ひきこもり経験者による、約1000文字のショートショートをお届けします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。
高次脳昨日障害
「僕が、高次脳機能障害ですって?」
「いいえ。高次脳昨日障害です」
昨日……?よくわからないが、病室で医者に言われたのだ。信じるほかない。僕に障害の診断が下りたのだ。
前から生きづらいとは思ってきたけれど、まさか自分に障害があったなんて……。
「どんな障害なんですか?」
医者に聞くと、
「脳の中で『昨日』が発達しすぎて、『今日』を侵害してしまうのです。そうなると、『今』がおろそかになってしまいます。昨日のことが、たった今起きているように感じられてきたのではないですか?」という。
たしかに、思い当たる節がある。
昨日起きたささいなことや、人から言われた言葉が、一日たっても消えないのだ。「昨日」にとられて、「今日」が弱くなってしまうとでもいおうか。
そのせいで仕事が手につかなかったり、何もしていないのに、あっという間に一日が過ぎ去ったりしていた。
「対処法はあるんですか。教えてください」
「よく効く薬があります。『今日壮剤』を出しておきましょう」と医者が言う。
「強壮剤ですか?」
「いいえ。『今日壮剤』です。『今日』を強めて、過去にのまれないようにするためのお薬ですよ。」
今日を強める……?そんな薬があるとは。医学の発達はたいしたものだ。
「これまでのあなたは、『今』ではない時間を長く生きていたんです。過去のことを思い悩むか、でなければ将来の不安にとらわれていました。しかし、大事なのは『今』です。昨日でもなく、明日でもなく、大切な『今日』を生きるのです」
思い返してみれば、これまでの僕は、どこか自分が自分ではない感覚にとわわれてきた。
たくさんの「昨日」とたくさんの「明日」が、僕の「今日」を押しつぶしてしまっているかのようだった。
はたして、自分はこれから変わっていけるだろうか。
僕は医者の説明を真剣に聞いた。そして自分の境遇をじっくりと考え、不安と期待の両方を抱きながら、立ち上がって診察室を出ようとした……
――というところで、僕はそれが昨日の出来事だったことに気がついた。
今日の朝食後に「今日壮剤」を飲んだので、さっそく効き目が表れたのかもしれない。
窓からは十月のやわらかい陽射しが差しこみ、秋風がカーテンを揺らしている。
漂ってくるのはキンモクセイの香りだ。
いま、この瞬間、僕は「今日」の自分を生きていた。
END
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文・絵 キクイ ヤシン
1987年生まれ。詩人。不登校とひきこもりと精神疾患の経験者で、毒親育ちのゲイ。Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは無関係です。
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