ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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短編小説「三本足の国では」遊べなかった子#16

ひきこもり当事者・喜久井ヤシンさんによる小説「遊べなかった子」の連作を掲載します。12歳の少年みさきは、海の上をただよう〈舟の家〉に乗り、行く先々で奇妙な人々と出会います。さびしさやとまどいを経験していくなかで、少年はどこへたどりつくのか……?時にファンタジー、時に悪夢のような世界をお楽しみください。 

 

(文・絵 喜久井ヤシン 着色 PaintsChainer )

 
   三本足の国では

 

 島に近づいていくと、はじめに見えたのはクレーンだった。何台ものクレーンが、あっちへこっちへと忙しく動きまわっている。活気のある海辺の町なのだろう。カラフルな屋根が見えて、クレーンの動きも楽しげだ。たくさんの建物に、たくさんの道路、そして町を行くたくさんの人が見えてくる。みさきは思った。今度こそ、ぼくは海を漂うのをやめて、ずっと居られる町と出会えるんじゃないか、って。
 ただそんな思いも、みさきが港町に降り立つと、すぐに疑問に変わった。町を行く人たちがみんな、三本足をしていたのだ。上半身はみさきと同じ、前にある二本の足も似たようなものだったけれど、しっぽのような具合に、後ろにもう一本の足がある。膝の関節は内側に曲がっていて、みさきからすると不格好に見える。けれどこの国の人たちからすれば、みさきの方がおかしいらしかった。通りすぎる三本足の人たちの中には、ヒソヒソと声をたてる人もいた。

 「……おや、あの子、どうしたんだろうね。こんなところに一人で」
 「……どこかの病院から来たのかな?誰か体を支えてやれよ」
 「……よくあんなバランスで立っていられるもんだな。面倒を見る親はいないのか?」

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 みさきは急に、自分の体だけがおかしいのだと感じられた。三本足の人たちは、はしごや階段も、二本足とは違ったやり方で登り降りしている。用事で急いでいる人がいたけれど、走ると動物が駆けるみたいで、二本足よりも早い。みさきはしばらくのあいだ、どうしようもなくただずんで町を見ていた。すると、話しかけてくる人がいた。
 「こんにちは。あなたは一人きりなの?どこにも行くところがないんだったら、少し私と話さない?」
 話しかけてきたのは、イザンナさんという、優しそうな人だった。あとで知ったことだけれど、子供を八人も育ててきた人で、みさきくらいの男の子と話すのにも慣れていた。育ててきた子供の中には、みさきという名前の子もいて、そっくりな顔をしていたという。もちろん、足は三本だったけれど。

 みさきはイザンナさんに、自分のことを話した。長い時間静かな海を漂ってきたこと、やってきたこの国に誰も知り合いがいないこと、そして二本足の人しか見たことのなかったことも。
 みさきがイザンナさんと出会えたことは、どうやら幸運なことらしかった。イザンナさんはみさきの事情を知ると、すぐに町の役所へ行って、受け入れのための手続きをした。みさきにはよくわらからい難しそうな書類のやりとりを、役所の人と何時間もかけてしていた。
 イザンナさんは言った。
 「もしもみさきさんが嫌でなければ、私のうちに来るのはどう?今は子供たちも住んでいなくて、あいている部屋もたくさんあるの」
 目的地のないみさきはその言葉を受け入れて、イザンナさんの自宅に住むことになった。最初の日の夜、イザンナさんの用意してくれたベッドに横になって、みさきは十時間以上も眠った。

 三本足の国についてから、あっというまに何日かが過ぎていった。イザンナさんには友達が多くて、家にはよく人がたずねてきた。
 ――こんにちは、みさきさん!君がイザンナさんの新しい子だね!
 ――今はまだ二本足で我慢してね。もうしばらくしたら、足も用意できるから!
 それはもしかしたら、二本足の子が来たという噂を聞きつけてやってきた人たちだったのかもしれない。イザンナさんとの関係の分からない人たち(もちろん、全員が三本足)が、みさきに興味津々で話しかけてきた。
 やって来た人の中には医者もいた。医者はみさきの下半身を裸にし、股関節のあたりを入念に調べていった。みさきの体の異常さや障害の具合をカルテに書いて、「来週中には義足をお渡しできますよ」と言う。どうやらみさきがこの国で暮らしていくためには、三本目の足が欠かせないらしい。

