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何がひきこもりを生み出しているのか?【世界のひきこもり】お隣の国、韓国のひきこもり事情  第4回

Photo by Sean Lee / Unsplash, Resized by Vosot Ikeida

文・ぼそっと池井多(在 東京)

取材協力・大草稔(在ソウル)

 

第3回からのつづき・・・

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韓国でひきこもりになる社会的背景

韓国のひきこもりの背景は日本と比べてどのような特徴があるだろうか。
両国は社会構造が似ているため、ひきこもりの特徴にも共通点が多いが、いくつか興味深い相違点もあり、そこに韓国社会の反映を見い出すことができる。

 

 

学歴競争

日本と同じように不登校からそのまま大きくなって成人のひきこもりになるケースは韓国にも多い。青少年が不登校になる背景には、本シリーズの第1回(*1)で詳しく述べたように、日本を上回る厳しい受験社会がある。


韓国では受験で失敗して再起不能になり、ひきこもりになる事例も多い。 
単純な学歴による差別や競争以上に生きづらさの原因となっているのは、教育を中心として家庭が回り、勉強のできない者や学校に適応できない者を努力不足として叱責する文化である。

個人の向き・不向きは考慮されず、大学受験も興味関心ではなく内申点や大学修学能力試験の点数によって可能な限り点数の高い大学・学科に行かせようとする親や教師が多い。


座学に徹底した詰め込み教育、厳しい校則と非常に硬直した学校文化は、当然のことながらそれに適応できない子供を大量に生み出している。しかし、学校の勉強で落ちこぼれたからといってそのまま人生の落ちこぼれになるわけではないのに、韓国の社会では学校で落ちこぼれたものに対する社会の受け皿がない。

高校中退・大学非進学の青少年のための「学校外青少年支援センター」が全国で運営されているが、そこでは彼らに「行っていない学校の埋め合わせ」をするだけで、大学進学とは別の道を歩めるようにはできていないし、韓国は学歴に負い目を感じる若者が社会の中で自分の居場所を探すことが困難な「超ハイスペック社会」になってしまっている。

 

*1. 本シリーズ 第1回 「韓国は厳しい受験社会https://www.hikipos.info/entry/2021/07/22/070000

 

規範文化

ある程度、日本社会にも通じるところがあるが、
「こう生きなければいけない」
「こうしなければいけない」
という規範意識が韓国社会では非常に強い。

そういう文化や風土が国全体を覆っているため、なかなかそこから外れて生きることはむずかしい。
はみ出し者への風当たりは強く、特に親がこの規範意識を強く持っているほど、それがそのまま子どもの無意識にインストールされ、子ども自ら自分の規範意識に苦しんでひきこもることが多いのは、日本と同様である。

 

家父長制文化

大統領だった人が退任後に次々と逮捕されてしまうといった事件を見るため、韓国では政治的な民主主義が深く浸透している印象を持っている日本人は多いことだろう。たしかに近代以降、韓国は政治に関して民衆が声をあげる文化を培ってきた。

ところが、その民主主義は家の中には適用されない、という問題が指摘されている。
夫婦関係で妻が弱い場合は、母親ががまんしてしまう。あるいは親子関係では子どもががまんしてしまう。韓国では親の権力は絶対であり、いわゆる「不良」の若者であっても親の前ではタバコを吸わないし、ぞんざいな言葉遣いはできない。

 

地方性

慶尚道

韓国のひきこもり相談の現場では、
「父が慶尚道キョンサンドの人なので……」
という言葉を聞くことが多いという。

「慶尚道」とは、大邱テグ釜山プサンを抱える韓国南東部に位置する地域であり、家父長制が強く残り、韓国の中でも最も保守的であると言われている。

無口で家のことに無関心、子どもや妻の言うことに耳を貸さないという父親、そしてそのような家庭に育ち、自身の感情を抑圧することに慣れた母親が、子どもの感情を抑圧し、行動をコントロールすることで自身の心のバランスを保とうとする。このような世代間連鎖のある家庭環境でひきこもりが生成されやすいことは想像に難くない。

