文・写真 ぼそっと池井多
・・・「地域で支えるひきこもり」を考える 第8回からのつづき
このシリーズでは「地域で支えるひきこもり」という支援コンセプトについてさまざまな角度から考察しているが、ひきこもりという表に出てこない人口層を行政が支えるときにまずは何から支えるとよいかという提言的視点から、今回は「地域」「行政」「ひきこもり支援」という3つのキーワードを軸に筆者自身の当事者手記を書かせていただく。
プロローグ ~ 令和元年六月
令和元(2019)年の6月は、練馬事件(*1)で始まった。
6月1日に、練馬区に住む元農水次官がひきこもりの長男をメッタ刺しにして殺害した事件である。それは
連続的に起こったこれらの殺人事件は、中高年のひきこもり問題について全国に警報を鳴らす形となった(*3)。
たちまち厚生労働省は同月、6月14日の通達で
「全国の自治体のみなさん、ひきこもりを地域で支えてやってください」
という主旨(*4)のメッセージを発信した。
そこで説かれる「地域で支えるひきこもり」というコンセプトは、じつはこのとき作られたものではない。10年以上前から徐々に時間をかけて整備され(*5)、すでに前年までには法的な基盤がほぼ整っていた(*6)。
そこへ凶悪な事件が立て続けに起こったものだから、もはやグズグズしていられないと、まるで尻に火が点いたように事件から2週間という短期間で厚生労働省通達が発せられたのである。
いっぽう全国の自治体たちにとっても、この通達はけっして「寝耳に水」ではなかっただろう。その前から、各自治体たちはそれぞれ「地域で支えるひきこもり」へ向かって動き始めていたはずである。
なぜ一人のひきこもり当事者にすぎない私がこんなことを断定的に言えるかというと、厚生労働省が通達を発する前日に、すでに私は住んでいる自治体の福祉課長からじきじきに訪問を受けていたからである。
ひきこもりの常として私は他の人を自分の部屋に入れたくないので、自宅訪問はご遠慮いただき、近くの公民館でお会いすることにした。課長とその部下の方は1時間以上にわたって丹念に私の話を聞いてくれ、私が主宰している当事者団体VOSOTの活動を見たいとおっしゃった。
他の参加者さんたちのご迷惑にならないのなら、私は歓迎である。そこで課長さんたちはそれから複数回、半年以上にわたって、私たちが中高年のひきこもりを対象として開いている「ひ老会」(*7)や、ひきこもりを問題として抱える親子のためにやっている「ひきこもり親子クロストーク」(*8)などに休まず足を運んでくれた。
私の「地域で支えるひきこもり」体験は理想的なかたちでスタートしたといえよう。ところがこの後、それは思わぬ方向へ転じていったのである。
*1. 練馬事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/元農水次官長男殺害事件
*2. 川崎市登戸通り魔事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/川崎市登戸通り魔事件
*3. 正確には、川崎市登戸通り魔事件の犯人は「自分がひきこもりである」と認めたことはなかったようなので、これをひきこもりによる事件とすることには注意が必要である。なお二つの事件の間に福岡でもひきこもり関連の死傷事件が起きたが、なぜかこちらはあまり語られることがない。
*4. 正式文書名は「ひきこもりの状態にある方やその家族から相談があった際の自立相談支援機関における対応について」であり、内容は厚生労働省が各都道府県・政令指定都市・中核都市に宛てて、ひきこもりについての相談があったときにどのように地域で支えていくかについて留意事項を述べたものである。
https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/000519834.pdf
*5. もともと日本の社会福祉の歴史は3回にわたる大きな変革期を経て、現在の少子高齢化社会に適するように「地域福祉」という概念にたどりついたというマクロな流れがあるが、もっと局所的に見るならば、2008(平成20)年リーマンショックが起こったことが端緒となったといえよう。そこから2012(平成24)年、社会保障制度改革推進法が作られ、翌年には生活困窮者自立支援法が成立した。
*6.2018(平成30)年、生活困窮者自立支援法が改正され「地域における福祉」「地域社会からの孤立(を防ぐ)」などの文言が盛り込まれたことを指す。
*7. ひ老会 「ひきこもりと老いを考える会」の略 https://hikipla.com/groups/57
*8. ひきこもり親子クロストーク 2019年当時は「ひきこもり親子公開対論」という名称で開催していた。https://hikipla.com/events/1949
