今回は当事者発信メディア「勝手に橋本新聞 不定期‼」をただお一人で製作している、ひきこもり経験者の橋本太さんにお話を聞きました。
ーいつごろから橋本新聞を発行されましたでしょうか。また発行の動機はなんでしょうか。
2016年9月からです。内閣府が15-39歳の当事者数を全国で推定54万人と発表した直後です。06年の同様の調査から15万人減少した理由を内閣府は「支援がある程度効いたから」と説明しましたが、私はそれは違うと思いました。
「ひきこもりの支援は現状のままで十分だ」という意識が世間に広く定着してしまうことを危惧したし、そうさせないためにもとにかく当事者としての意見を表明していくことが必要だと考えました。
私はたまたま文筆やイラスト描きが好きだったため、自然と「手作り新聞」でという形になりました。
ーどのように制作してますでしょうか
A4コピー紙の両面に印刷しています。パソコンは画像の保存や印刷程度でほとんど使いません。既存の新聞紙面やネット記事を出力して切り貼りです。
記事の出どころや掲載日を添え、読者が情報を追跡しやすい工夫をしています。私の考えやイラストを付けて、ひきこもり関連の書籍や相談会、居場所、啓発イベントなどの情報提供、それに私がひきこもり中に行ってきた生活の工夫も載せています。
文字はボールペンで手書きしますしイラスト着色は色鉛筆です。デジタルではなくあえて温かみのある手作り感にこだわっています。
ーこの新聞はどなたに向けたものでしょうか。またどのようにすれば読むことができますでしょうか
私は大学で心理学専攻の後ひきこもったので当事者と支援者双方の気持ちが分かります。双方の通訳の役割を果たすことで、お互いの理解が深まれば…。
もちろん家族の方や、この問題に無関心でいる多くの人に向けた内容もあります。全号が浜松市精神保健福祉センターに置いてありますが、元がセンター利用者だけに見せる前提で始めたものなので、今はすみませんが誰もが見られる状態にはなっていません。
もし将来的に強い要望があれば無難な部分を再編集データ化して、実費負担してくださる方にお分けすることはあるかもしれません。
ー橋本さんのこれまでのひきこもり体験を教えてください
17歳の時に信頼していた人に突然拒絶されたのがきっかけでした。二浪の末にようやく大学へ進学。しかし就職活動ができず、卒業後は最低限の外出しかできなくなりました。父が小さな会社を経営していましたが平成の大不況のあおりで倒産・自己破産…。私を支援する余裕のなかった父との関係は険悪になりました。
父の死を機に浜松市精神保健福祉センターを訪れ、ピアサポーターとしての体験発表や居場所の利用などで10年かけて上向いていきました。その間に精神障害者手帳を取得。50歳で初めて障害者枠での就労を果たしました。
今は就労継続支援事業所で週5日間働いています。通信アプリLINEのスタンプ作成の仕事で、私が手がけた「おむすびネコ」や「ハチッ鼻アザラシ」等のキャラが既に販売されています。
スタンプは、当事者がまずLINEから誰かとつながり始めるきっかけになりうるかもしれませんね。仕事は午後3時前に終了ですが、自由な時間がたくさんあるので、地元の居場所や家族会にも可能な限り顔を出し続けています。
ひきこもり問題は私と一生切り離せないと思うので、今後もできる範囲で何らかの支援に関わっていきたいです。
ー最後に、読者の方へのメッセージがありましたらお願いします
支援というと相手に何か分け与える印象がありますが、それは相手を弱者と見る上から目線かもしれません。
私は他の当事者のために何かしたいと思う反面、自分がそんな立派な存在ではないという事実に常に悩みます。
私にできることはせめて、他の方々が抱える苦しみを少しでも引き受けることだけではないかと…。こちらの元気を与えるのではなく、あちらの苦しみをもらうこと…それすら相手の苦しみの1%すら背負うことができないのかもしれませんが、私は常に「あなたと一緒に苦しませて下さい」というスタンスを大切にと思っています。
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