ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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ひきこもり経験者サイトウマコトさん前篇「人が仕事を選ぶのは自由。でも、ぼくはこうして社会とつながった」

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まこっちゃん(サイトウマコト)さん

編集・文・写真 ぼそっと池井多

解説

2018年9月29日、西東京市田無公民館において、現在「庵-IORI- 」「ひきこもり大学 in 下町」ほかの活動を精力的におこなっている、ひきこもり経験者「まこっちゃん」ことサイトウマコトさんが体験談の講演を行なった。講演を企画したのは、田無公民館と西東京市TOMOPO(共歩)の皆さんである。

この講演は2か月ほど前、同年7月に予定されていたのだが、台風のため延期になっていた。ところが、新しい予定日に向けて再び大型台風が接近し、再び延期が懸念されたが、暴風雨がまだ小雨だった間にすべりこみセーフで敢行された。したがって私は、昭和時代に3回にわたってリメイクされた日本映画『嵐を呼ぶ男』にちなんで、ひそかに「嵐を呼ぶ男講演」と呼んでいる。

 

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会場となった西東京市田無公民館

なぜひきこもったのか

サイトウマコト

こんにちは、まこっちゃんって呼ばれてます、サイトウマコトです。

私は大学を出てから2年ぐらい本屋さんに勤めてまして、そこをクビになっちゃったんですが、そのあと転職活動みたいなことをしていたんですけど、なかなか次の仕事が決まらなくて、だんだん気分的にふさぎこんでいきました。そのうち仕事を探しに行くのも、履歴書を書いたり、面接を受けたりするのも、すべて億劫になっていったんです。

それでだんだん部屋から出なくなっていきました。いわゆる何もしてない状態。ひきこもり状態になっていきました。

25歳の時のことでした。それから28歳ぐらい、29歳になる手前まで、社会と接点がない状態が続きました。

知り合いとはときどき会うんだけど、周りの人間がどんどん結婚していったり、人生の中でどんどんステージ・アップしていくものですから、そういうのを見るのがいやで、自分から人との関係を切っていきました。そのころは「自分だけ取り残された気分」というのが、何といってもつらかったですね。

25,6歳のころなんて、ちょうどみんな結婚もするし、仕事も脂が乗ってくるころなんです。ちょうどそういうころにドロップアウトしてしまった自分を、ぼくは受け容れられませんでした。

まわりはどんどん変わっていくのに、自分だけ変わらない。毎日何もしないで、ただ寝て起きて、夜中に深夜ラジオ聴いてる。そんな日々が延々と続く。たまに家から出かけたとしても、行き先はせいぜい図書館とコンビニだけ。こうなると、だんだん焦燥感や寂寥感に苛まれるようになりますよね。

それでついつい親に当たっちゃったりとかしました。暴力はふるいませんでしたが、まあ「生まれてこなけりゃよかった」とか、さんざん言いました。あとは、昔に自分をいじめた奴をずっと恨んでいるとかね。そういう効率がよくない日々がずっと続いていたんです。そういうサイクルみたいなものに入っちゃったんですね。

親は当然、「いつ働くんだ」といいますよね。父親も母親もいいました。母親が、「お前が働かないから、お母さんもやりたいことができない」とかいうから、「おれだって生まれてきたくなかったわ」と言い返す。こうなったら、もう泥仕合ですよね。

 

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どうやってひきこもりから出たか

今日、聴きに来てくださっている親御さんたちがおそらく私に聞きたいことは、

「どうやってひきこもりから出たの」

ってことでしょうね。

 

具体的なきっかけは、3つあります。これから一つずつ、ここに「紙パワポ」で貼っていこうと思います。

一つめは、あるニュースでした。

28歳になったぐらいの時、たまたまニュースでやっていたひきこもり特集みたいな番組がありました。まあ、もっとも、それ以前もひきこもり特集みたいな番組はたくさんあって、見てはいたんだけど、馬鹿にしていたんですね。

「なんだ、こいつら。ひきこもりって、気持ち悪いなあ。

へんな奴らだなあ。おれはこんなのじゃない」

と思って見てたんです。

そのころ、「何もしない自分」というのを「無職」とすら考えていませんでした。自分が何者かわからなかった。まじめに考えたこともなかった。自分が社会でどういう位置づけに当たるのか、わからなかったんです。アイデンティティみたいなものがまったくなくて、ずっとフワフワしている感覚だったんですね。