第一の壁、電話。
2020年2月、コロナ禍が襲来した。
人と人がリアルに会えなくなり、経済は沈んだ。
私たちの当事者活動もあおりを受けた。このひきポスも、リアル会場で講演会が開かれなくなったため、手売り販売の機会がなくなり財政難に陥った。
私が主宰する当事者団体VOSOTの活動もそうである。ふだんは参加してくれる方々の献金に頼っているのだが、それで資金がじゅうぶんに集まらなくなれば、私の生活費から持ち出すしかない。
ところが、私も貧困層であって、生活費とはすなわち生活保護でいただいている生活扶助のお金であり、あまりそれを活動費につぎこむと今度は私の生活が「健康で文化的な最低限度」を下回っていく。それではよくないということで、2020年9月私はVOSOTのために助成金を申請することにした。
時期的に申請が間に合う助成金として、ある銀行と同じ名前の財団が見つかった。
「地域の行政から推薦状をもらってくること」
というのが申請の条件であった。
具体的にはどこからどういう文章をもらってくればいいのか。財団に尋ねることにした。メールやチャットの問い合わせ窓口はなく、電話で尋ねるしかなかった。けれども私は、ひきこもりによくある電話恐怖症と来ている。
「電話をかけなくちゃ」
と思うだけで、その日はうつになって動けなくなってしまう。そこで、酒をのんだり薬をのんだり、いろいろ自分をごまかしてようやく電話をかけた。
すると、電話に出た財団の人がいうには、地域の社協か行政の人に、
「たしかに、そういう団体はうちの地域に存在し、活動しています」
という旨を
そこで私は申し上げた。
「そういうことでしたら、地域の社協や行政でなくても証明できます。私たちの活動はNHK(*9)とか朝日新聞とかのメディアで報道されているので、そういう記事やリンクを添付するのではいけませんか」
*9. NHK
「ダメですね。地域の社協か行政の言葉でなくてはいけません」
へえ、メディアの言葉ってそんなに信用されてないのか。
私は大人になると同時にひきこもりになり、社会的に働かない人生を歩んできたので、働く人々の常識や社会の掟がわからず、この齢になっても知らないことだらけである。
仕方がないので私は住んでいる地域の社協へ電話をかけることにした。酒をのんだり薬をのんだり、はたまた酒と薬を一緒にのんだりして(*10)自分をごまかし、ようやく電話をかけた。
電話をかけることは大仕事だったが、逆に電話をかければそれでこの一件は解決すると私は期待していた。というのは、そのときから遡ること半年前、私は東京都の社会福祉協議会が主催するフォーラムでパネリストを務め、そこで私たちの活動も紹介していたからである。
私たちの地域の社協さんも当然そこに参加して、私たちの活動を聞いていると思ったのだ。
*10. よい子はまねをしてはいけません。
ところが、電話に出た地域の社協の人は無情にも、
「私たちはVOSOTなんて知らないし、あなた方がどこでどんな活動をしているかも知らない。だから推薦状は書けない」
などとおっしゃる。
さては、東京都の社会福祉協議会が主催したフォーラムといっても、うちの地域の社協だけは出席していなかったのだろうか。あるいは出席していたとしても、忙しくて他ごとを考え登壇者の話を聞いていなかったのだろうか。それとも私が住む地域は、じつは東京都ではなかったのか。
私はひきこもりとして社会的に働かない人生を歩んできたので、働く人々の常識や社会の掟がわからず、この齢になっても知らないことだらけである。
第二の壁、異動。
そこで私は、財団の人が推薦状は「地域の社協か行政に」書いてもらってこいと言っていたのを思い出した。ならば、社協がダメなら行政がある。そこで私は行政に書いていただくことにした。
行政ならば、窓口は区役所の福祉課だろう。
ここならば絶対に書いてもらえる確信があった。
なぜなら、先ほどプロローグに書いたように、2019年6月から約半年のあいだ、ここの課長さんと部下の方が複数回にわたって私たちVOSOTのイベントに参加されていたからである。
これで、行政はVOSOTという団体がこの地域で活動していることを知らないなどとは言わせない。
私はまたもや酒をのんだり薬をのんだりして区役所に電話をかけ、福祉課につないでもらった。電話に出た福祉課の職員の方に、これまでの福祉課とうちの団体のやりとりを説明し、推薦状を書いてくれることをお願いした。
職員の方は訊いてきた。
「私どもの課長の名前は何といいましたか」
私は答えた。
「 ✖ ✖ さんとおっしゃいましたが」
すると、職員の方はなにやら断わりモードで言うのである。
「ああ、それは昨年度の課長ですね」
どういう意味だろう?