また中央から離れた地方において保守的な風土が形成されるのも、韓国に限った話ではないだろう。

 

急速な経済発展と不景気

本シリーズ第3回に詳しく述べたように、1997年アジア通貨危機から始まる韓国社会の劇的な変化があり、それによって家庭が荒廃したり、若者の雇用がなくなったことが、韓国にひきこもりが増えた遠因と言われている。

 

宗教人口が多い

韓国の宗教人口の割合

韓国は仏教15.5%、キリスト教(プロテスタント)19.7%、キリスト教(カトリック)7.9%と、宗教を信じている人口の割合が日本より多い。韓国で無宗教の人は56.06%(*2)であるのに対し、日本では64.0%(*3)である。

 

*2. 2015年Korean Statistical Information Service (韓国統計庁)の数字を基に算出

*3. NHKによる2018年のアンケートの回答を基に算出

 

 

 

 

正しさの呪い

日本でも昨年より旧統一教会の問題に関連して宗教2世の問題が前景化しているが、カルト的教団をはじめとして、本人の選択によらず何かの宗教規範を背負わされている子どもが生きづらさを抱えることは、全世界的に広く知れ渡るところとなった。

しかし、それにもまして多くの若者が見えない生きづらさを抱える原因となっていると思えるのは、カルトでない「正統な」宗教であっても、それを信じる親が強く持つ「正しさ」への信仰である。

強くなければならない。正しくなければならない。努力しなければならない。優秀でなければならない。成功しなければならない……。

そういった価値観はつねに正論であり、そのような親の思想信条に支配された子どもは、その価値観に合わない「恥ずかしい」自分の姿や否定的な感情を隠さなければならないと思い、自らの感情を押し殺すようになる。

 

こうしたことは、いわゆる宗教というかたちを取った「正しさ」に限らない。
たとえば教育、資本主義や競争原理、民主主義や左右いずれの政治思想であっても、そのような形を取る「正しさ」によって親が子を支配すると、子は反論の余地のない価値観をふりかざす親を否定することができない。ひきこもり当事者の多くに反抗期が思春期に起こらないことも、これによって説明できる。

こうして親はつねに正しく、子どもはつねに間違っていることになる。子は親の「正しさ」を自らのなかへ内在化させ、つねに自分を監視し、叱責し、否定する超自我として培養するようになる。

古来より「生老病死」というように、どの時代や環境の人であっても、生きていれば必然的にさまざまな苦しみがやってくるし、生きることはつらい。しかし多くの場合、「それでも自分の人生を生きる」という醍醐味から得られる手応えが高次元な快楽をもたらし、それによって苦しみやつらさが相殺され、再び力を得て生き続ける気力を保つであろう。たとえば労働が快楽である人などはその例である。

そこに一種の報酬系が生じているのである。すると、
「自分はなぜこんな苦しい人生を生きているのか」
と自問する必要も生じない。

ところが、親から与えられた「正しさ」を生きていると、「自分を生きる」という快楽が得られず、苦しみやつらさだけを味わっていく人生となる。こうなると、いくら経済的に恵まれた生活をしていても、人生は苦しくつらいだけであり、楽しくも快くもない。報酬系が機能していないのである。

すると、「自分はなぜこんな苦しい人生を生きているのか」という自問が生じる。「人生の意味」「生きる意味」を考えてしまうのである。こうなると、実存的な、あるいは宗教的な回答でもつかまないかぎり、泥沼から這い上がることはできない。

結果として、「生きづらさ」を感じるだけで、自分の人生を純粋自発的に開花させることもなく、つねに自殺志向を潜在させながら生きていくようになる。このような「正しさの呪い」は、子どもをひきこもらせる最も大きな力となって作用していると思われる。

 

現在、日本でいう「中高年ひきこもり」に年齢が達しようとしている韓国のひきこもり当事者たちの中には、親がアジア通貨危機のあおりを受けて生活が破綻したり、精神的に不安定になり夫婦仲が悪くなるなど、家庭環境の悪化がひきこもりの遠因と思われる人々が目立つ。

