文・写真 ゆりな
凍りつくゆとりを与えず、その場が流れていくのは
我が家の悪行だろう。
「あんたとは一生、談笑することなんて出来ないからね」
それは、私の目の前で、空気を揺らすことなく、
母の、皮肉のこもった笑いが過ぎ去った。
母がそんな言葉を漏らすことをこの時、予想できなかった。
もっと用心しているべきは、私の方だった。
テレビから流れてきた、「談話」というワードが、
疲れた母の機嫌に触れ、私という存在を目にして形を変えたのだろう。
唐突に訪れた衝撃波に、母の煮詰まった本音が沸き立ち、熱い気泡となって飛び散った。
私は、本当はショックを受けていることを悟られないよう、母の煮えたぎる本音に気付いていることを顔に出さないよう、
小さく笑うことで精一杯だった。
そうやって、私たちはまた、「嘘」を並べ続ける。
表面上の言葉。嘘の言葉で成り立つ会話。
それで、この家は回っている。
ふと、私は家族の前で「虚偽の言葉」しか並べられないことに気付く。
世間に合わせた言葉を。
子供らしい言葉を。
上辺だけの言葉を。
沈黙しないよう、時間をつなぐための言葉を。
彼らを納得させられる言葉を。
私は
「普通じゃない」と言われないために、
私の内的世界を守るために、
母の中にある、「子供の頃の私」を完全に壊さないために、
家族と言葉で交わることで、自らの価値観を侵食されないために、
ひとまず、時間を稼ぐために、
思ってもないこと、言いたくないことを、口にして会話を成立させる。
その場は何事もなく乗り切れたとしても、
「私、本当はそんなこと思ってないよね?」
と、本心の自分がすぐさま肩をたたき、
背骨に、己を裏切った罪悪感がのし掛かる。
家族同士の会話で沈黙が耐えられないという事実は、恥ずかしくも、今に至るまでの長い歳月、家族間の信頼関係の構築がなされてこなかった現実を私に突きつける。
「振り出し」に戻す母の言葉
冗談やその場しのぎの言葉が時間を埋め合わせ、
けれど実際は、互いが腹の中で何を考え、何に悩み、何に苦しんでいるのか知らないまま過ごしている我が家の日常は、
一度、他者が外から見ただけでは分からない"不気味さ"を孕む。
そんな混沌とした家庭環境で
私は「虚偽の言葉」に染まらないよう、部屋で努めて"一人"になろうとする。
家族に顔向けするための言語と、己の内的世界に浸るための言語。
私にとって、家にいる間、それらを使い分けなければならない疲れは、日ごとに蓄積し、身体を重くする。
また、
母からの言葉はいつも、私を「振り出し」に戻す。
『あなたに出来るわけがないじゃない』
『そんな無理なことをしようなんて、笑わせてくれるね』
ようやく自分の手で見つけ出し、自分の意志で拾い上げた"サイコロ"を、
懸命に振り、出た目の数だけ前へと進んできたはずなのに、
私の人生をどこからか見下ろしていた母は、
隙を付いたように上から手を伸ばしてきて、
駒と化した私の首を掴み、
スタート地点に私の身体を置き去る。
私がやっとの思いで進んだ歩数は、
母から見たら、それは「価値」として認められず、
私の身体に、達成感と充実感を上書きする絶望感と疲労感を残していく。
◇
ある一日を言葉で切り取り、私は言葉に救いを求める。
どうしたって逃れることの出来ない現実は、私の前に立ちはだかる。
「これから、どうやって生きていけばいいのだろう…」
その解を、余力があるうちに探し出そうと焦る姿勢が、さらに生きる気力を奪う。
心奥を捻る倦怠感は、眠気と一緒に、壁の向こうの湿気に溶けていった。
<プロフィール>
執筆者 ゆりな
2018年2月にひきポスと出会い、物書きデビュー。
以降、自身の体験や心に触れる違和感・痛みを書き綴る。
自己否定の限界が訪れた先で、社会とぶつかった接点に残る傷は、今も薄い皮膜を帯びながら、「生きること」への恐怖を訴えてくる。
苦しさの根源に向き合い、自己と社会の