 みさきはあらたまって、イザンナさんと話した。
 「ぼく、今までずっと二本足で歩いてきたんだけど、このままじゃいけないのかな?」
 「かわいそうに。誰もみさきさんに足をくれなかったんでしょう。慣れないことをはじめるのは不安かもしれないけど、安心してね。きっと良い足を用意してくれると思うわ」
 とイザンナさんは、みさきにとってピントのはずれた返事をする。

 そういうわけで、次の週になって「みんなからみさきさんへのプレゼント」の箱をあけてみると、ピカピカの義足が入っていたのだった。イザンナさんとその知り合いの人たちの笑顔に囲まれて、みさきは義足歩行訓練を始めることを約束させられた。「県立障害者福祉リハビリテーションセンター」というところで、最低週三日、最多で週七日の歩行トレーニングをすることが決まっていた。

 みさきはひきこもっていたかったけれど、「好きに過ごしていいんだよ」と言ってくるイザンナさんの家なので、そういうわけにもいかない。嫌々ながら外に出てみると、予想どおり憐れみの目を向けられた。
 「……あの子はいったいどうしたことだ?ほら、あそこにいる、足がああなっている子は。でも、あれも個性なのかな」
 「……あれだけの足で器用に歩けるものだねえ。はじめて見たよ、あんなに体を傾けて。がんばっているんだね!」
 という、離れたところからの声を耳にした。この国の人たちは、陰口で正直な思い話す文化があるのかもしれない。
 リハビリセンターに行って歩行トレーニングを始めても、まわりの三本足の人たちは似たような反応だった。二本足で立つみさきに、「がんばってね!」とか、「そのままでも僕は気にしないよ!」とか、みさきが何とも思っていなかったことに対して、はげましや笑顔が向けられた。

 トレーニングになると、みさきはセンターのスタッフと一緒に、三本目の足をお尻の方に装着した。腰と股関節に固定ベルトを巻き、バネのように自動で歩ける仕掛けの「足」で体を支える。ベルトのせいで下半身が絞めつけられたし、「足」は重すぎて、動こうとすると丸太をぶら下げているみたいに邪魔だった。歩こうとしても、背骨が無理やりひっぱられるような態勢になってしまい、体中が痛んだ。
 「痛い!痛いよ!こんなんじゃ歩けないです!」
 みさきが悲鳴をあげても、スタッフは落ち着いていた。
 「誰でもはじめはこんなものだよ。ゆっくり慣れていけば、大丈夫。一つ一つやっていこう」と励ました。

 トレーニングに苦しむみさきに、優しく語ってくれる人もいた。
 「見てごらん。僕は交通事故にあってね、右前足が義足なんだ。だけど今ではこのとおり、義足をうまく使って、日常生活も三本足で支障なく送れる。みさきさんもがんばれば、すぐに使いこなせるようになるよ」
 と、さわやかな笑顔を向ける人だった。

 そうかと思えば、頼んでもいないのに、お説教してくる人もいた。
 「私は差別するわけじゃない。あなたは今までたった一人で、勇気をもって二本足でやってきたんだ。だがね、人間は三つの足で、大地を踏みしめて立たないといけない。そうでなければ世の中でやっていけないし、訓練をすることは、あなたのためになることなのだよ」
 と、頭の良さそうな人が、みさきに何かを説得しようとしていた。

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 三本足の国を見渡してみれば、イスの作りが三本足のためのものだったし、ズボンや靴も当然三本足用に売られている。特別なマナーが決まっていて、男性と女性とで三本足の動かし方も違っていた。エスカレーターでは、一人が二段分使うのが習慣になっていたため、それを知らないで乗ったみさきが、蹴られそうになったこともある。みさきは歩行訓練と一緒に、この国の礼儀作法を覚えねばならなかった。みさきには理解できない、昔からの決まりごとがたくさんあった。