ところが、28歳になって、たまたま民放の番組でひきこもりの人たちを観た時に、はじめて、

「これはおれだ。おれはこういう状態だ」

と思いました。自分の状態をはじめて相対化できたんです。

「そうか。おれは今、ひきこもりなんだな」と。

はじめてひきこもりだと認識しました。

28歳のときに自分がひきこもりだと受け容れた。そうすると、見えてくるんですね、いろいろなものが。

 

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ひきこもりとしての自分を受け容れると、ビジョンが見えてきて、内面との対話が始まります。はじめて「どうしよう」と。

物理的に家からは出られるけど、他人との関係が築けない。

「親がいるから、いまは家にいれば暮らしてはいけるけど、このまま行って、おれはいったいどうするんだろう」

と考えるようになりました。

うちは、親もあんまり金もくれなかったので、夜中にコンビニでカップ麺を買って食べていたら、すぐお金は消えちゃうんですよね。

もっとお金がいる。でも働くのはいやだ。履歴書を書くのいやだ。履歴書の空欄をどうしよう。面接のアポをとりつけるのがいやだ。電話できない。……とか、自分ができないことが何であるかが、だいぶ明確になっていきました。

「このままではやってけない」

ということを本能的に自分のなかで認識し始めました。

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人と話す練習を

自分はひきこもりだということがわかったので、その当時「ひきこもりナントカ支援ガイドブック」という本があったので、それを買って、関東に何ヵ所かある支援機関やコミュニティみたいな所へ電話しました。

でも、「就労の支援はいやだなあ」と思っているから、そういう所はぜんぶ飛ばしました。

そのなかで、たまたま東京シューレというところが「大人のサロン」というのをやっていました。

今でいう「生きづらさ」っていうんですかね、ひきこもりとか、ちょっと生きるのが不器用な人たちが集まってくる居場所でした。そこに電話して、スタッフさんに「どうぞ来てください」と言われて、そこへ何年ぶりかで「人と話をする」ということを練習しに行ったのです。

今でこそ、皆さんとこうやってお話しできてますけど、当時はぼくはまったく人としゃべれなかったんです。「基本、人とは距離を取る」ってことをやってました。人がしゃべっていることに、ただうなずくだけ、みたいなことしかできなかったのです。

今ひきこもってる人は、なかなか人のいる場所には出ていけないでしょうけど、おすすめできるのは、人間には本能があるんで、「あ、こいつ、やべえな」と思ったら、すぐその場で距離取っちゃうことです。

初めて行く場所でどう振る舞えばいいか、って問題があるでしょうけど、もしそれが何か公的なイベントで、開催者からいろいろな抑止力とか働いている場所だったら、変なやつが出てきても、ある程度まで何とかしてくれるでしょうから、こちらも少し安心して自分の羽を広げればいいと思います。

反対に、それが民間で、当事者会なんかで、不確定要素が強い場だったら、そこはまず何か起こるかもしれないから、自分としても腹をくくるとかすることです。いつでも逃げられるように出口の近くにいる人がよく居ますが、ああいうふうに自分なりの防衛策を持っておく。パーソナル・スペースって、みんなそれぞれ違いますからね。

それぞれがいろいろな居場所を吟味して、トライ&エラーしていくしかないかもしれません。どんなトラブルにも備えていこうと思ったら、居場所に弁護士をたくさん引き連れていくしかないんですよ(笑)。そうしたら、かえってこちらが周りの当事者を威圧しちゃうわけで。

そこで、自分の場合は、そのシューレの「大人のサロン」はリハビリと割り切って、とにかく人がいる所へ行って、人と話す練習をしてみよう、と思いました。なんか気が合う人がそこにいたらラッキーぐらいの気楽なテンションで行って、話せないなら話さなくていいから、ともかく2時間そこにいる、と。2時間居られたら、自分にご褒美をあげる、とかやってました。

