、「全員が家にひきこもっていれば問題解決!」というわけにもいかないんだよなと考えた。コロナ禍にあってもみんなそれぞれに事情や役割があって、そういう全員を含めて社会なのかなと思った。

コロナ禍になって自分が家にいることが正しいみたいに感じるのは、普段のひきこもり生活の自信のなさの裏返しだ。でもコロナ前の私のひきこもり生活にもなんらかの役割のようなものがあったのだとしたら、もともとそんなに卑屈にならなくてもよかったのかなとか色々なことを今でも考えている。

「コロナ禍だから家にいるひきこもりが偉い」などと考えるのではなく、みんながそれぞれのポジションでできることをやるしかないのかなと思っている。

新型コロナワクチンのこと

新型コロナのワクチン接種が進んでいるが、現時点で私は接種するかどうか迷っている。理由は色々あって、例えば、私がかなり過敏な体質なので普通の人より副反応が強く出そうな不安などがある。それから接種会場まで行って帰る体力も心配だ。

加えて接種会場で知り合いとばったり出くわしたら嫌だな、という精神的な負担も大きい。ワクチンを打つだけで何も後ろめたいことはしていないのだが、色々な不安で余計に体調が悪くなって、会場で倒れたりしたら最悪だなと思う。

ただ我が家は父に基礎疾患があってコロナに感染すると重症化してしまう恐れがあるので、家族のためにも打っておきたいという気持ちもある。特に普段外出頻度の少ない私が家族にコロナを感染させたとなれば、家族に対して申し訳ないという気持ちが大きい。だから「ひきこもっている自分は、決してコロナになってはいけない」という変なプレッシャーがあるのだ。

こういう時に周囲に気おくれしない社会的な立場や、ワクチン接種の不安を聞いてくれる信頼できる人がいてくれたらいいのになと思う。

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執筆者 南 しらせ

自閉スペクトラム症などが原因で、子ども時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。現在はB型作業所に通所中(ひきこもり生活は6年目)。

 

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