「不登校」最終解答試論 喜久井伸哉
かつては「学校恐怖症」や「登校拒否」だった名称が、なぜ「不登校」になったのか。
言葉の歴史をたどることで、現在の「不登校」論の問題点を洗い出します。(全3回 /文・喜久井伸哉)
「不登校」と名付けられるまでの歴史 概要
記事が長くなったため、前回までの説明を含めて、おおまかな流れを記します。
日本で「学校に行かない子供」が社会問題にされるとき、1990年頃までは「登校拒否」という呼び名が主流でした。
「登校拒否」の概念の原点は、1932年のI.T.ブロードウインの論文です。『怠学研究への一寄与』の中で、「怠学」とは異なった特徴のある長期欠席について述べたことに端を発します。
1941年、A.M.ジョンソンらが「学校恐怖症」という言葉を使用。これが日本語に訳され、研究者らに広まっていくなかで、名称が「登校拒否」に変化していきます。
日本では戦後数十年にわたって、「学校に行かないこと」の「原因」は、子供個人の心理的な問題や、親の育て方からくる家庭の「問題」だとされてきました。
しかし80年代の学校では、体罰やいじめ、学級崩壊などの問題が多発し、「学校に行かないこと」の「原因」を、子供個人や家庭だけに負わせることはできないという見方が広がります。
1990年頃から、「登校拒否」の名称が「不登校」に入れ替わっていきます。
この改称には、「学校に行かないこと」は子供や家庭の問題ではないと主張した、専門家・当事者・母親たちの運動がありました。
行政的な変化の分岐点には、法務省の人権調査があります。
学校が荒れている状況にあって、子供個人の「怠け」や心理的な問題ととらえる「登校拒否」の名称が、実情にそぐわないと判断されたのです。
その認識の変化を示すため、「登校拒否」でなく「不登校」が主流になっていきました。
それから数十年、日本では「不登校」の名称が定着しています。
ネガティブなニュアンスのあった「登校拒否」に比べ、「不登校」は端的に「学校に行っていないこと」を指すため、おおむね公正な表現だとみなされています。
しかし個人的には、一般に思われているよりも差別的な表現であり、内実ともあっていないと考えています。
私は新しい言葉によって、「学校に行かない子供」の歴史が刷新されることを希求しています。
「登校拒否」から「不登校」への分岐点
「登校拒否」が「不登校」の名称に変わる転換期には、何が起きていたのでしょうか。
ここでは土方由起子の論文「法務省の『不登校』名称について」(2017年)を参照しながら解説していきます。
80年代後半までの「登校拒否」は、子どもの怠惰や発達遅滞にとらえる見方が強くありました。
そのため「平井式強奪療法」のように、強制的に登校させる手段が横行していたのです。
なぜ専門家たちがそのような発想をしたのか。平井式強奪療法について、土方は以下のように要約しています。
『社会が悪いのならもっと多くの登校拒否児が現れ、教師が悪いのならばクラスにもっと多くの登校拒否児がいるはずだと考え、「このように考えてくると、どこまでも、その子どもの人格およびその人格を育てた両親の問題としてとらえるべきであり、それによってのみ、解決の道が開かれる」という結論を導いた。』
専門家たちは、子どもや両親に厳しくあたれば、「登校拒否」が「治療」できるはずだと考えました。
しかし「登校拒否」はいっこうに減らず、戸塚ヨットスクールのような矯正施設では、虐待死や「事故」死が相次いで起こり、社会問題となっています。
80年代は、体罰やいじめに関する報道が大規模になされていました。
登校を「拒否」する子どもの「問題」ではなく、子どもが登校する学校そのものに「問題」があるのではないか。一般的な認識としても、学校制度そのものに疑いの目が向いていったといえるでしょう。
同時期に各所でフリースクールが開設され、学校外の子どもの居場所が少しずつ開拓されていきます。
当時の文部省は、教師側の意見に基づいた「登校拒否」の調査報告を出していました。
最大規模のフリースクールである東京シューレは、1989年に「登校拒否の子どもたち自身による登校拒否アンケート」を発表。