「……と、おっしゃいますと……」
「4月に人事異動があって、その者はもう他の部署へ異動したのです」
行政には毎年、異動というシステムがあり、福祉課の課長さんはもう今はちがう人のようなのである。
しかし、それでも別にかまわない。推薦状を書いてくれるのは今の課長さんだって一向に差し支えないのだ。ところが、職員はこう言うのである。
「なので、私どもはお宅さまの団体のことは存じ上げません」
私はあわてた。
おそるおそる訊いてみた。
「あのう、私はお役所の仕組みをよく知らないのですが、異動とかになった場合、過去のお仕事の記録は残っていないのでしょうか」
すると電話口の職員は面倒くさそうにおっしゃる。
「記録はあると思いますが……」
ここで「公務員の方によけいな仕事をさせてはいけないな」「嫌われたくないな」と思ったらすぐに、
「では結構です。ありがとうございました」
と電話を切るところだが、私はひきこもりとして世事にうといので、臆面もなくお願いしてしまった。
「記録があるならば、調べていただけませんか」
すると先方はやはり渋々という。
「わかりました。では、お調べいたします。それで、またこちらからかけ直します」
それから区役所からのコールバックを待っていたが、その日のうちには電話はかかってこなかった。
第三の壁、年度。
電話が返ってきたのは翌日である。
「調べてみましたが、たしかに前任の課長がそちらにうかがった記録はありました」
ああ、よかった。これで書いてくれるだろう。
ところが、職員は続けてこう言うのである。
「しかし、今の課長と相談いたしましたところ、前の課長から何も申し送りを受けていないし、今の課長は貴団体のことは存じ上げないので、残念ながらやはり私どもからそういった推薦状を書くということはできないとのことです」
記録はあっても申し送りを受けていなければ、お役所では記録を情報として役立てることはしないということだろうか。でも、これではいくら地域の民間団体が行政につながりを作っても、年度が変わって人事異動があるたびにつながりは
私はひきこもりとして社会的に働かない人生を歩んできたので、働く人々の常識や社会の掟がわからず、この齢になっても知らないことだらけである。
この窮状を当時のブログに書いたところ、寄付金を送ってくださる親切な方もいた。そういう方々には厚く御礼申し上げる。
もちろん、そうした浄財は一円の無駄もなく活動に役立たせていただいたが、助成金や補助金で得られるようなまとまった金額ではなかったため、当初計画した活動の拡充には及ばなかった。
「地域で支えるひきこもり」は何から支えるべきか
「地域で支えるひきこもり」という。
ひきこもりを支える手法はアウトリーチばかりではない。むしろアウトリーチを嫌っているひきこもり当事者のほうが多いはずだ。以下のグラフはVOSOT主催の「ひ老会」「ひきこもり親子公開対論」というイベントに参加した、ひきこもり当事者・経験者を対象に2018年から2019年にかけて取ったアンケート調査の結果である。
では「地域で支えるひきこもり」というとき、まず何を優先的におこなうべきか。私は、すでにその地域でひきこもり問題に関して実績のある民間の活動を行政が後方支援することだと思う。
そういう団体を財政的に補助するのが理想だが、それがダメならせめて他の財団などに助成金を申請するときに「この団体はうちの地域で活動しています」の一筆ぐらい書いてくれるのが「地域で支えるひきこもり」の基礎なのではあるまいか。
地域と助成金ということでは、こういう話もある。
ひきこもり当事者は概して貧しい。交通費がないために居場所に参加できない者もいる。
私たちの「ひ老会」にも地域の外から自転車や徒歩で、ときに県境を越えて何時間も歩いてこられる参加者の方がいる。夏の暑い日盛りなどは大変だ。
遠距離を通ってきてくださる貧しい参加者たちが、せめて公共交通機関で来られるように助成金で交通費を支給したいと考えたことがある。そこで、ある地域活動のための助成金を受けようと説明会へ出かけていき、相談をした。
ところが、相談に応じた財団のスタッフがいうには、そういう参加者が通ってくるのは地域の外からなのだから、交通費の支給は地域のためとはいえず、この助成金の主旨ではないからダメだという。
これは「地域」という概念が、困っている者を支えるためではなく、逆に疎外するために機能していた一例であった。
第四の壁、当事者活動。
地域の行政から推薦状を断られて3年が経った。
2023年、あるジャーナリストの方に取材を受けていて、話の流れで一連の経緯をお話ししたところ、彼女が詳しく調べてくれることになった。私が住んでいる地域の行政に長年勤め、いまはどこかの大学の先生をしている方に、
「どうしてVOSOTは地域の活動団体として行政に認められなかったのか」
という問題について訊きに行ってくれたのである。
その先生のお答えはこうであった。
