文・ぼそっと池井多
「地域で支えるひきこもり」を考える 第6回からの続き……
攻めの支援
最近「攻めの支援」という言葉を聞くようになった。
「当事者が申請してくれないと支援の手が差し伸べられない」
という申請主義の限界に焦りを感じている支援者たちが、本人が申請しなくても支援者の判断で支援を開始できるようにすることを指して、「攻め」に出る福祉を目指しているということらしい。
ちょっと聞いたかぎりでは、素晴らしいことのように聞こえる。
しかし、それが支援者たちの善意から出ている発想だと信じるとしても、福祉の受け手からすれば、もろ手を挙げて歓迎というわけにはいかないだろう。
「攻め」が受援者にとっても幸福をもたらす保証があるならばよい。
けれど、その保証はないだろう。なぜならば、支援者と当事者の人生はちがうものだからだ。
もしかしたら「攻め」によって、当事者は不本意な支援につなげられ、もはや引き返すことすらできなくなる危険もある。
ひきこもり支援の場合、「攻めの支援」の典型はアウトリーチ(直接訪問)であろう。
支援を申請してこない当事者たちの家に、支援者たちが直接出かけていって支援につなげる、といったものである。
8050問題で孤立した家庭が、家庭内殺人や死体遺棄などさまざまな惨劇に到った事件を思い返せば、そういう家庭に「攻め」に出たくなる支援者の心理もわからないでもない。
しかしむずかしいのは、そういう極端な状態に到っている家庭はごく一部であると想像されることだ。
支援者からすれば、たとえごく一部であっても自分たちの管轄でそういう事件を発生させてはならない、と考えるために、万全の態勢を敷いておきたいのかもしれない。
またアウトリーチという仕事は、暑い日も寒い日も雨の日も風の日もわざわざ出かけていって、ときには対象者がひきこもるドアの前から呼びかけ続けるといった、肉体的にも精神的にも大変な労働であるイメージがつきまとうために、とかく自らの存在意義を求める支援者にとっては、
「わたしは支援をいっしょけんめいやっている」
という感覚を与えてくれる行動となる、という一面もあるのではないだろうか。
しかし、原点に返れば、被支援者は支援者の欲望を実現する媒体としてそこに存在しているわけではないのである。
支援されたくない当事者たち
これまでの調査によると、次のような結果が出ている。
2018年から2019年にかけて、私たちが主催するひきこもり系イベント(俗にいう「居場所」)に参加するひきこもり当事者・経験者たちに、
「あなたはアウトリーチを受けたい、もしくはひきこもっていた時に受けたかったですか」
というアンケート調査をおこなった。
すると、76%の当事者・経験者は「受けたくない」「受けたくなかった」と回答した。
この結果だけを見れば、こう反論する専門家がいるだろう。
「それはひきこもり当事者団体が勝手にやってる非学術的な調査だ。すでに母集団がそういうイベントに出てこられる当事者・経験者へとバイアスがかかっている。全国の平均をあらわす数字ではない」
では、つぎの調査結果はどうか。
東京都立川市が2022年におこなったひきこもり実態調査である。対象は内閣府のいう「広義のひきこもり」状態にある市民であり、質問は、
「現在のあなたの状態について関係機関に相談したいと思いますか」
というものだ。
ここでも71.4%が「思わない」と回答している。
さらに、NHKが2020年に全国自治体のひきこもり相談窓口を対象に行なったアンケート調査がある。
「支援を難しくしている最大の理由は何ですか」
という質問に対する複数回答で、71.4%の相談窓口が
「本人の支援拒否」
を挙げている。
これら3つの質問は、質問内容も対象となる回答者も異なるものである。
しかし、これらの結果を総合すると、全体像としておよそ7割台、4人に3人の当事者は支援者のアウトリーチをいやがっている、という事実がさまざまな角度から浮かび上がるのではないだろうか。
守りの支援
こうなると、支援というものは「攻め」に出るよりもまずは「守り」を万全に固めるべきではないか、という考えが浮かぶ。
この場合「守りの支援」とはどういうことが考えられるか。
それは例えば、当事者が支援を受けるハードルを低くする、といったことだと思う。
そんなことを考える一つの例を、最近の私の体験からお話しさせていただく。
講演などで遠方の土地へお呼びいただくたびに、貧乏人の私は支給していただく交通費を今後の活動へ十分に役立てるべく、すぐ行って帰ってくるということはできるだけしない。
それを機会にその地方のひきこもり事情をより深く知り、人々に会い、お話をうかがう機会とさせていただいている。
先日もある地方に呼ばれたとき、かねてよりインターネットでやりとりしていたひきこもり当事者の
当太郎さんはかねがねこう言っていた。
「自分が住んでいるA市のひきこもり支援はひどい。ひどいから受ける気にならないんだけど、ときどき受ける気になっても、自分は電話がかけられないので、相談時間を予約するということができない。もちろん一人で窓口を訪ねていくことは、もっとできない」
