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大器晩成の偉人たち 「もう手遅れ」の絶望と、「まだこれから」の希望のあいだで

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「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七」

「それは、何の事なの?」

「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
(太宰治「津軽」)

 

老い。

もともと厳しいこの人生を、こいつがさらに厳しくさせているように思えてならない。

 

「人生百年時代」などというが、何事かを成すなら早い方がいいに決まっている。

脳の研究によると、細胞やらシナプスやらの活動ためには、幼いうちから経験を積むことが必要だという。

プロの演奏家を目指すのに、年をとってからでは遅すぎる。

一流のスポーツ選手になりたいなら、子供のうちから競技に取り組んでいることが必要だ。

中年以降に名声を得るクリエイターたちにしても、十代・二十代から力を発揮し、評判の基礎を固めている。

 

早いうちから天職に出会い、早熟な才能を発揮した人々がうらやましい。

音楽家ならばモーツァルト、画家ならピカソのように、才能のない者が数十年努力しても敵わないほどの技術を、誰に習わずともそなえている人々がいる。

作家でも、芸術家でも、数学者でも、科学者でも、それは同様だ。

若くして成功できるほどの才能こそ、時代を画する実力者ではないだろうか。

 

私は天職どころではなかった。

十代はガッコウに行かず、二十代で働きに出られなかったため、人との交流自体が少ない。

半生におよぶ年月を無駄にして、若い時代はあっけなく過ぎ去っていった。

同世代から取り残されて、世間では下の世代が功名を上げている。

若くない自分が何かを始めようとしたところで、それはあまりに貧弱な活動力だと悲観してしまう。

人生で最良の時期はもう終わったのだ、と思えてくる。

 

 

一方で、「まだこれから」、と思えてしまう希望が、まるきりないわけでもない。

「もしかしたら」、という楽観も、くすぶっているのだ。

 

 

世の中には、大器晩成型の人々がいる。

晩年になってから才能を開花させ、人生を成功させる人々である。

 

現在、東京の世田谷美術館では、アメリカのグランマ・モーゼス展が開かれている。

モーゼスはアメリカの国民的な画家と言われているが、絵筆をとったのは75歳のときだ。

初めて個展を開いたのは80歳。

1961年に101歳で亡くなるまで、創作活動をつづけた。

 

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高齢になると創作意欲が衰えるイメージがあるが、高齢になってから活動を活発にした人である。 

 

 

美術の歴史のなかでは、ポール・セザンヌ(1839-1906)が大器晩成だった。

『草上の食事』などで知られる19世紀の画家だが、若いうちは不遇である。

評論家からは酷評され、サロンでは落選つづき。経済的にも豊かでなく、筆を折っていてもおかしくなかった。

それが中年以降に評価を高め、初の個展が開かれたのは1895年。セザンヌは56歳となっていた。

 

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セザンヌ作「さくらんぼと桃のある静物」

 

ジャーナリストのマルコム・グラッドウェルは、セザンヌをはじめとした大器晩成型の人々を、以下のように評している。

『世界中のセザンヌたちが才能を遅く開花させるのは、性格に欠点があったり、集中力が足りなかったり、あるいは野心が欠けていたためではない。試行錯誤によって生まれる創造性が実を結ぶまでに、長い年月が必要だからなのだ。』

才能がないのではなく、自らの才能を熟成させるために、時間のかかるタイプがいるだけだという。

 

日本にも、年をとってから劇的に進化した画家がいる。

有名なところでは葛飾北斎(1760-1849)だ。

北斎は若いころから画家として世に出ていたが、現在世界的に知られる「富嶽三十六景」を描いたのは、実に72歳のときだった。

波の先端が鋭い鉤爪(かぎづめ)状になった海の絵である。

それまでも富士と波を題材にした作品を描いていたが、出色の出来栄えだったとはいえない。

46歳のときに描いた波は、力がなくのっぺりとしている。

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それが晩年になってから先鋭化し、「グレートウェーブ」と称される偉大な波濤(はとう)を生みだした。

老年まで熱情的に取り組み続けたからこそ、歴史に残る絵画を完成させたのだ。

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芸術家に限らず、文化的な創造者たちも、年齢の制約をもろともしていない。

世界の文学者たちの古典もそうである。

平均寿命が短かった時代に、中年を過ぎてから偉業を成し遂げた作家たちがいた。

 

ダンテが『神曲』を書き始めたのは42歳。

セルバンテスが『ドン・キホーテ』に取り組んだのが57歳。

デフォーが『ロビンソー・クルーソー』を書き出したのは59歳。

スウィフトが『ガリヴァー旅行記』を書いたのは53歳。

スタンダールの『赤と黒』の完成は52歳で、しかも初めての小説作品。

ヘンリー・ミラーが『北方回帰』を書き上げたのは43歳で、初めて印税を受け取ったのは63歳だった。

 

科学者においても、歴史的研究に到達する年代は若くない。

特に自然科学系のノーベル賞は、近年受賞者の年齢が高くなっている。

2021年の場合、90歳の真鍋淑郎氏を筆頭に、受賞者の平均年齢は68歳だった。

受賞までの年数が長くなっていることが要因だが、研究時の年齢そのものが上がっているのも確かだ。

世界的に寿命が伸びており、高齢の学者の偉業は珍しくなくなっている。

 

なにも、自分が成功せねばならないと思っているわけではない。

孤独に生きていながら、偉くなるのだと考えているわけではない。

しかし大器晩成でなくとも、せめて自分なりの小器晩成の可能性をみていたいのだ。

「もう」この年だから、という失意ではなく、「まだ」この年ゆえに、という希望を残していなければ、人生は辛すぎる。

老いさらばえていくだけではないのだという慰めのために、何もかもが手遅れで、取り返しがつかないと思えたときに、それでもなお、自分でも、まだ、もしかしたら、失意以外のものがおとずれる明日も、ありうるのではないか、という、希望を、凡才の老いのなかにも、残しておきたいのである。

 

 

 

 

 

参照 佐々木中『アナレクタ2 この日々を歌い交わす』河出書房新社 2011年

Photo by Pixabay
※46歳の葛飾北斎の作品「神奈川沖浪裏」中の「おしおくりはとうつうせんのづ」の画像は、以下の「ハフポスト」の記事からの転用。https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/01/hokusai_n_7916436.html

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  文 キクイ ヤシン
詩人。個人ブログ http:// http://kikui-y.hatenablog.com/

 

 

 

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