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コロナ鬱に陥らないために ~ いま谷崎潤一郎に学ぶ「ふてぶてしく、ひきこもる」

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photo by 雅楽 / Photo AC

文・ ぼそっと池井多

 

「コロナ鬱」「自粛疲れ」といったことが、しきりと言われている。

 

外出の自粛が本格的に始まった三月末には、多くの人が、

「二週間ぐらい経てば、事態は好転する」

と思っていただろう。

しかし、それから二週間はとうに過ぎた。依然として収束時期は見えない。

トンネルを抜けられる目途が、

「一ヵ月先になりそうだ」

「いや、三ヵ月先に」

などとと次第に先延ばしになるのを聞くと、先行きの見えない不安と、出口のない閉塞感が私たちの頭上からのしかかってくる。

 

さらに、そこへ加えて

「今回のウィルスには抗体があまり作られない」

などと専門家が言い始めたのを聞くと、

「一度かかってしまえば大丈夫」

「ワクチンを打てば大丈夫」

という希望すら取り上げられた形となり、

「この戦いは延々と続きそうだ。もう世界は変わってしまったのだ」

などと状況にゲンナリしてしまう。

「戦い」といっても、「戦い」という概念が持つ行動的なイメージは裏切られる。「家にいろ」という。そうなると、もう何をどうすればよいものかわからず、多くの人が鬱になるのである。

 

おのれのエロスへ忠実に

しかし、このような状況になると、なぜか私は大正から昭和にかけて活躍した文豪、谷崎潤一郎を思い出す。30代のころに4年の間、いわゆる「がちこもり」をした時も、たしかそうであった。

 

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谷崎潤一郎
Photo by Wikimedia

谷崎は、太平洋戦争のころ、関西の郊外にある寓居ぐうきょにひきこもり、自分の作品世界へ没入していった。

外は、日増しに空襲がひどくなっていった時期である。

「昨日はどこそこの都市が焼け野原になった」

「昨日はだれそれが空襲で亡くなった」

といった知らせが、毎日のように彼の耳にも届いてきたことだろう。

 

そのような状況は、さぞかし、

「今日、新型コロナの感染者数は200名を超えました」

「○○県でも死者が出ました」

といったニュースが毎日のように入ってくる、現在の私たちとよく似ていると思う。

 

空襲で失われたのは人や街だけではない。

谷崎が何よりも愛した多くの文化財が焼失し、日本が日本でなくなっていくような心細さに、彼もとらわれたのにちがいない。

 

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『細雪』執筆時に谷崎がひきこもっていた「倚松庵」
Photo by Wikipedia


そのような時、谷崎はひきこもった。

そして、戦争とはまったく関係のない一つの物語を、来る日も来る日も連綿と描いていったのである。

人生の残り時間をすべてそこへ注ぎこもう、といった覚悟だったのかもしれない。

 

書き綴った物語は、彼が惚れた女の話にすぎない。

しかも、今日ならば健全な市民たちがたちまち眉をひそめ、よってたかって袋叩きにする「不倫」の果てに、谷崎が大店おおだなの旦那から奪い取った女性(*1)と、その姉妹たちの物語であった。

 

*1. その女性、谷崎潤一郎の三人目の妻となった森田松子は平成になるまで生きていた。1965年に谷崎が没したのち、自らも随筆家谷崎松子として活躍、1991年に87歳で亡くなっている。現在、その娘谷崎恵美子氏が谷崎潤一郎の著作権を所有している。2015年、NHKが彼女に関する番組を放送した際には、タレント壇蜜が松子を演じた。

 

時代は、そんな太平楽を受け容れる素地を持っていなかった。

市民たちは、

「欲しがりません、勝つまでは」

をはじめとした、数々の戦時スローガンをかかげ、大政翼賛にごうじていた。

谷崎はそんなものには目もくれず、かといって政治色のきつい野暮な反戦を叫ぶでもなく、ひたすら自らのエロスへひきこもったのである。

毎日のように街が焼け、人が死に、破滅と終局が刻々と迫ってくるなかで、谷崎は不謹慎な細密画を描きつづけた。

 

谷崎はうつにならなかった。

 

当時の人々の目には、谷崎のしていることは「社会参加」とは映らなかっただろう。「社会からの撤退」にしか見えなかったにちがいない。

しかし、谷崎は「社会からの撤退」を極めることによって、逆に社会に激しく参加したといえるのではないだろうか。

谷崎の描く作品は「戦時にふさわしくない」との理由で軍部から再三、発表を差し止められ、弾圧された。戦後はGHQからも差し止められたものである。

すなわち、社会参加しないことを極めることが社会参加の最たる形となっていたわけであり、

「政治から遠ざかることほど政治的なことはない」

という逆説が成り立つ地点に、彼は立っていたのである。

 

こうして書かれた『細雪』は、長い戦争が終わり、ようやく日の目を見た。1947年にはベストセラーになったために、今日の私たちは作品の大成功といった結果から逆算して、彼の書為を評価しがちである。

しかし、作品を書いているさなかの谷崎の頭の中はどのようであっただろうか。

「この延々と続く戦争は、はたしていつ終わるのか」

「もし終わるにしても、それまでに書き溜めた作品も焼けてしまうのではないか」

「作者本人である自分も、それまでに死んでしまうのではないか」

といった数々の不安が渦巻いていたのにちがいない。

それら先行き不透明感に足をさらわれることなく、ふてぶてしく自らのエロス(*2)に忠実であったところに、谷崎のほんとうの偉さがあるように思う。

*2. いうまでもなく「エロス(Eros)」と、いわゆる「エロ」はちがう。

 

何もすべての人が作品を書く必要はない。谷崎はたまたま文章家であったため、それが「作品を書く」という行為になっただけの話である。

コロナ感染が拡大していくなか、公共パブリックとの兼ね合いを考えながら、各自がそれぞれにとってのそんな行為を見いだしていくことが、おそらく望まれるコロナ鬱からの回避法なのだろうと思う。

 

(了)

 

 ぼそっと池井多いけいだ 東京在住の中高年ひきこもり当事者。横浜に生まれ、2歳まで過ごし、以後、各地を転々とする。大学卒業時23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的に今日までひきこもり続けている。VOSOT(チームぼそっと)主宰。GHO(世界ひきこもり機構)代表世話人。facebookvosot.ikeida twitter:  @vosot_just

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