ひきこもり当事者によくある、電話恐怖症である。
かくいう私もそうだ。
ひきこもり当事者が持つ電話恐怖症については、弊誌にも他の執筆者から以下のような記事があるので参照されたい。
私は当太郎さんに申し上げた。
「もうすぐあなたが住む近くへ講演に行くんだけど、講演が終わったら、私がついていくから、いっしょに窓口を訪ねるってのはどうだい」
それで当太郎さんが了承し、私はA市の駅に降り立つ運びとなったのである。
A市のひきこもり相談窓口のウェブページには、
「ご来訪の際は必ず電話かファックスで予約を取るようにしてください」
とあった。
いきなり訪ねてくるなよ、と言っている。
なるほど、ここに当太郎さんはまず第一のハードルを感じているわけだ。
ファックスというのは平成時代の連絡手段であるように思う。
令和の若い人は、ほとんどファックスなど使ったことがないだろう。
そして電話。……
多くの当事者は、1番に怖いのが直接訪問で2番目が電話だが、私は逆で電話がいちばん怖い。
せっかくA市まで来て、目の前にひきこもり相談窓口があるのに、
「この敷居をまたいではならぬ。まずは電話しろ」
と言われている状態となってしまった。
「なんで電話恐怖症の私がここまで来て、電話なんかかけなくちゃいけないんだ」
と泣きべそをかいたが、仕方がない。
いわゆる「ふつうの人」は、こんな時にお役所の前でスマホを取り出し、その場で電話するのかもしれないが、電話恐怖症の私はそうはいかない。まずは電話するための心構えと覚悟を固めなくてはならないのだ。そのためにはどこかお店にでも入って、体勢を建て直す必要がある。
となれば、これはどこか昼から飲める立ち呑み酒場でも探し、そこでベロンベロンに酔っぱらって恐怖心を麻痺させたら電話もできるだろうか。じっさいA市の駅に降り立ったときに、駅前の商店街にこの地方の地酒を呑ませる、日本酒好きの私にとってはたまらない小さな立ち呑み酒場があったのだ。うっしっし、あそこ行くか。……
いや、待て待て。そうすると呂律の回らない口調で電話することになり、先方は私の人間性を怪しむことだろう。
いや、私はもともと怪しい人間であるから、怪しまれたところでべつにかまわないのだが、今回は私が怪しまれると、仲介しようとしている当太郎さんの人物評価に響いてくる。それはまずい。
そこで仕方なくカフェを探し、酒の代わりにコーヒーでお行儀よく心境を整え、意を決してA市のひきこもり相談窓口に電話をかけたのであった。
「あのう、……そのう、……ええっと」
相手が出ても、電話がこわい私はすぐに言葉が継げない。
講演などで何百人を目の前にしても平然と話せるのに、相手が見えないととたんに恐ろしくなり言葉が紡ぎ出せなくなるのだ。
「あのう、……そのう、……つまり、ひきこもり支援のことで……相談したいんですけど、今日これから訪ねていってもいいですか」
ようやく、そこまで言い切った。自分としては、これでもうひと仕事終えた気分であった。
すると、電話口に出てきた女性職員の方が豆のはじけるような威勢のよい声で答えた。
「あ、ひきこもりですか? えーっと、今日は担当の者がいないので、、、」
私は、おずおずと言ってみた。
「それじゃあ、別の方でもいいんですが」
威勢のよい女性は答えた。
「うーん、担当は
すごく忙しそうな口調だ。その圧力に押されてしまい、
「はあ……、はあ……、んじゃあ」
と電話を切るしかなかったのである。
なんだよ、と思った。
「では、ご用件だけうかがっておきます」「では、担当者に申し伝えます」ぐらい言ってくれてもいいじゃないか。
こちらはこれだけ心の準備を万端整えて電話をかけたのに、その努力が無になった気がした。
多くの当事者はここで「もう二度とここにはかけるか」と思ってしまうだろうし、私の場合も、A市に来ているのは今日だけなので、今日に話が通じなければもうそれまでである。
お役所の事情も考えてみる
しかし、むやみに行政を突き上げればいい、というものでもない。
よく行政を突き上げることで、言論人として居場所を獲得している者がいる。そうなると、ひきこもり当事者にとって建設的な提言を行なうことは二の次になり、自分の活動のためにひきこもりの存在を利用している格好になってしまう。
そこで、こう考えてみた。
ひきこもりにもいろいろな当事者がいるように、公務員にもいろいろな方がいる。
一つ、ここは好意的に解釈してみよう。
A市のひきこもり担当の丹東さん自身は、もしかしたらひきこもり問題に熱心な公務員なのかもしれない。だから、その担当をやっているのかもしれない。だから、あちこち熱心に駆けずり回っていて、それでこの日も役所にいなかったのかもしれない。
しかし、もしそうだとしても、お役所としたらそれをフォローする体制が整っていなければいけないのではないか。
電話口に出たこの威勢のよい女性を含め、部署の他のスタッフは少なくともひきこもり問題に熱心というわけでなさそうである。
