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「不登校」とイップスの共通点 「『学校に行きたいけど行けない』身体」を語るために

「不登校」最終解答試論(文 喜久井伸哉)

 

かつて描かれたことがない境地(残雪)

 

 

私は「不登校」の体験を語りたいと思います。

しかし、従来の言葉で私の「不登校」が伝えられるとは思えません。

「不登校」が語られるべきでない方法で語られてしまっているせいで、伝わるためのコードが、まだ世の中に存在していないのです。

これまで「不登校」は、教育学や心理学の「問題」として語られてきました。

時には行政的な学校制度の問題であり、時には子どもの心因性の問題でした。

しかし私が「不登校」を語るためには、まず初めに「学校に行きたいけれど行けない」時の、あの身体に何が起きていたかを伝えねばなりません。

そのために、今回はイップスについて語ります。

「不登校」のためにイップスを説明するなどということは、おそらく類例がないでしょう。

(以前吃音について語ったときもそうでしたが。)

私はまず「不登校」が語られる際の、一般的なコードそのものに挑戦せねばなりません。

イップスについて語ることが、「不登校」を語るための私の前哨(ぜんしょう)になるのです。

 

 

イップスとは何か

「イップス Yips」は、主に競技中のアスリートに起こる不随意(ふずいい)運動(意図しない動き)を指して使われる言葉です。

痙攣(けいれん)などの症状が起きるせいで、道具がうまく扱えなかったり、ボールを投げようとしても暴投してしまったりして、身体がうまくコントロールできなくなります。

 

元々はゴルフから来た用語で、1930(昭和5)年前後に活動した、プロゴルファーのトミー・アーマーが名付けたのが始まりです。アーマー自身が、イップスによって選手生命を絶たれました。

学術的な根拠から生まれた言葉ではなく、由来は明確ではありません。

子犬がキャンキャンほえる意味の「イェップ yip」や、アメリカで失敗したときとっさに出る「ウップス! Oops!」と近い語感となっています。

 

スポーツ選手を中心に用語が広まっており、2018年の『広辞苑』改訂版にも収録されました。

定義はこうです。

『これまでできていた運動動作が心理的原因でできなくなる障害。もとはゴルフでパットが急に乱れることを指したが、現在は他のスポーツにもいう』

 

古い定義ですが、『オックスフォードスポーツ医科学辞典』では、「イップス」を以下のように説明しています。

『無意識的な筋活動の乱れで、ゴルファーにみられ、パッティング中に腕が痙攣するのが特徴。処置が非常に困難である。症状を緩和するために効き手側でないほうを使ったり、ポジションを変えたりするゴルファーもいれば、精神安定剤(ベンゾジアゼピンなど)を服用するゴルファーもいる』ということです。

 

実はあちこちで起きていたイップス

イップスになると、長年あたりまえにできていた動作が、突然できなくなってしまいます。

イップスの概念が広まるまでは、各競技でさまざまな名称が使われていました。

野球では、「スローイング病」や「投球恐怖症」と言われていました。

マラソンなどの陸上界では、脚に力が入らなくなり、走りにくくなることを「ぬけぬけ病」、

スピードスケートで同様の状態を「ぶらぶら病」と言いました。

弓道の世界では、弓を引き切らないうちに矢から離れてしまうことを「早気(はやけ)」、矢を射ろうとして指を弓から話そうとしても指が離れなくなることを「もたれ」と言います。

これらがイップスとして理解されるようになりました。

 

近年は、スポーツ以外の分野で起こる動作の障害も、イップスの一種として認知されています。

文字を書くことができなくなる「書痙(しょけい)」は、比較的知られた例かもしれません。

昭和期の論文で使われただけですが、茶道で手がふるえてお茶が入れられなくなることを、「茶痙(ちゃけい)」と言った例も存在しています。

また、楽器演奏に支障が出る音楽家の「クランブ(痙攣)」。

強く打鍵する必要のあった時代のタイピストがかかったという「ライターズクランプ」。

イップスの解説書の中には、千円カットの理容師がハサミを使えなくなったケースや、そば打ちの名人がそばを打てなくなるケースも紹介されていました。

同じ動作をくりかえすせいで、イップスが起きるのではないかと考えられています。

 

