
シリーズ・私のひきこもり体験 ~隠された子供~
文・はな 編集・石崎森人
あれだけ学校が苦痛だったのに、私は不登校になることはできなかった。なれなかった、というのが正しい。中学の時、仲の良かった友達が不登校になったことがあった。私はその子と変わらずに遊んでいたのだが、それを見た母親は、私を激しく責め立てた。
「あの子に感化されて、あんたも不登校になりたいんでしょ」
なぜ辛いのか、なぜ学校に行きたくないのか、そういうことを聞かれる前に、決めつけられてしまった。「そういう友達と関わるのはやめなさい」とまで言われた。勉強ができて、みんなにちやほやされたら学校も行きたくなるだろう、とも。そんなわけがないのに。その時、私はもう、この人に私の気持ちを分かってもらうのは無理なのだと諦めた。重たい体を引きずりながら、私は学校に通い続けた。
交換ノートだけが救いだった
そんな中学校生活での唯一の救いは、一人の友達の存在だった。違うクラスにいたその子も、私と同じ「オタク」で、私たちは絵の交換ノートをしていた。私がなぜ学校に行けたかというと、その子に交換ノートを渡すため、ただそれだけだったと言ってもいい。もしその子がいなかったら、私は本当に自殺していたかもしれない。それくらい、その存在が私の支えだった。
好きなアニメの話がしたくて、「朝、一緒に学校に行けたらいいね」と私が言うと、その元気な友達は「じゃあ、私、毎朝はなちゃんの家の近くまで行くよ」と言ってくれた。話す時間が長くなるから、と。私は無理しなくていいと断ったが、彼女は「行く行く」と言って、中学二年生の頃から卒業式の前日まで、本当に毎日のように私を迎えに来てくれた。その子がいるから、私は朝、目を覚まし、学校へ向かうことができた。
絵だけが道だった
地獄のような中学校生活が終わりに近づき、高校受験のシーズンがやってきた。塾には通っていたものの、私は自分の学力に全く自信がなかった。私にできること、得意なことといえば、オタクだから続けていた絵を描くことくらいしかなかった。
そんな時、ある私立のデザイン系の高校に、推薦入試の制度があることを知った。その試験内容は、面接と、三時間で自画像を描くというものだった。学力テストがない。これしかない、と私は思った。普通の受験をして、普通科の高校に行く自分の姿など、到底想像できなかったからだ。
私立だからお金がかかる。うちにはそんな余裕はない。でも、私はもう無理を押し切って、両親に頭を下げ続けた。「ごめんなさい、本当にごめんなさい」と何度も謝り、「塾もやめるから、この高校一本にしたいんです」と、必死でお願いした。驚いたことに、それは許された。私の言い分が、人生で初めて通った瞬間だった。
面接には自信があった。怒られたくない一心で、受け答えだけは完璧にできる。軍隊の兵士のように、ハキハキと返事をすることもできる。だから大丈夫だろう、と。あとは、三時間で自画像を描く練習だけをひたすらやった。
そうして私は、みんなが受験勉強の真っ只中にいる二月に、高校への入学を決めた。(続く)
