ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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【NHKハートネットTV朗読記事】「ガッコウに行け」のルールに全員が縛られた

明日、 NHK Eテレ「ハートネットTV」で、「ひきこもり新時代2019 わたしたちの文学」が放送されます。番組では、当ブログの執筆者3名が、自身の手記を朗読しています。今回はその中から冊子版『ひきポス』に掲載された喜久井ヤシンさんの文章を抜粋・掲載します。「なぜ、ひきこもったのか」をテーマに書かれた切実な声。ぜひともご覧ください。

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出かける先がなかっただけ 

 

  私はこの人生で、一度も14歳の人と話したことがない。

 

  13歳とであれば、わずかにある。例の場所の入学式の日に、2、3人の人と。15歳の人とであれば、私が20歳を過ぎたあとに、少しだけ会う機会があった。けれど14歳の人というのは、私自身が14歳だった時にも、その倍以上の年月を生きのびてきた現在でも、たぶん一度もない。「中学校」と言われるあの場所へ通う三年間に、私は多くの時を一人の自宅で過ごしていた。それが「ひきこもり」の定義にあてはまるものだとしたら、「不登校からひきこもりになった」という、典型的といってもいい、よくあるケースに入るのだろうと思う。

 

 ガッコウとは八歳の頃から通学の有無でもめていたので、私が「中学校」の通学にあてはまらないことがわかっても、親とはあらためての討議はしなかった。(仕方ないね)(やっぱりか)(ああまたか)といったあきらめが支配的で、私は在宅で「中学生」の年月を過ごしていた。

 

 とは言っても、私は別に家にいたかったわけではないし、人に会わないと決めていたわけでもない。端的に、ガッコウ以外で出かける先がなかったので、特に会う人もいないという、それだけのことでしかなかった。はじまりはささやかな在宅で、そこから他の人と接することのない生活が当たり前のものになった。

 
 〔中略〕

 

  仲の良い人と過ごしていて、それがいきなりなくなったというなら、寂しさを感じることもあるだろう。けれど、はじめから親しい人がなく、一人きりの日常しか存在しない年月なら、寂しさを感じることもない。孤独でなかったわけではないけれど、当時は麻痺していたというか、親しさの経験そのものがなかったためなのか、寂しさを感じることを忘れていた。

 

  親しくなりえる人と出会う場所があったなら、たぶん情感が湧いてくることもあっただろう。けれど当時の私には、期待できる出会いの場はどこにもなかった。感情のためのリテラシーが、私の生活環境では得られなかった。

 

 人との交流がなくなった理由

 
 人との交流がなかった大きな要因をあげるなら、ガッコウという、公的なシステムとの関係がある。親などにとって、ガッコウへ行かない子供は病的な問題児だった。私はくり返し説教を受け、叱責され、何度もひどく傷つけられていた。
 
 
 ガッコウに通っている人たちと私はまったく別の人間で、お互いが関わることのない異文化圏の存在みたいになっていたので、私から交わろうとすることはなくなっていた。 ガッコウ以外で、フリースクールや何らかの趣味の集まりの人とであれば、交友関係を結ぶ機会はありえる。けれどそういった場へ行くことは、親や先生が推奨していなかった。
 
 〔中略〕
 
 仮に私がガッコウ以外の交流を楽しんでいたなら、親たちは「元気ならガッコウへ行け」という反応をしただろう。私が活発になってしまったら、 親たちは「なぜガッコウへ行けないのか」という問いをよみがえらせて、私をもう一度否定しにかかってくる。当時の私の立場に、人と交流するデメリットがあった。ガッコウに所属している人とは交流できない。そして、ガッコウ以外に所属している人とは交流すべきでない。よって、私は誰とも交流しない。 ......公教育を軸にして見るなら、私から人間関係がなくなった原因は、こんな単純な式でしかない。
 
 
  主流とは異なった教育方針を指す、「オルタナティブ・エデュケーション (もう一つの教育)」という言葉がある。ガッコウという正道へ行かない私に、親はフリースクールなどの「もう一つの」場所を紹介したことはある。けれど、親の最終目標は私がガッコウへ通うことで、私自身の心情なんて眼中になかった。ガッコウへ行けば良い子供だし、行かなければダメな子供で、私は他の場所へ行く力を失くしていた。
 
 
  もしもフリースクールなどのオルタナティブエデュケーションが広く認められていたなら、私はあんなにもわびしい、閉塞した子供時代を送らなくてすんだだろう。
 
 

ひきこもりという千日手

 

 ガッコウへ行け、という大人を通した社会的な指示を、私は正確に聞いていて、忠実に従おうとする子供だった。そしてそれができなかったので、過ごし方の選択肢は私になかった。

 

 ガッコウへ行くか行かないかの、100か0か、進むか止まるかの二択しかなくて、そして私は止まった。

 

 交流関係なく家で過ごして、他の選択肢がないまま何年もが経過したというのは、それ以外ないくらいに、すごく必然的な状況だったと思う。(ただしこのような言い方は、親や支援者の側からは絶対に言ってほしくない。私の状況を批評するという立場には、誰であれ立ってほしくない。)

 

 そこには、時として将棋の世界に現れる、千日手という事態に似ているところがある。千日手は、棋士同士が悪手を避けるために同じ手を打ち続け、結果としてゲームが進まなくなる局面のこと。私は状況に照らし合わせて、犯罪に走ったり自殺したりしない、自分なりの最善手として在宅していた。親や先生も子供はガッコウでしか育たないという意志で、最善手を打って私を追い詰めた。

 

 私にとっても、親にとっても、先生にとっても、大きくは社会にとっても、それぞれがこの日本のシステムの中で最善手を打とうとして、そしてその結果、誰も望んでいない手詰まりに行き着いた。それぞれの保身を含んだ、必然的な状況だったように思う。誰かから禁じ手が告げられることもなく、公教育の盤上から抜け出すこともなく、終わらない千日手が続いていった。

 

 こういったことは、教育のルールが大きく変わらない限り、これからも起こっていくだろう。たとえ私たちが、もう一度生まれてやりなおしたとしても、同じ手詰まりにまでたどりつくと思われるくらいに。

 

 

 

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 執筆者 喜久井 ヤシン(きくい やしん)
1987年東京生まれ。8歳頃から学校へ行かなくなり、中学の3年間は同世代との交流なく過ごした。20代半ばまで、断続的な「ひきこもり」状態を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター 喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter 

 

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