また、親が経済危機を経験したため、子に「稼ぐこと」や「安定した仕事に就くこと」を求める圧力が強くなったという要因もある。

いっぽう、子どもの世代は「働きたくてもそれ相応の仕事や能力がない」、「いくら働いてもまともに稼げない」というのが社会であると認識しているために、この点において親世代と子ども世代との間で大きなギャップを生じさせている。

これはちょうど日本で「昭和の大人」と「平成育ち」のあいだで考え方が根本的にちがうために話がなかなか通じず、家庭内のコミュニケーションが停滞する現象に対応しているといってよいだろう。

同じような世代間ギャップが、日本の場合は1991年のバブル崩壊、韓国は1997年のアジ化通貨危機を境に起こっていることは、本シリーズ第3回に述べたとおりである。

 

韓国徳寿宮 衛兵交代式 Photo by 一獣 / PhotoAC

 

村祭りがない

日本の町や村では、それぞれ古来から伝わる年中行事として、神社仏閣を中心とした祭りが催される。こうした祭りの開催は、地域の人間関係を深める良い機会であったりする。ところが、韓国の町や村には祭りがない。

昔、封建時代の身分制度が厳しかったため、貧困に苦しんだ下層階級の民衆は貴族である両班ヤンバンに対してしばしば反乱を起こした。日本の百姓一揆、一向一揆のような蜂起である。

歴代の支配者は、こうした民衆の蜂起を恐れ、民衆が集まる機会をことごとく禁止してきた。そのため祭りのような行事習慣が根絶やしにされたのである。そしてこれは日本の占領下において決定的となった。

祭りがないことは、現代の韓国の若者が社会に居場所をなくし孤立している状況に関わっているとする識者も多い。そこで近年の韓国では町おこしを兼ねて、花火大会、灯籠祭り、泥んこ祭りなどが改めて創始されているが、これらは自治体や有力な宗教団体や企業がお金をかけて実施しているイベントというイメージが強く、地域住民が自発的に参加する伝統的な祭礼とはかけ離れているのが実態である。

 

南北の境界線、板門店(パンムンジョム) - Photo by PhotoAC

兵役がある

韓国では徴兵制が採用されており、兵役の義務が憲法で規定されている。
すべての男性の国民は、満18歳から満19歳になるまでの間に徴兵検査を受けなくてはならない。この検査によって、軍隊服務として務めるか、役所などで公益服務で務めるか、兵役免除になるか、などが決まる。

軍隊服務の期間は陸軍18ヵ月、空軍21ヵ月とまちまちであり、またこの期間も年によって変遷しているが、これを終えて除隊(*4)するまでは、国民としてのいくつかの権利が制約されている。


ひきこもり当事者の父親の中には、自分の息子が軍隊に入って性根を叩き直されて帰ってくることを期待している人も多い。

ひきこもりと兵役との関係も、当事者ごとにじつに多様である。

中には軍隊へ行くのがいやで、兵役を拒否し裁判にかけられる当事者がいる一方で、軍隊にいる間は上からやるべきことを指示してくれるので、とくに問題もなく適応していたが、除隊してから何をしてよいかわからなくなってひきこもりになる者もいる。

また、軍隊に服務したものの、精神不安などにより環境に適応できないため軍隊生活への不適応者とみなされ常に監視される保護関心兵士(*5)になり、あげくの果てに除隊になったり公益服務へ回されたりする者もいる。

ひきこもり相談機関の実感では、兵役の年代をすぎた男性ひきこもり当事者のおよそ4割はすでに兵役をふつうに終え、残り6割が公益服務か兵役免除だという。

 

*4. 除隊 正式には、現役軍隊から予備役へと所属先が変わるだけなので転役という。その後も8年間は予備役として再訓練のため年に数回召集され、40歳までは民防衛として年に1回の訓練を受けなくてはならない。

*5. 保護関心兵士(보호관심병사)精神的・心理的に問題があり軍隊生活への適応がむずかしいと判断された兵士のことで、日本語では「要注意兵士」と訳されることもある。要注意の重度順にA級、B級、C級に分類され、A級は前線部隊には配属されない。

 

 

 

……お隣の国、韓国のひきこもり事情 第5回へつづく

 

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