文・ぼそっと池井多
一部のひきこもり当事者団体が、安倍首相や西村経済産業大臣と会談したあと、先月下旬に政府は「新ひきこもり支援策」ともいうべき政策を打ち出した。
今後3年間で650億円を超える財源を確保し、就職氷河期の人たちを対象とした職業訓練や支援員の配置を行うのだそうである。(*1)
*1. NHK WEB NEWS 2019.12.23
ここで支援の対象者に「中高年のひきこもり」という語句は用いられず、「就職氷河期」という表現が採用されていることに、私は、
ひきこもりに就労支援をするわけではありません
という、一種の留保を感じる。
つまり、
「すべてのひきこもりが就労支援の対象ではなく、働きたいけど働けないひきこもりだけを念頭に置いているものだから、みなさん無駄に騒がないでね」
というメッセージなのではないかと感じるのである。
「働きたいけど働けないひきこもり」という表現は、だいぶ前よりひきこもりに関するメディア記事や報告書では、じつに頻繁にお目にかかってきたフレーズである。
しかし、この「働きたいけど働けないひきこもり」とは、実際にどのような人たちなのであろうか。
「働きたい」という気持ちまでの距離
私は、中高年のひきこもりを主な対象とした「ひ老会」(*2)という集まりをときおり主宰している。
*2. 「ひ老会」とは何か。
「ひ老会」でよく出るのは、
「働きたくても働けないひきこもり」は、
必ずしもほんとうに「働きたい」わけではない。
という話である。
もっとていねいに解説させていただこう。
一人のひきこもりが「働きたいけど働けないひきこもり」と呼ばれる存在になるまでの過程を、スローモーションで再現してみる。
たとえば、行政からの調査員なり、ひきこもり関連のジャーナリストなり、「外部」から誰かが中高年のひきこもりのもとへやってきて、こういう質問をしたとする。
「あなたは、働きたいですか」
そこで
「はい! 働きたいです!」
と元気に即答するひきこもりは、ほとんどいない。
そのように本心から即答できる者は、そんなところでグズグズしてないで、さっさとハローワークなどへ出かけているだろうからである。
すると、その人は「ひきこもり」と呼ぶにはふさわしくなく、「失業者」「求職者」へ分類されるものと考えられる。
多くのひきこもりは、ひきこもりである以上、
「はい! 働きたいです!」
とは即答しないであろう。
では、どう答えるか。
質問者との人間的距離が答えをつくる
人は誰でも、質問してきた者との人間的な距離を、ほとんど無意識のうちに測って答えを出す。それは、ひきこもりであってもなくても同じである。
行政から調査にやってきた人や、ひきこもりの記事を書こうというジャーナリスト(*3)は、だいたいの場合において、しょせん一人のひきこもり当事者からすれば、人間関係はうすく、距離も遠い人である。
こういう人に、のっけから本音を語るケースは限られてくる。そこで、いい子ぶった「よそ行き」の答えをしてしまう。いわば、個人から発信される「公式回答」である。
*3. 丹念に人間関係を構築することから取材に入っていくジャーナリストは別である。
どのような「よそ行き」「公式回答」か。
日本社会では「勤勉」「働く」ということに異様に価値が置かれるものだから、枕詞(まくらことば)としてとりあえず、
「働きたいけど…」
を頭にくっつけるのである。
さらに続けて「働きたくない」などというと、
「お前は怠け者だ」
などと責められるのではないかと警戒し、答えているそばから「働きたくない」を「働けない」に語形変化させて、
働きたいけど働けない
と答えるのである。
しかし、そのように答えたとたんに、報告書や記事には
「働きたいけど働けないひきこもり」
と書かれることになる。
そして、
「このひきこもりは働きたい。なのに、働けない。かわいそうだ。
これは、労働人口を受け容れない社会の問題だ」
という論調になっていき、どんどんそちらの方角で「解決」が考えられていく。
すると、結果的に「働きたいけど働けない」とうっかり答えてしまったひきこもり当事者が望むのとはまったく異なる方向へ支援制度が設計されていくのである。
このたびの政府による就職氷河期世代支援策も、その範疇に陥ろうとしているのではないだろうか。
けっきょく、「働きたくても働けないひきこもり」の多くは、
働かなくちゃと思うけれど働かないひきこもり
か、もっと詳しくいうならば、
であると私は考える。
行政からの調査員や、ひきこもり関連の記事を書くインタビュワーは、いっそのこと次のように聞いてみたらいかがだろう。
「あなたは働きたくないでしょう。
なぜ働きたくないのでしょうか?」
すると、もしかしたら何割かのひきこもり当事者は、
「働きたいけど働けない」
などタテマエ論を述べて時間を浪費することなく、自分の状態をダイレクトに描写する言葉を絞り出すかもしれない。
(了)