ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

「なぜひきこもったのか」私を10年閉じ込めた「牢獄の村」 前編・少年時代

(文・Toshi) 

中学校に行けなくなり、10年ひきこもる

私は中学校時代に受けたいじめをきっかけに不登校になり、その流れで、不登校の子供を専門とした高校も行けなくなり、10年以上ひきこもった「ひきこもり当事者・経験者」です。

学校では、陰湿な悪口の対象にされ、他の同級生からもテニスラケットで何発も殴られ、大勢で身体に乗って潰されそうになったり・・・。いざ休み始めると、家にまで覗きに来て笑われた。自分の姿を見られることすら恐ろしくなり、カーテンを閉めたのが最初でした。

これが私のひきこもったきっかけです。それから14歳から26歳までの思春期・青年期のほとんどを、閉じ込められた世界で過ごしました。

そんな、忘れることのできない恐ろしい故郷に、昨年末、仕方なく帰る機会がありました。その時、この村がどんな場所だったのかを歩いてみました。

中学校のことが卒業後も続いた理由。何故、ずっと外を歩くことを恐れ、出られなくなったのか。今も恐怖が残っているのは何故か。

そしてこの故郷はおそらく、10年どころか、20年も30年もひきこもり続けたかも知れない環境であり「ひきこもったのは私だけではないのでは?」と思いました。

 私を「ひきこもり」にした「牢獄の村」

f:id:Toshl:20180110162124j:plain

私が「牢獄の村」と呼んでいる故郷は、最初は東京のベッドタウンになるため、山を切り開いて作られ、多くの住宅と団地が出来ましたが、おそらく失敗したのでしょう。

私が子どもの頃から現在まで、ほとんど人は増えませんでした。20年前の立て札がそのまま放置され、近くに店はほとんど無く、出来てもすぐに潰れてしまいます。

f:id:Toshl:20180122191544j:plain

街角を歩いて、駅とスーパーに行くには1時間かかります。大量の住宅と逃げ場のない道で、同級生か地域の人に必ず見つかります。まして不登校になってからは、「あいつがいる!」と言われるので、怖くて外を歩けません。

休日に、親の車で小さくなって買い物に行くだけしか出来ず、自分で電車を使って、違う街に行くことは出来なかったのです。外の世界のことを伝えてくれるのは、ゲームかテレビ、そして電話回線だった初期のインターネットだけになりました。

いじめが放置され、先生も加担する「悪魔の中学」

f:id:Toshl:20180122192643j:plain

当時通っていた中学校です。

同級生に、自分から気に入らない相手をいじめて、先生には「相手にやられた」とウソを言って、相手を巧妙におとしめる、いじめ常習犯がいました。先生の前でだけは小さくなり、机をぶつけ、投げて、蹴り飛ばして威嚇してくる同級生と一緒になってイジメを行い、私もその標的になりました。周囲は傍観するか、面倒に巻き込まれないように、イジメる側になるだけでした。

もともと友達だった同級生も態度が変わり、帰り道、ただテレビの話をしていただけで、どんどん自分の感情を高ぶらせて、テニスのラケットで十発以上、本気で頭を殴ってきました。泣きながら家族にも学校にも言ったのに、誰も何もしてくれなかったのです。それから私は、突然、言葉が出なくなることが増えました。

中一の担任の先生は、父と地元の地域活動で一緒でしたが、父の方が立場が上だったことをねたみ、私に父の悪口を言ったり、私がナイフを振り回したというウソをあっさり信じて、楽しそうに語ったり。「先生にこんな嘘を信じられてる!」とショックを受けた私には、もう学校に居場所はありませんでした。

私は、この先生が「先公」と言われて、バカにされていたから、腹を立てていたのに・・・。その後の先生も、ただ家庭訪問するばかりで「先生」への信頼が崩れて行きました。

この場所に通わないといけないからこそ、私以外に、何人も不登校になった同級生がいました。私はここを「悪魔の中学」と呼んでいます。

私を閉じ込めた「地上の牢獄」

そして、これは高校に行ってからも続きました。どうやっても同級生に出会う、狭くて道がない「牢獄の村」で、普段は乗らない電車に乗ってみると、中学時代の、あの同級生がいました。

私を見つけて、わざと同じ車両に乗り、少し離れた距離から他の同級生に「私がいかにおかしい奴か」を話し続けました。どんな嘘をつかれても、私は見ていることしか出来なくて、怒りと悔しさで泣きそうになりました。泣けば「また泣いた!泣けば済むと思ってる!」と言われるだけ。そして電車にも乗れなくなり、ただ一つの「外への出口」を完全に失いました。

悪魔の中学の与えた「呪い」は、外を歩くことを恐れさせ、東京や横浜につながる電車を使えなくして、近くには何も売っていない。

私は「自分が何かできる人間だと思ってはならない」と思うことになり、本来できることも忘れました。

10代後半から、ほぼ自室で過ごしていた私は、関水徹平さんの「「ひきこもり」経験の社会学」の定義に従えば、社会的ひきこもりの「全体の3%」と言われる、LEVEL5の「自室に閉じこもっている」状態だったと思います。

そして部屋の中で、少年時代とまったく変わらない状況のまま、身体だけは大人になって行きました・・・。

 

「なぜひきこもったのか」私を10年閉じ込めた「牢獄の村」 後編・青年時代 に続く