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「地域で支えるひきこもり」を考える 第6回 日本の社会福祉、第4の転換点

文・ぼそっと池井多

居場所への参加距離

私は東京都の練馬区でひ老会(*1)という当事者会を運営している。

きこもりといを考える」の略であり、長期高齢化したひきこもり当事者を対象として始めたが、やがて当事者の親御さんや兄弟姉妹、さらには支援者の方も来られるようになった。

それを当事者たちも拒む気配はなく、むしろ立場を違えて意見を交流する場として歓迎するようになっていったため、しぜんと「8050問題」に関する情報交換の語らいの場(*2)として成長していった。

 

*1. ひ老会 https://hikipla.com/groups/57

*2. 私はここに「居場所」という表現を用いない。なぜならば、居場所とは各人が居場所と感じる空間のことであり、それは図書館でもカフェでも河原でもどこでもよく、「はい、ここがあなたたちの居場所です」と供給する類のものではないと考えるためである。しかし中見出しには「居場所」という表現を用いた。その理由は、「ひ老会」を含めて本人が居場所と感じる時間と空間の在り方を考える際には、そこまでの距離の問題は一般化して語れると考えるからである。

 

参加者の方々が、地理的にどこから来ているかをまとめたものが下の円グラフである。

コロナ禍が始まる前の2017年12月から2019年3月にかけてと、コロナ時代の新しい運営方法が定着してきた2022年4月から新型コロナがインフルエンザと同じ5類に移行した2023年5月にかけて、それぞれ集計した2種類の数字を比べてみた。

コロナ禍の前は、地域からの参加者は5%にすぎず、東京都内の他の市区町村からの参加が40%、千葉・埼玉・神奈川県など東京都以外の関東地方からが34%、東北・中部・近畿など関東地方以外からの参加が21%であった。

 

これらの数字は何を語っているだろうか。

一般の人々には、ひきこもりというとまず「家から外に出られない人」という連想が働くようである。そして、その延長で、

「ひきこもりは、たとえ家から出られても、遠くへは行けない人」

と考える人が多い。

けれども実際は、家から出られて公共交通機関にも乗れるひきこもり当事者(*3)は、いったん外へ出てしまうと距離はさほど問題ではなく、目指す「場」の特徴が自らが求めるニーズと合うならば、かなり遠方であっても出かけていく人が多いのである。

 

*3. なかには公共交通機関に乗れないひきこもり当事者も少なからずいる。そういう当事者の存在は、また別枠で考えなくてはならないと思われる。

 

もちろん遠くより近いほうが要する時間も交通費も少なくて済むという利点はある。しかし本シリーズ 第1回「他者という認識」で述べたように、それに対して遠方へ行くことには精神的に楽になれるという利点もあるのだ。

なかには毎回、高速バスに乗って泊まりがけでいらっしゃる参加者もあり、弊会の参加のために月一回の遠出をするのを楽しみにしている当事者の方もいた。

そういう実態は、「各自治体に居場所を」「地域で支えるひきこもり」と提唱している支援者の方々はご存じないのではないだろうか。

 

コロナ禍を経た参加距離の変化

2020年2月にコロナ禍が始まり、県境を越える人の移動に自粛が求められるようになると、遠方からの参加はできなくなった。また、いつも開催してきた公民館に使用制限がかかったため、Zoomを使ったオンラインに切り替えて開催を続けることになった。

数か月が経ち、コロナ時代の新しい運営方法が確立していき、「換気する」「少人数」「飲食しない」などの条件をクリアすれば再び公共施設が使用できるようになったころ、私たちはもっと地域からの参加者を増やすことに取り組んでみた。

地元のボランティア・センターなどに置きチラシをし、地元のひきこもり問題を共有するネットワークをつくり、かなり地域の当事者や家族の方々に存在を知っていただく努力をおこなった。その結果、コロナ禍の終期には上の右側のグラフのように、地域からの参加は約3倍の15%強に増えた。

しかし、ここで私はむしろ

「これだけ地域に呼びかけても、地域からの参加は15%強にすぎない」

ということを申し上げたいのである。

なぜならば、「地域で支えるひきこもり」というコンセプトを推進している人々は、おそらくこの段階で80%以上が地域からの参加者で占められることを想定しているだろうからである。けれども実際は、これだけ地域に呼びかけても、そのような割合には程遠い。

このことは「地域で支えるひきこもり」というコンセプトが、やはり的外れであることを示しているように思われる。

 