 歩行訓練をつづけていく中で、イザンナさんはみさきの面倒をよく見てくれて、まわりの人たちも応援してくれた。みさきがはじめて「足」を使って段差を乗り越えられた時には、イザンナさんお手製の小さなケーキを出してお祝いをした。イザンナさんの知り合いで、家庭菜園をしている人は、たくさんの野菜を持って食卓を彩ってくれた。みさきが二本足をやめて、早く三本足だけで歩けるように、何人もの人が大切に思ってくれていたのだ。こんなに大人の人たちからよくしてもらう経験はみさきには初めてで、みさきは感じたことのない思いが、心のすみっこの方に芽生え出していた。

 日々は簡単に、何の抵抗もなく過ぎ去っていく。みさきはほとんど毎日歩行トレーニングに行かされて、三本足も上達していった。
 しばらくすると、みさきはイザンナさんに良い知らせを伝えられた。
 「ほら、ぼく、平たい道だったら、三本足でうまく歩けるようになりましたよ。まだ階段の下りができないですけど、もうすぐしたら、自由にどこでも行けるようになります」
 「良くなったねえ!これでこの国でも暮らしていけるよ。がんばっているねえ、みさきさん!」
 イザンナさんは、頬を紅葉させて喜んでくれた。

 毎日は過ぎていった。
 みさきは三本足の国になじんで、習慣も伝統も覚えて、暮らしていけるはずだと思っていた。イザンナさんも、その知り合いの人たちも、みさきの「ちょっと人と違うところ」とか、「みさきさんの個性」とかいう、つまり、二本足であることを受け入れてくれていた。みさきにしても、イザンナさんの作る手作りのフライドポテトが好きになっていたし、リハビリセンターで、気さくに話しかけてくる知り合いもできていた。このままうまくいけば、義足の使い方にも慣れて、三本足の国の住人として、成長していけるはずだった。

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 けれどみさきの日常は、いつだって簡単に壊れてしまう。

 ある日みさきは、イザンナさんと誰かが、暗い口調で話しているのをドア越しに聞いた。
 「……そもそも、なぜそこまでして二本足の面倒をみたんです?義足の訓練施設にしたって、利用料はばかにならないでしょう。戸籍の取得がうまくいかないことくらい、イザンナさんならわかったはずです」
 「……それでも希望を捨てられなかったの。体の作りが人とちょっと違っていただけでしょう。あれだけのことで差別だなんて。ねえ、もう一度交渉して、みさきさんをうちの子にするわけにはいかない?」
 イザンナさんはどうやら、顔見知りの役所の人と話をしているらしかった。話の内容は、みさきがこの国にいられなくなる、ということだ。
 「……障害のある不法侵入者を引き取ってさ、退去判決が出るのも当然でしょう。ともかく、今日中に本人に伝えてください。もうおしまいです。今回の件は、これでおしまい」
 みさきは、来客が出て行く後ろ姿を見た。大柄なスーツ姿で、背中を丸めて、後ろ足をカツカツと鳴らしながら去っていった。
 みさきが部屋の中に入っていくと、イザンナさんは暗い顔で、書類に目を落としていた。
 「みさきさん、ごめんなさいね。私では力になれなかった……」
 書類は三本足の国からの退去命令で、みさきが早急に島を出て行かねばならないと伝えていた。
 みさきには、これまで何度も味わってきた別れの気分が生じてきた。みさきは何も装わない黒色の目をして、最後にイザンナさんとその家の景色を見つめた。それから三本目の「足」を取り外して、家の床に放り捨てた。何十日も苦労して使っていたけれど、三本足には何の未練もわいてこない。みさきはドアをあけて、家から歩き去っていく。町の人たちの好奇の視線が注がれる中、みさきは二本の足でスタスタと歩いて、まっすぐに国を出た。

 

 

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  執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の三年間は同世代との交流をせずに過ごした。二十代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験する。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆。個人ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/