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「病気」は作れる。「治る」も作れる。 WHOの「ゲーム障害」認定に寄せて

ゲーム依存が「障害」になった

  ゲームのやり過ぎによって日常生活に支障をきたすゲーム依存症が、「ゲーム障害」として精神疾患に認定された。世界保健機関(WHO)が2018年6月18日に公表した、改訂版国際疾病分類「ICD-11」の最終案に明記されている。ICDは、日本をはじめ多くの国が使用している病気やけがの分類のこと。「ゲーム障害」の認定によって、対策や治療を求める声が高まるといわれている。
 アルコール依存症ギャンブル依存症がそうであるように、ゲームへの依存によって身を持ち崩した人や、何十時間もの連続プレイによる死亡者は出ていた。これまでにも起きていた問題が、権威ある医学的な決定ではっきりと「障害」になったかたちだ。

 私は十代後半の頃、自室にこもって起きているあいだじゅうゲームをしつづけていた時期がある。その時は、娯楽を求めてではなく禁断症状からくるプレイになっており、楽しさではなく苦痛を感じていた。そのような状態で精神科に行ったなら、今後「ゲーム障害」として対応されるのだろう。私は今でも日常的にゲームをしているけれど、生活に支障が出るほどではなく、現在のところは「健康」的な範囲といえる。

 ICDにしても、調べてみると定期的に改訂がおこなわれており、何がどのような障害であるかがけっこう変わっている。
 どこからが障害でどこまでがそうでないのか、意外とあいまいなものだなと思う。

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かつては「障害」だった「不登校」や「同性愛」

 マイノリティが重なるけれど、私は「不登校」の経験者で、「同性愛」者でもある。そしてそのどちらも、数十年前には精神異常とみなさていた。

 「不登校」の場合、精神科医から「学校恐怖症」などと診断され、学校の状態に関係なく、登校しない子供の「病気」とされた。現在では、文科省がじきじきに「不登校は問題行動ではない」と発表しており、学校に行かないこと自体が病気にされることはなくなった。(この文科省の通知は全然知られていない気がするけれど、2016年に本当にお達しが出ている。)

 「同性愛」も、昔は辞書の説明に「性的倒錯」とか「異常性欲」とか書かれており、いかに「治療」するかが本気で研究されていた。先ほども登場したICDで言うと、「同性愛」が精神障害に分類されていた時期があり、場合によっては「同性愛」そのものが診断名だった。それが現在では完全に削除され、新しい「ICD‐11」では、「性同一性障害GID)」も障害の分類からはずれた。
 とはいえ、宗教的な要因もあり、セクシャルマイノリティがいまだに病気もしくは犯罪とみなされている地域もある。

 個人の状態は同じなのに、時代や地域によって障害になったりそうでなくなったりするというのは、どういうことなのか。

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社会が作りだす「病気」

 個人的に知っている強烈な「精神病」診断の例では、「ドラぺトマニア(Drapetomania)」がある。日本語としては「逃亡奴隷精神病」となり、19世紀半ばのアメリカで、黒人特有の精神病とされていた。
 当時、黒人は白人の奴隷として仕えることが当然で、それが黒人にとっての幸福であるという考え方があった。にもかかわらず、白人の主人のもとから逃げ出す黒人がいる。これはおかしい。どのようにおかしいかというと、奴隷制ではなく、逃げだす奴隷の方が異常だからだと医師は考えた。逃げ出してしまう精神病なので治療が必要だという、それ自体では真面目な論文が残されている。(当然現在では否定されている。)

 私は黒人差別の歴史について知っているとは言えないけれど、白人に比べて脳が何%小さいとか、知能調査で低い数字しか出ないとか、れっきとした「医学」の診断結果がいくつもあることは聞いている。客観的なはずの医者たちの診断が、どれだけ時代によって変わってしまうかの例だと思う。

 もう一つ事例をあげると、第一次世界大戦でのイギリス軍兵士の「精神病」がある。長期にわたる塹壕戦に疲弊し、健康な精神状態が保てなくなった兵士のケースだ。塹壕戦に耐えられなくなった兵士は精神病院に入れられ、医者によるカウンセリングを受けさせられる。戦場に戻りたくないという兵士は「精神病」で、もう一度塹壕へ行くと言えた兵士が「治った」と言われた。

 これもあきらかに時代情勢が「病気」を生みだしている。(そしてついでに医者の「治療」まで生んでいる。)

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「障害」の意味を疑ってみてもいいのかもしれない

 社会学者のデュルケームの言葉に、『われわれはある行為を犯罪だから非難するのではなく、われわれがそれを非難するから犯罪なのである』というものがある。
 犯罪を障害と読み替えさせてもらうなら、当人が問題だからではなく、世間にとって問題なのでそれを「障害」ということにする、ということが起きてきた。

 社会的に受け入れたくないものや、理解できないものを「障害」としてきた歴史がある。不登校」や「同性愛」の歴史がそうだったように、現代でもおきていることのように思う。また近年言われるようになった「(大人の)発達障害」などは、社会の側が「障害」にする圧力を加えているところはないだろうか。

 私は、自分は何で「障害」を持っているんだろうと悩んできた。ただ、その「障害」がどのように生まれているかをみると、ある意味ではいかがわしいところがある。
 「障害」と向き合って対処していくことも大事だけれど、それが「障害」になっている理由について、時には疑ってかかってもいいのかもしれない。 

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 参考 
朝日新聞』2018年6月19日朝刊「ゲーム依存は精神疾患
なおICDの正式名称は「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」

※ 文中では便宜的に「障害」としているが、筆者はこの表記を支持していない。

 

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