それでたしかに、東京シューレには人がいっぱいいたんですが、元気なひきこもりが多くて疲れちゃいました。シューレのOBさんとか、いろいろな居場所を渡り歩いているひきこもりが多かったのです。

きっと、今のぼくは、おそらくそういう元気な人間として、人と話せないひきこもりの人たちの目に映っているんじゃないでしょうかね。

とにかく、元気で明るい人が多すぎて、ぼくはそういう場へ行くだけで疲れちゃったんで、そこはちょっと長続きしませんでした。

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他者からの承認

そこで、そこに通っていた年上の男性に別の居場所を紹介してもらいました。不登校情報センターという新小岩(現在は平井)にある場所でした。ぼくはそっちの方に住んでいるので、わりと近くで、それも気に入って、そこへ行くことになりました。

あと、そこへ行こうと思った決定打は、そこにはソファとか布団があって、いつでも寝られる、ということを聞いたからです。シューレでは人疲れして、人の中にいるだけでストレスだったので、「寝られるのはいいなあ」と思って。

そのセンターでは、居場所以外にもいろいろ細かい作業をやっていて、パソコンのデータ打ち込みとか発送作業とか、なんか作業をやると、ちょっとお小遣い程度の工賃がもらえたんですね。あとカウンセラーさんとかも常駐していたので、お話ししたりとか。そうやって過ごしていました。

すると不思議なもので、出会いがある。当時オクスフォード大学の院に行っている頭のいい女の人がいて、その人が日本の社会問題を調べてて、文化人類学のフィールドワークをやるために一時帰国してました。そこで、たまたまその人とお話ししたら、

「まこっちゃんね、西東京にオンリー・ワン・クルーっていう、ひきこもりとか生きづらさとか、いろいろな人が来るコミュニティがあって、主催者の男性の奥さんがダンサー・振付師で、クラブとか出入りしているよ。お話が合うんじゃないの」

と紹介してくれました。

なぜそんな紹介をしてくれたかというと、ぼくは若い頃DJをちょっとかじっていたことを言ったんです。DJというのは、みなさんが知っているクラブでレコードをぐるぐる回す人ですね。あれの機材を、ぼくは若い時に買って一式持っているんです。

紹介されたコミュニティに行ってみると、そこにはひきこもりや生きづら系の人たちだけでなく、近所のおばちゃん、おじいさんなども来ていて、世代交流の場になってました。みんなでチゲ鍋つついたり、秋にはキャンプへ行ったりしてました。

居心地はよかったです。そこで年上のTさんという男性と出会いました。すんごい面白くて、映画とか文学に精通してて、ぼくとけっこう会話がスイングするっていうか、ちょっと尊敬する兄貴分になりました。その人と夜通し語り合ったときに、

「きみはトーク・センスがある」

って言ってくれたんですね。アイロニカルで毒が混ざってて面白い、と。

これが、もうすんごい嬉しくて。それがけっこう自分の中では、今までの人生の中でもらった、いちばん嬉しい言葉ですかね。

小さいころからしゃべるのは好きだったんだけど、「何を言ってるかわかんない」とか「話がマニヤックすぎてわかんない」とかいろいろ言われて、褒めてもらえることがなかった。それがコンプレックスだったんですね。自分の言いたいことが言語化できないために、とてももどかしい思いを、ずっと三十年くらいしてきました。

だから、Tさんに「トーク・センスがある」と言われたときは、

「ああ、おれはこのスタイルでいいんだ」

と自分が受け容れられたんです。これが他者から得られた自分という存在への承認でした。

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この他者からの承認が、親や支援者ではなく、まったく赤の他人からもらえた、というのが大きかった。これが生きていくうえで、大きなエネルギーになった、という気がしますね。

ぼくは、親とはそんなに険悪ではないけど、そんなに仲が良くもなかったので、べつに親に褒められても、そんなにうれしくなかったんです。おれはもう「照れくさい」って思って、親からの褒め言葉は受け付けられませんでした。そこで、赤の他人からこんな褒め言葉をもらえたということが、すんごい嬉しい出来事だったというわけです。

 

…「後篇」へつづく。

 

また、このインタビューをもとにした、取材者・ぼそっと池井多の解説・講評のような記事として、こちらもどうぞごらんください。

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