文・井口(仮)
編集・ぼそっと池井多
長い間、
僕には自分の境遇や問題意識を語りたいという想いがありました。
「ひきこもり」という問題に関心を持ったのは、
今から約13年前、2009年の4月から、
初めての求職活動を始めた際、
様々な公的な就労支援機関を巡り歩いたときのことでした。
支援機関で受けた対応に疑問を持ち、
「ひきこもり」の問題が語られる際、
支援機関での状況が語られていないことに気づいたのがきっかけでした。
公的な就労支援機関は、
「ひきこもり」など社会参加に困難を感じている人が、
社会に参加するためのきっかけをつかむ場所であり、
その目的のために公的な資金が投入されている機関であるはずだと思ったからです。
この求職活動中の出来事を語ることは、
「ひきこもり」の問題や、
「社会参加」についてや、
これからの「支援」を考える上でも、
また僕が自分の境遇や問題意識を語るためにも、
有意義なことだと思っています。
人間社会に参加していない意識
僕は生まれつき、
ある障害を抱えて産まれました。
その障害のために社会では普通に幸せには生きていけないと思ってきました。
そして、
自分の障害を他人に知られることは、
社会的な死に繋がると思ってきました。
そのような不安から、
僕は狭い世界にひきこもっていた、
というよりは、
人間社会に参加していないという意識がありました。
そのため、
僕は、
この社会に参加して得られる利益を享受できない以上、
この社会に参加することで被る不利益からも免れる権利がある、
という論理をつくりあげていました。
仕事というものをあまりしてこなかった理由には、
精神的、身体的な理由もいろいろあったと思いますが、
労働意識が低かったから、
という理由も少なからずありました。
一方で僕は母にいろいろ無茶なお願いをしてきました。
それも、そのような論理によって、
仕事をしないことや母に無茶なお願いをすることを、
正当化できたからだと思います。
同時に、
その論理は自分自身と家庭内にしか通用せず、
市民社会では通用しないことも承知していました。
自分自身や家庭内にしか通用しない論理である
と思いながら生きてきたという意味では、
僕は社会的ひきこもりだった、
と言えるかもしれません。
今から約18年前、
23歳になる年に、
治療をすれば、
僕の生まれつきの障害による症状が改善していくことを知り、
いくらか未来が明るくなり、
希望を感じました。
視力矯正の不具合を抱える
しかし、
同じ頃、
とても不幸な出来事が起きました。
現在まで僕の社会生活を困難にしている最大の原因でもある、
視力矯正の不具合を抱えるようになったことです。
視力矯正の不具合とは、
医学的には眼の病気や異常はないのですが、
眼鏡やコンタクトレンズなどの視力矯正器具を装用しても、
視界の歪みやボヤけ、頭痛、違和感などが生じ、
またそれらに伴い、
身体全体にも不調が生じて社会生活が困難な状況です。
1日のうちで何度も
コンタクトレンズを入れ替えたり、
メガネを掛け変えて
視力や視覚の具合を調整しているので、
とても疲れます。
特に、
それが始まった当時は、
作った眼鏡を掛けると視界の歪みや頭痛が凄まじく、
胸に動悸がして、
目的地に向かって歩くのが精一杯の状態でした。
当時の僕は法学部の学生だったのですが、
本を読むのが大変で、
文章が読めても、
読むことを楽しんだり考えたりする余裕がなく、
勉強をすることは殆ど諦めざるを得なくなりました。
それでも、
何とかギリギリ単位を取得し大学を卒業した後、
「やっと自由になれる!」
と思い、
ボクシングジムに行ったり、
バンド活動をしながら、
学校時代にやりたくてもできなかったことをやり、
何とか失った年月を取り戻そうとしていました。
でも、
生まれつきの障害に対しては希望が持てたものの、
視力矯正の不具合を抱えてしまったことで
何をやろうとしても身体の限界を感じるようになり、
色んなことが上手くいきませんでした。
そんな中、
26歳の時にキックボクシングを始めて、
時には週5日通うほど熱中して、
体育会系の世界の楽しさを感じることができました。
キックボクシングのジムを辞めてから
本当はプロのキックボクサーを目指したかったのですが、
側弯症という背骨が曲がってしまう障害を抱えていたので、
人前で裸になることに抵抗を感じ、
その道は諦めることにしました。
視力矯正の不具合を抱えていることや
生まれつきの障害のことも影響していたかもしれません。
働いていないことも理由としてあった気がします。
練習して強くなっても試合に出ないため
段々とジムに居づらくなりました。
そこで、
社会に出て仕事をすることで、
視力矯正の不具合を改善する方法が見つかるかもしれない
ということを期待して、
初めて求職活動を始めることにしました。
冒頭に書いたように、
その過程で就労支援機関を巡り、
そこで受けた対応に疑問を持ち、
「ひきこもり」の問題に関心を持つようになったという次第です。
僕の得た経験や問題意識を伝えるために、
様々なひきこもり関係の集まりやイベントに参加してきましたが、
問題意識を共有できる方とは出会えず、
自分の境遇や問題意識を伝えていく方法も分からず、
途方に暮れていました。
もはや、
自分の境遇や問題意識を伝えていくことは無理だと思い、
この13年間、
再び求職活動をしたり、
コーチングを活かしてビジネスをしようとしたり、
様々な道を探しましたが、
やはり、
自分の境遇や問題意識を伝えていくことを、
諦めることができませんでした。
そして今、
HIKIPOSで記事を書く機会を頂き、
ここで「ひきこもり」の問題を通じて、
自分の境遇や問題意識を語り始めることにしました。
「ひきこもり」という概念は、
人々を繋いだり、
今の社会を問い直したり、
今まで声を出せなかった人たちが声を出せるようになったり、
新しい社会や未知の世界を創造できる、
とても可能性のあるキーワードだと思います。
その可能性を最大限に活かせることを目指して、
これからこのシリーズで
自分の境遇や問題意識を語っていければと思っています。
・・・第2回へつづく