当事者側からのカウンターとして、行政の報告とは異なる主張を発信しました。
また、母親たちの活動の歴史を忘れてはならないでしょう。(「親」や「保護者」ではなく「母親」です。)
奥地圭子の『登校拒否は病気じゃない』(1989年)によれば、十人足らずで始まった「親の会」の参加者が、五年で千名を超えたといいます。参加者のほとんどが、母親たちだったとみていいでしょう。
親の会の参加者や当事者たちの発言によって、旧来の「登校拒否」の捉え方に、異議申し立てが行われていきました。
この80年代末に、名称が「不登校」へと切り替わっていきます。
公的な分岐点は、法務省の「不登校児人権実態把握のためのアンケート調査結果報告」(1989年)でした。
文科省が登校拒否児童のためにおこなった調査ではなく、法務省が子どもの人権問題のためにおこなった調査です。
法務省は、自らの意志や都合で学校に行かない「登校拒否」ではなく、体罰やいじめによって長期欠席が起きていることを認識。
従来の「登校拒否」観ではとらえられない内情があることを把握しました。
もっとも、調査にあたった専門家たちが、転換的な判断をおこなったわけではありません。
法務省の調査委託を受けたのは、「登校拒否」の子どもに否定的な平井信義(「平井式強奪療法」の発案者)でした。
平井は調査結果に対して、「友だちから仲間はずれにされた」という回答を、「登校拒否児が友人を作る能力が遅滞していることを裏書している」と分析するなど、あくまで「登校拒否」=発達遅滞の子どもといった見方を崩していません。
このような旧来の「登校拒否」像を打ち破った一因には、子どもたち自身の発言があります。
法務省の調査の最後には、「何かあなたの考えがあれば、参考にしたいので、何でも書いて下さい」と、子どもの自由記述回答を求める項目がありました。
アンケート調査に答えた不登校の子509人のうち、275人(54%)が回答。
報告書では、この「児童生徒の自由意見」が大きく取り上げられており、71名の記述が掲載されています。
そこにつづられているのは、体罰やいじめに苦しんだ経験や、「登校拒否」が悪とみなされる風潮への批判でした。
三名の記述だけ引用します。
『登校きょひ は病院で直せるものではない。学校という問題以前にも本人たちがかかえているモノを見極めてほしい(15歳・女子)』
『今の世間一ぱんでは、「学校へ行かないのは悪いこと」みたいなことを言っておられる方が多すぎて、子供をますます苦しめているようです。必要なのは、学校へ無理やり行かせることではなく、本当に「分かるまで教えてくれる」「自由に差別しない」で教えてくれる人、場所や考えかたが必要ではないかと思います(14歳・男子)』
『このような調査を考えた人は、本当の苦労とかをしたことがないのではないかと思う。人間に大切な事は、学校へ行くことより、もっとちがうことだと思う。また、出席日数だけで、高校を不合格にすることは最高の差別であり、私にとっては、へん見である。義務教育中だけ同じ年齢の人間の生き方が半強制的にされるということは、すごくおかしい事だと思う。また、この調査も私をばかにしている所があったような気がして、すごく、くやしい』(14歳・女子)。
上記の回答では、アンケート調査自体への批判も含まれています。
このような記述は、子ども個人の「怠け」や「発達遅滞」の問題には回収できないものでした。
土方は、論文を以下のようにまとめています。
『法務省は、自らの分析を実態調査の分析結果とすることで、「登校拒否」を治療すべき個人の逸脱行動と捉えるのではなく、子どもの人権侵害にかかわる問題として捉えること提言する。法務省は「登校拒否」を大きく捉え直す方向に舵を切りその象徴として「不登校」名称を用いたのである。法務省が「不登校」と呼び変えることで、「登校拒否」の名の下で問題視されてきた子どもや親の人権を守る姿勢を示したことの意義は大きいといえよう。』
文部省が「不登校は誰にでも起こり得るもの」と通知するのは、この調査から3年後の、1992年のことです。
「不登校」の名称の歴史 完
付録 「不登校」類語・関連語リスト