都市部と村落部における「地域」の差異

また、これもコロナ禍の始まる前だが、下の図のようなヒアリング調査をおこなったこともある。

 

首都圏で開かれる複数のひきこもり関連のイベントで、参加者たちに「当事者会や居場所に行くのに、自分の地域の外へ行くことはありますか」という質問をした。

すると「いつも地域の外へ行く」と答えた者が68%、「よく地域の外へ行く」が23%であった。合わせて9割以上が「当事者会や居場所へ行くのに、自分の住んでいる地域の外へ行くのが通常である」と答えたことになる。

これは、公共交通機関が発達している大都市近郊だから出てきた数字かもしれない。5分も待っていれば隣の自治体へ行く次の電車がやってくる都市部(いわゆる「都会」)では、自分が住む地域から外へ出るのが容易である。

かたや公共交通機関が半日に1本といった村落部(いわゆる「田舎」)においては、自分の車を持っていなければほとんど移動ができない。そして、ひきこもり当事者はたいてい貧しく、自分の車は持っていないのである。

それでは、村落部に住んでいるひきこもり当事者は自分の地域から出られないことに満足しているかといえば、けっしてそんなことはない(*4)

 

*4. 弊誌冊子版 HIKIPOS Vol.11「特集 ひきこもりと地方」参照

https://hikipos.thebase.in/items/53523406

 

結局、都市部にかぎらず村落部のひきこもりでさえも、やはり潜在的に「地域で支えるひきこもり」という支援コンセプトをいやがっている、という事実が浮かび上がっているのではないだろうか。

 

政治や報道が語れない「地域」の人間社会

「地域」を対象とする社会学などでは、住民は無機化された学問用語に還元されてしまう。いっぽう「地域」を伝えるジャーナリズムでは、そこにホンワカした「いいひと」しか登場しない。

「地域で支えるひきこもり」を推奨する報道では、ひきこもり当事者がそういう地域の「いいひと」住民とつながって、理解されて、地域のきずなを活かしてひきこもりから「立ち直る」ことができました、というストーリーが定番である。

 

しかし、実際はどうか。

私がいま住んでいる町へ二十余年前に引っ越してきた直後、アパートの階段の下に降りていくと、そこに近所のおばさんたちが立ち話で溜まっていた。なかでも有力者らしきおばさんが、

「あんた、引っ越してきたのに何も持って来ないのねえ」

と私に向かって言葉を投げ、おばさんたちは嬌声を立てて笑った。

これは私にとってほとんど恐怖の体験であった。

この町のしきたりも、誰が有力者なのかも知らなかったし、知りたくもなかった。私はそういう世俗的なつながりに神経をすり減らしたくないから、この目立たない古いアパートに引っ越してきたつもりだったのだ。

以後、二十年余り、私は近所とは没交渉にしており、近所の人が外にいるあいだはできるだけドアの外へ出ない。

 

また、こんな事実もある。

以前、私と同じような境遇の当事者仲間が、自分の住んでいる地域である人についつい生活保護受給者であることを語ってしまったところ、次の日から近所の人たちがつぎつぎと腐った野菜や賞味期限切れの食品などを持ってくるようになった。

善意の言葉とともに持ってくるため、彼女は断るに断れず、すべてを苦々しく受け取るしかなかった。ほどなく彼女の部屋は近所のゴミ箱のようになった。

彼女は福祉事務所のケースワーカーに相談したようだが、ケースワーカーの方も近所の人たちまでコントロールすることはできず、けっきょく彼女は転宅、つまりその地域から引っ越すことになった。

これは彼女自身にとっても行政にとっても大きな負担を強いるものであったが、それしか解決策がなかったのである。

同じ福祉事務所の管轄内で、できるだけ元の地域から離れた町に転宅し、転居先では彼女は一転して生活保護であることを公表しないことで、新しい生活を立て直した。

 

私が「地域で支えるひきこもり」というコンセプトにひきこもり当事者として反対している背景には、こういう事実を身近にいくつも目撃し体験しているからという理由がある。

こうした事実が社会の表に出ることは、まずない。

新聞記者たちであってもなかなか掘り起こせないし、また掘り起こしたとしても、福祉を否定していると誤読されることを恐れて、上が掲載を許可しなかったりするだろう。

しかし実際は、福祉の対象者たちである住民が棲む人間世界は、善意も悪意も混然一体と入り交じった重層的なものである。このような複雑さや重層性を省いて、まるで立体的な街を平面図に単純化するような、明快な人間観で社会が語られ、政策が唱えられ、支援の制度も設計されているというのが現状である。

 