これらには、自分の体であるにもかからわず、思い通りに動かせない現象が起きています。

私はここに、「学校に行きたいけれど行けない」ときの、あの身体を語るための手立てを見つけられそうに思います。

 

身体は意思を持たずに動く

人は随意運動(意思のある動き)によって日常生活を送っています。

心身が健康な人であれば、自分の意思で体をコントロールし、思い通りの行動をするのはあたりまえのことです。

それゆえに、「学校に行きたいけれど行けない」という矛盾した心身が、障害的にとらえられるのでしょう。

 

もっとも、人の体は不随意運動にあふれています。

呼吸やまばたき、筋肉や内臓の収縮は、まず意識されません。

あくびやくしゃみ、しゃっくりや、寒さによるふるえ、体がビクッとするような動きなど、意思と無関係の動きはいくらでもあります。

 

やや専門的な話になりますが、イップスはジストニアと関係が深いとされています。

ジストニアは筋肉の収縮によって、思い通りに体が動かせなくなる症状を指します。

元は遺伝性の異常として研究されていましたが、1980年代以降は、筋肉の症状を幅広くとらえる概念として使われています。

 

まぶたがビクビク動くような眼瞼(がんけん)痙攣や書痙は、「局所性ジストニア」の一種だといいます。

いくつかの分類があり、「動作誘発性ジストニア」に分類されるもののなかには、「信号が青に変わり、一歩踏み出そうとしたときにだけ足が動かなくなる」という症状がありました。

これは症状が一定せず、通常の神経学では説明がつきません。

そのため精神科医によって、心理的な原因とする誤診が起きているといいます。

 

もし「登校イップス」だったなら

私は医学の素人であり、不用意に語るべきではないのでしょうが、もしも「通学のために玄関を出ようとしたときにだけ体が動かなくなる」という例をジストニアと考える医者がいるならば、私の記憶から反駁する主張は発生しません。

私の語ろうとしている「不登校」は心因性ではなく、身体の支障として語られるべき体験でした。

もしもあの体験が、教育学や心理学と関係なく(つまり学校や家庭の状況とは無関係に)、単に通学に対する動作誘発性ジストニアが起きていただけ、という理解でもよいのであれば、私の「不登校」論が語れるようになります。私は「不登校」の身体障害的な理解を敷衍したいわけではありません。ここではまず第一に、「不登校」が教育と心理の文脈で語られ、いまだに文科省が「無気力」や「朝起きられない」などと認識している現状に、根本的な疑問を呈したいのです。これは「不登校」を教育と切り離して語る試みのため、これまでの理解に対する根底的な異議となります。

 

飯島智則著『イップスは治る!』(洋泉社 2018年)では、イップス研究所の河野昭典所長が取材されています。

河野氏によると、イップスとは端的に「今までできていたことが急にできなくなる」症状のことです。

具合が悪くなるせいで電車に乗れなくなることや、急に会社に行けなくなることも、「以前できていた行動ですから、イップスと呼んでいいでしょう」と言っています。

この定義のみで一点突破するなら、「急に学校に行けなくなる身体」も、広義のイップスにあてはまります。

登校上のイップスであれば、「無気力」などと言う認識や語りは発生しません。

 

教育や家庭や心因の話とはまったく別に、身体の現象という語りが可能なのだとしたら。

ここにこれから私が語ろうとしている、「不登校」の未踏のコードがあります。

 

 

 参照文献
澤宮優『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』角川新書 2021年
平孝臣,堀澤士郎『そのふるえ・イップス 心因性ではありません 本態性振戦・局所性ジストニアのしくみと治療』法研 2021年
新堂浩子『演奏不安・ジストニアよ、さようなら 音楽家のための神経学』春秋社 2022年
飯島智則『イップスは治る!』洋泉社 2018年
石原心『イップス スポーツ選手を悩ます謎の症状に挑む』大修館書店 2017年

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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。 ブログ
https://kikui-y.hatenablog.com/entry/2022/09/27/170000

 

 

➡次回 イップスへの対処法と「不登校」への対処法 4月27日(木) 更新予定

 

 

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www.hikipos.info