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なぜ鮭の味噌炒めが私の「社会的ひきこもり」を終わらせたか? 「ひきこもり」と食をめぐって

一番おいしい卵の食べ方

 本当の意味でおいしい食事のできることが、人らしい暮らしの「豊かさ」ではないかと思う。私が誰とも会えないで過ごしていた十代の頃、養育者(親)の出してくれた食事は、栄養の多い、おかずの種類も豊富な料理だったけれど、当時の私にはおいしく感じられなかった。

 何かで読んだ話に、「一番おいしい卵の食べ方は何か?」という小話がある。黄身の輝く目玉焼き、ほかほかのスクランブルエッグ、塩をかけたゆでたまご・・・・・・など、答えになる卵料理はいくつもある。人によって好みもさまざまあるだろうし、親しい人たちの集まった食卓であれば、小さな議論を呼び起こすだろう。
 「おいしい卵」は何か、という問いかけへの答え……、というより、ちょっとした粋な返しがある。それは、「『一番おいしい卵の食べ方は何か?』というような雑談を、親しい人たちとしながら食べる卵」、というものだ。ズルい回答だけれど、何をどう食べるか以上に、気軽に、くつろいで、人と一緒に食べる食卓のあることが、一番おいしさを感じさせてくれる。そんな話だった。
 ――私にはこのささやかな小話が、切ない記憶を思い起こさせる。

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一番おいしくなかった生活

 以前の私は、極力人と会わない過ごし方をしていた。それが今では一人暮らしをして、自力でお金を稼いでさえいる。「社会的ひきこもり」の状態からは程遠い。どうして生活のあり方が変わったのか、強いてそのターニングポイントをあげるなら、私の思い出に「鮭の味噌炒め」がある。

 私は20代半ばの頃、多くの精神的な苦しさを抱えながらも、一人暮らしを始めた。自ら働くことはできず、ひどい落ち込みや怒りに見舞われることもあったけれど、NPOの運営する居場所に通っていた。その居場所で、私は同世代のT君と出会った。趣味の多い活発な人で、人なつっこい柴犬みたいな雰囲気をしている。私にとって未体験の「楽しさ」をたくさん知っていて、カードゲーム、麻雀、ダーツ、それにお酒とおいしいものが好きな人だった。

 今でも残っている感覚だけれど、私は社会的に意味のあることをしなければ、自分を許せない心理がある。就労や勉強もしないで、娯楽に時間を費やすなんて怠けだと思えてしまう。世間的な圧力が影響しているだろうその心理が、どれだけ自分の人生を貧しくさせてきたかわからない。

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一番おいしい鮭の食べ方

 T君はそんな感覚とは無縁で、ある時偶然もあり、私の家に遊びに来ることになった。「家に友人が来る」なんて、幼少期以来のことだ。夕方から二人で過ごし、雑談をしながら、スーパーで買ってきたビールを飲んだ。ビールを飲むこと自体、T君がいなければ覚えていない習慣だった。しばらく経つと、T君がつまみになるものが欲しいと言い出し、家の台所を使ってもいいかと聞いた。当時の私は自炊を覚えようとしていたところで、冷蔵庫には味噌と、スーパーで買っていた鮭の切り身があった。
 T君は料理屋のアルバイト経験もあり、調理は手慣れたものだった。台所に立つと、手早くフライパンを出し、油を敷き、ざっと鮭を炒める。味噌で味付けをし、まるで自分の家みたいに食器を取り出して(……その動作はずうずうしさではなく親しみからなるもので、)あっという間に鮭の味噌炒めが出てきた。

 私はこの手早さに、驚きからくる小さな衝撃を受けた。人の料理を間近で見ること自体が、ほとんど初めてに近かったということもある。自分が料理するのとはまるで違う手つきで、身近な調理器具が実用的に素早く使われ、生の食材が人のための料理に変わる。それも援助的な丁寧さで差し出されたのではなく、粗雑なくらいの手際で、「食えば?」くらいの適当さをもって出てきた。たったそれだけのこととも言えるけれど、これは私の人生で初めて出会うものだった。

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一番おいしい人生の味

 人と料理を共にすることは、深く複雑な意味合いを含んでいるものと思う。抑えつけられてきた感情をよみがえらせるものだと言っても、私には大げさではない。実際、「甘い言葉」とか「苦い経験」とか言うとき、それは味覚からくる表現が使われている。感情をより深く味合わせるもので、「味わう」という言い方がすでに味覚的でもある。人との関係を豊かにしうる意味があって、「意味」という言葉にもまた「味」の字が含まれている。味覚がいかに感性を回復させるか、その意義は世の中で思われているよりもはるかに大きいと思う。

 やや別の角度からの話で、精神科医の滝川一廣氏の指摘を思い出す。滝川氏によると、一部の神経症患者は夕食に呼ばれたことのない人が多い。言うなれば、友人の家での「食事の初体験」をしていない、と表現されている。思春期には家族との食事が煩わしく感じられるようになるものだけれど、友人宅での食事を経験していないと、「食卓レベルでの親離れ」ができなくなる。それが家族の食卓へのこだわりを生み、症状をこじれさせてしまう要因になる、と言う。
 私には、この話が自らの体験としてよくわかる気がする。

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私の人生で一番好きな料理

 公的な「ひきこもり」支援だと、就労とか資格取得とか、社会的なものばかりに向かう傾向がある。けれど私としては、それらはむしろ五感を抑圧するような性質があり、「社会的ひきこもり」の要因を深化させる場合もあるように思う。
 ごく小さな例で、世の中には「ひきこもり」向けに鍋を囲んでただ食べるだけの会や、「こども食堂」ならぬ「ひきこもり食堂」の活動が存在している。交友関係の延長としておこなわれているもので、私的な運営にすぎない。それでも食によって人とつながり、味覚から五感を充実させるのは、行政のお堅い支援よりも、はるかに豊かな可能性を持っているように思う。

 話を戻すけれど、あの日私に出された料理は、T君にとってはいつもどおりの、ただのビールのつまみだった。けれど私にはそのささやかな一皿が、自分の感性をよみがえらせる静かな衝撃になっている。私の一番好きな料理は、今でも鮭の味噌炒めだ。

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※中井久夫氏の講演録での発言から。
『名古屋の滝川さん(一廣氏、精神科医)が言っている名言で、私などはこれを聞いて、これは「コロンブスの卵」であると感心させられたことの一つに、神経性食思不振症の方は食事の初体験、つまりは思春期に入って後も、友人宅で晩ごはんを呼ばれたことがない人が多い。普通、思春期になると家でごはんを食べるのは煩わしいと感じるんだけども神経食思不振症の人はこの食卓レベルの親離れができなくて、かえって家族の食卓にこだわる。』(中井久夫著『「つながり」の精神病理 』ちくま学芸文庫 2011年)/()内も原文による。

 硬い表現がされているけれど、参考として同書の以下の箇所も紹介する。
『食事は味覚だけでなく視覚や嗅覚、触覚、さらに香辛料の一部には三叉神経を介する痛覚が参与し、重量感、内臓感覚、食卓の対人感覚、過去の個人的・集団的体験、知識、雰囲気、儀式も大きな意味を持って参加する対人的事象である。文化人類学者が異文化と接触してまず行うことは、共同の食事である。』

 

 お読みいただきありがとうございました。

 

 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん
1987年東京生まれ。8歳頃から学校に行かなくなり、中学の三年間は同世代との交流をせずに過ごした。二十代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験する。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。

 

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