支援者の都合としての「地域で支えるひきこもり」

ひきこもりを支えるのが地域である必要は、少なくとも受援者の側にはない、ということがこれまでにおわかりいただけたと思う。

では、いったいどのような理由から「地域で支えるひきこもり」というコンセプトが唱えられているかといえば、それはまぎれもなく支援者の側の都合である。

第一に、行政によって支援を行なうときには、行政単位である自治体が管轄地域の存在を成立の要件としている。くだいて言えば、面積を持たない地方自治体はないということだ。

また社会福祉協議会のように、厳密な意味では行政機関ではないところも、やはり行政単位に準拠するかたちで管轄地域を受け持っているので、話は同じことになる。

 

第二に、地域福祉という概念が社会福祉の世界において金科玉条になっているきらいがあるためである。

日本の社会福祉は、これまで3つの大きな転換点(*5)をのりこえて、さまざまな模索の末に現在の地域福祉という考え方にたどりついたと言われている。

それは理解できないわけではない。しかし、先人たちの苦労の結晶であるがゆえに、福祉関係者のあいだでは地域福祉という概念がまるでありがたくもあり頑迷でもある宗教のようになっていて、地域福祉に基づかない発想を自らに禁じてしまっている、というようなことはないだろうか。

 

*5. これまでの社会福祉の大きな転換点とは次の3つを指す。

第1:大正デモクラシー期(1912~1932年):1919年 世界初の障害年金制度の導入、1922年 貧民救済法の施行など。

第2:戦後高度経済成長期(1947~1964年):1950年 生活保護法の制定、1959年 国民年金法の制定など。

第3:高齢化社会対応期(1991年~):1997年 介護保険制度の導入、2010年 障害者基本法の制定など。

 

支援対象としての「ひきこもり」の存在性

現在の日本で喫緊の課題である少子高齢化に対応するためには、地域福祉はたしかに合理的なコンセプトかもしれない。

地域のお年寄りを地域でケアすれば、支援者も被支援者も遠くまで行く必要はない。地域という共同体内部の親和性が良い方向へ作用することが期待できる。

また子育ても自分が住んでいるエリアですべて事足りた方がよい。

 

ところが、ここに至って日本の社会福祉は「ひきこもり支援」に手を出し始めたのである。そして同じ地域福祉という基盤の上に「ひきこもり支援」という新しい建物を構築していこうとしている。

しかし、高齢者支援と同じようにひきこもり支援を考えるのには無理があるのだ。

 

まず人は齢をとれば誰でも高齢者になるが、人は誰しもひきこもりになるわけではない。

よくひきこもりへの理解を呼びかけるために「ひきこもりは誰にも起こること」というフレーズが使われるが、それを「人は誰でも老人になる」と同じように考えることはできない。

蓋然性ではなく結果論から見れば、やはりひきこもりになる人とならない人が存在する。生涯を通じてひきこもりにならない人が社会の大多数を占めており、そういう人々はひきこもりになる人の精神世界や内的状況をほぼ想像できないと言ってよい。

被支援者としての「ひきこもり」は、被支援者としての「高齢者」と、存在の性質が異なるのである。

 

じつは、この文脈における「ひきこもり」のような存在性は、過去にもあって、その分野ではローカルに問題になったのにちがいない。たとえば刑務所出所者への更生支援などはどうだろうか。近所の人に知られたくない、という点で共通しているはずである。しかし、このような被支援者の存在性はクローズアップされることなく今日まで来てしまったのである。

このような領域も対象化するには、日本の社会福祉は第4の転換点をのりこえなくてはならないと思われる。

 

ぼそっと池井多 過去の講演用スライドより

 

地域を超えるひきこもり支援とは

実際にあった話を少しモデル化してご紹介する。

A市に住むひきこもり当事者のヒキオさん(40)は、長い逡巡のすえに行政によるひきこもり支援を受けることにしました。

しかしA市の行政機関には高校時代のクラスメイトが勤めているので、どうしても行きたくありません。

そこで、電車に乗って遠方のB町まで行くことにしました。
なぜならば、かねがねひきこもり当事者仲間からインターネット経由で聞いている評判によれば、B町で行われているひきこもり支援ならば自分に合いそうな気がしたからです。


さて一方、B町のひきこもり相談窓口で働いていた公務員の公子きみこさんは、ヒキオさんの来所相談を受けて頭をかかえました。

ヒキオさんの本籍も住民票もB町にはありませんでした。町民ではないヒキオさんのひきこもり支援をおこなうには、二言目には「町民のための町政」と演説する町長の許可が下りないでしょうし、たとえ町長が黙認したとしても、もし社会に知られたら、受益者負担主義にたがうために納税者である町民やオンブズマンからの追及が始まることでしょう。