もし丹東さんが今日は出庁していなくても、同じ部署にいる他のスタッフが来訪者に会って、用件を聞いて、とりあえず対象者とつながってもらうわけにはいかなかったのか。
それが無理だというのなら、こちらは電話恐怖症を乗り越えてやっとかけた電話なのだから、せめて用件だけ聞いてくれてもよかったのではないか。
私の妄想はどんどん膨らんでいく。……
「冗談じゃないわよ」
と、あの威勢のよい女性はいうかもしれない。
「あなたは働いたことがないからわからないかもしれないけど、役所では各人に割り当てられた仕事の領域があり、私は私で自分の仕事を片づけるので精いっぱいなわけ。
私たち公務員はいっしょけんめい仕事してもしなくても給料は変わらないから、できるだけ仕事を増やさないように心がけている公務員がほとんどなのよ。
それに私たちはみんな仕事でひきこもり支援をやってるだけで、働かないひきこもりの心に寄り添うだけのメンタルな余裕もないし、すべての公務員が等しく福祉マインドを持ってるわけなんてないでしょ。考えてみなさい」
と。
もし、そう言われたなら、タジタジと納得してしまいそうな自分がいる。
なぜならば、賃金労働していないので、自分は社会的に「働いてない人」であり、そのことが発言を引っこめさせるのだ。
しかし、それでは、お役所ではそれぞれの担当領域がはっきりしているために、かえって効率が悪くなっているということではないのか。いわゆるタテ割り問題である。
いや、こちらもひきこもりという、「効率」とはおよそ縁遠いことをやっている人間である以上、人さまの仕事を指して「効率が悪い」などと偉そうに指摘できる立場にはないのだが、それにしてもお役所仕事のこの効率の悪さは何とかならないものだろうか、とやはり考えてしまうのである。
当太郎さんが、
「この町のひきこもり支援はひどいですよ」
といっている意味がわかる気がした。
たしかに制度はある。窓口もある。でも、それを動かすマインドがないから機能していないのである。
A市のような「ひきこもり相談窓口」は、ほとんど「そういう窓口がある」というアリバイ実績のために設置されているのにすぎず、相談受付の前には「ファックス」「電話」「担当者不在」「メッセージ伝達なし」といったあらゆるハードルが設けられ、当事者がかんたんに仕事を持ちこんでこないように水際作戦を敢行しているのに等しい。
結局、私がA市に滞在しているあいだに当太郎さんに同行して窓口につなげて差し上げることはできなかった。
これには、往年の不敗ナポレオンも冬のロシアの極寒にやられてやむなく撤退したように、「電話」という不得意な戦場に引きずり込まれて手も足も出ず言葉も出ずムザムザと撤退してしまった私の力不足もある。
東京へ帰ってから、私は改めて全国あちこちのひきこもり相談窓口の態勢をインターネットで調べてみた。
2018年以降、ほとんどすべての自治体にはいちおうひきこもり相談窓口があるようだ。
しかし、連絡手段をA市のように電話とファックスに限っている自治体がほとんどであることがわかった。この点においては、A市だけがとくにひどいわけではなかったのである。
そこで私は、Twitterでこのように呼びかけさせていただいた。
すると、たちまち106人の方から「いいね」をいただき、82人の方が賛同してリツイートしてくださった。ありがたい。これでだいぶ声が広まったことだろう。
日付を見ればわかるように、これが4月19日である。
その後、まだ体系的に再調査していないが、一つでも多くのひきこもり相談窓口が、ひきこもり当事者が連絡しやすいメールやSNSの受付ルートを設置してくれていることを願ってやまない。
メールやSNSでも相談を受けるようにするためには、パソコンやインターネットが扱える若い担当者を配置しなければならず、また匿名のアプローチが可能になってイタズラが増えることも予想されるため、お役所としてはより多くのマンパワーが必要となる。
そういう所へ、今まで体力勝負のアウトリーチに割いていた若いマンパワーを割くというのはいかがだろうか。
また、自治体によっては、パソコンやインターネット環境がものすごく古く、すぐに対応できない所も多い。そういう自治体は、新しい機器に買い替えなくてはならないだろう。費用がかかる。しかし、アウトリーチの人件費に割り当てていた予算をまずこちらに回したらいかがであろうか。
「攻めの支援」に出るよりも、その力を優先的に割くべき「守りの支援」の例は他にいくらでもある。本シリーズや講演でも、機会があれば今後ともまた挙げさせていただこうと思っている。
・・・「地域で支えるひきこもり」を考える 第8回へつづく
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくなっている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
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