「不登校」は、これまでどのような言葉で表現されてきたのでしょうか。医師による「診断」名を含めて、類語・関連語のリストを付記します。
主な用語
・怠学/怠休み (truancy)
・学校恐怖症 (school phobia)
・学校回避 (school avoidance)
・学校嫌い (reluctance to go to school)
・登校拒否 (school refusal)
・不登校 (school non-attendance)
臨床的な用語
※少数の使用例には出典を併記。
・学校脱落群/ドロップアウト群
・学校不適応症(高木(峻)83年)
・家庭脅迫症
・教育恐怖症
・情緒的欠席
・小児神経症
・潜在登校拒否(平井 72年)
※現代の「隠れ不登校」に類似する用語。
・登校不能児(多田84年)
・逃避症候群(会田78年)
・偽恐怖症 (pseudophobia)(ボウルビー73年)
※愛着する対象を喪失する恐怖が、登校回避となって表れることを指す。
・母親従属症候群
・分離不安
・ママっ子症候群 (mama`s boy syndrome)(カーン 71年)
その他の関連用語
・学生 ※「不登校新聞」元編集長の石井志昴の発言。会合の場で、「学校に行かない子どものことを何といったらいいか」という質問に対して、「ただの『学生』でいいのではないか」と答えた。
・隠れ不登校
・学校脱落
・学校離脱
・家庭学習/自宅学習
・休学
・苦登校
・軽度非行
・サボタージュ
・スクール・ノマド ※2019年、「不登校」に変わる言葉を一般に公募して選ばれた用語。社会派アイドルグループの制服向上委員会と、評論家の宮台真司が企画に参加した。
・スクール・マイノリティ/エデュケーション・マイノリティ
・情緒障害児 ※1962年に設立された「情緒障害児短期治療施設」が、日本で初めて「学校に行かない子ども」に対応する公的施設だった。「情緒障害」の原語は、エモーショナル・ディスターバンス(emotional disturbance)で、平たく言えば子どもの神経症を意味する。「自然な情緒の発露がさまたげられる・邪魔されている」という意味で「障害」の訳語が用いられた。
ただし戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏は、「情緒に障害がある子ども」=エモーショナリィ・トラブルド・チルドレン (emotionally troubled children)として「情緒障害」を使用。一般的にも「障害」の言葉には混同が起きていると思われる。
・スチューデントアパシー ※大学生の無気力・無関心などを指す。
・脱学校 (descholing)(イリイチ 77年)
・非行
・非就学
・不就学
・不良
・不良児
・放縦児
・ホームスクーリング/ホームスクーラー
以上
参照文献
滝川一廣『学校へ行く意味・休む意味 不登校って何だろう?』日本図書センター 2012年
奥地圭子『登校拒否は病気じゃない 私の体験的登校拒否論』教育史料出版会 1989年
藤井良彦『不登校とは何であったか?心因性登校拒否、その社会病理化の論理』社会評論社 2017年
土方由起子『法務省の「不登校」名称について―逸脱から人権擁護へ子どもの捉え方の変容―』近畿大学教育論叢第29巻第1号 2017年
門眞一郎 高岡健 滝川一廣『不登校を解く 三人の精神科医からの提案』ミネルヴァ書房 1998年
佐藤修策『登校拒否ノート いま、むかし、そしてこれから』北大路書房 1996年
長岡利貞『欠席の研究』ほんの森出版 1995年
稲村博『不登校の研究』新曜社 1994
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文 喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。 ブログ https://kikui-y.hatenablog.com/entry/2022/09/27/170000
関連記事
●「不登校」の名称の歴史①
●「不登校」の名称の歴史②