公子さんは泣く泣くヒキオさんの依頼を断ることにしました。

断られても、ヒキオさんはA市の窓口に戻る気にはならず、けっきょく行政によるひきこもり支援を受けること自体をあきらめました。

画:ぼそっと池井多 with Leonardo.ai

じっさい、私の周囲ではこれと似た事例がたくさん起こっている。

しかし、支援にかかる公費の支出について、一時的には特定の自治体に負担が生じても、あとで損益が自動的に調整され、どこの自治体もひきこもり支援に関して公平に支出するシステムを作れば、このような問題は起こらなくなるのではないだろうか。

そのようなシステムを作るためのヒントを2つ紹介してみたい。

 

図書館の相互利用

1つめは図書館である。

現在、日本のほとんど自治体の住民は、他の自治体の図書館も相互利用できる(*6)が、このシステムはもともと1973年に東京都が図書館相互利用条例を制定し、市区町村立図書館の連携を目指した図書館協議会が設立されたことから始まっているという。

 

*6. 参照:e-Stat 政府統計ポータルサイト 社会教育調査 
 「令和2年度 図書館資料の図書館間相互貸借の実施状況」
 https://www.e-stat.go.jp/stat-search/

 

1990年代になると、これに範を得た図書館協議会が日本各地に作られ、自治体の壁を越えて情報共有や政策立案などを行ない、図書館間貸借制度や共通利用カードを導入することで利用者である住民の利便性を高めた。

こうしたネットワークを運営していくには追加の財源が必要となるが、図書館協議会を通じて自治体間で財源の共有がなされている。

 

鉄道の相互乗入れ

2つめは鉄道会社である。

大都市近郊では、いくつもの鉄道会社が相互乗り入れを行なっている。たとえば郊外の地上駅から私鉄Xに乗ると、地下鉄Yに切り替わって中心街の地下を走り、やがて反対側の郊外の地上に出てZ鉄道の路線を走る。これでX・Y・Zといずれの鉄道会社も損をしない。

この仕組みは収益配分と呼ばれ、各鉄道会社から独立的に設けられた鉄道収益配分機関(*7)が、各社の営業実績から収益を計算し公平に分配しているため可能となっている。

 

*7. 鉄道収益配分機関 (Railway Clearing House)は、それぞれの鉄道会社からは独立した別個の会社だが、日本ではJRのように大きな鉄道会社のグループ傘下であることがほとんどである。

 

図書館の相互利用と鉄道の相互乗り入れという、いっけん異なる分野の2つのシステムは、地域を超えたひきこもり支援を考える際に貴重なヒントを私たちに提供していると思われる。それぞれの事業体が別々の財源を持ちながら、共通のネットワークを運営するためのヒントである。

前者における図書館協議会が、後者における鉄道収益配分機関にあたるだろう。ひきこもり支援のネットワークにおいても、それにあたるような、どこの自治体からも独立的な機関を作ればよいのである。

そして、それはなにも税金をつぎこんで新たにつくる必要すらない。各都道府県のひきこもり支援センターが担当すればよいのではないだろうか。
そうすれば、ひきこもり当事者はどの自治体に住んでいるかに関係なく、地域を超えて支援が受けられるようになるだろう。

 

最終的には政治家の決断

しかし、それでも立ちはだかる障壁がある。

各自治体の首長たちの決断である。

首長たちの本音としては、次の選挙でも当選するために、

「ここの自治体の住民でよかった」

という声を住民たちの間に育みたいことだろう。

だから、近隣の自治体とは行政サービスで差をつけて、住みやすさをアピールし、自らの実績としたいことだろう。

けれども、この考え方に固執されると、ひきこもり支援においては自治体の境界線に壁が保たれることになる。

「地域限定」のひきこもり支援は、ひきこもりのためにならないのだ。

 

この点において、首長の皆さんには、ぜひともひきこもり支援に関して新しい考え方を持っていただきたい。

もっとも、ひきこもりに関する政策は、現在のところ Nothing About Us Without Us (私たちのことを私たちのいない所で決めないで)という当事者主権の原則に基づかず決められているから、私のような一人のひきこもり当事者が言ったところで、政治が耳を貸すとも思えないのだが……。

 

・・・「地域で支えるひきこもり」を考える 第7回へつづく

 

<筆者プロフィール>

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