「それは、そのVOSOTという団体が、その自治体がやっている地域まちづくり団体(仮称)に登録していないからだろう。自治体としては、管轄地域でどのような民間団体が活動しているか知らない。だから、そういう団体を把握しておくために、地域まちづくり団体を公募し、登録した団体は管轄の対象とするかわりに補助金などを出している。登録していなければ、行政にとってその団体は存在していないも同じ。それが理由だ」
しかし、私はこの理由もおかしいと思った。
たしかに2023年時点では、私の住む地域に「地域まちづくり団体」という制度があり、登録した団体には補助金が下りているようだが、私が推薦状を書いてほしいとお願いした2020年にはその制度そのものがなかったはずである。
もし私がまちがっていて、2020年当時その制度がすでにあったとしても、それが理由であるならば、福祉課の人が断わるときにそう言うだろう。隠す理由ではないからである。
そして、何といっても大前提として、あのとき行政が私たちの団体の存在を把握していなかったわけではない、という事実が挙げられる。前年度の課長が書いた記録が残っているのは、福祉課も認めたからである。
こうなると、理由はどこか他にあるのではないか。
被害妄想といわれるかもしれないが、ここで考えられるのは、やはり私たちの地域において私たちの団体がひきこもりの当事者団体である、という点である。
ひきこもりの家族会は、私の地域でも立派に行政によって活動団体として認められている。また他の地域ではひきこもり当事者団体でも行政から認知され後援されていると聞く。となれば、これは私の地域の行政は特別にひきこもり当事者活動に、
「ひきこもり当事者団体というのは、しょせん働いてない、ひきこもってる子どもの立場の者がお遊び感覚でやっているんじゃないの。ろくなことしていないだろう」
というような偏見を持っているのでは、と考えたくなるのである。
よけいな仕事は背負いこまない
今年、2024年3月に私は懲りずに地域で「ひきこもり問題合同相談会」というイベントを開催した。
これは官民を問わず、地域内でひきこもりに関して活動する団体が一堂に集まり、当事者・家族・支援者の間ですれちがう言葉をすり寄せていき、参加者がそれぞれ求める相手とお話しするというイベントであった。
結果的に、地域の外からも参加団体や参加者が多く集まり、見込んでいたよりも2倍以上の方にお越しいただけた。助成金は申請できなかったので、財源は参加してくださる方々からの献金に頼った。
しかし、地域の行政からはあいかわらず相手にされないのである。
このイベントがまだ企画の段階で仮のチラシをつくり、それを区役所の福祉課の方々に持っていったのだが、反応がなかったので、それから2か月後、完成版の正式チラシが刷り上がってきたときに、もう一度区役所を訪れお渡ししてきた。
それでも行政は何も反応してくれなかったし、当日イベントを見に来た職員など一人としていなかった。福祉課にお渡ししたチラシも、たぶんゴミ箱に直行したのではないかと思われる。
開催が、行政職員の方々にとって休日である土曜日だったから来られなかった、ということが理由に挙げられるかもしれない。しかし、もし平日に開催すれば、今度はひきこもり問題を持つ親御さんたちが仕事で来られなくなる。だから、どうしても週末にせざるをえないのである。
それに2019年に当時の福祉課長さんが見学に来たころは、土曜日でも日曜日でも来てくれたものだ。となると、「職員の休日だから行かれない」ではなく、本当は「行く気がないから行かない」のにすぎないのである。
まあ、私も働いていない人だから、働きたくない心理はよくわかる。ならば、「地域で支えるひきこもり」なんて綺麗ごとも言わないでほしい。
イベントを開催した会場の階下には地域の保健相談所がある。そこにはひきこもりの問題を相談しに親御さんなどがよく来るらしい。
チラシが刷り上がったとき、私はそこも訪ね、
「ひきこもりを問題として抱えるご家族にぜひお渡しいただけないか」
と頼んでみた。
しかし、ここもすこぶる塩対応であった。
「区が後援していない催事のチラシは扱えない。ここにチラシを置くこともまかりならぬ」
というのである。
さすがお役人、よけいな仕事は背負いこまない。
こんなわけで、同じ建物のなか、すぐ階上で開催するものであっても、当事者がやるイベントには、私の地域の行政はまたしてもまったく協力してくれなかった。
これが私の住む地域における「地域で支えるひきこもり」の実態である。
ひきこもり支援の濃淡
よく「ひきこもり支援は自治体によって濃淡がある」といわれる。
それはそうだろう。
お役所という所もしょせん人間の集まりだから、ひきこもり問題という一つの分野を採っても、やる気のある職員とやる気のない職員がいるのは当たり前だと思う。
それぞれの職員が行政という組織のどのポジションにいるかによって、その自治体全体のひきこもり支援へのやる気の濃淡が決まってくるのではないか。
たとえば、いくら末端の職員にやる気があってもトップにやる気がなければ、やる気のある職員の動きはつぶされるだろうし、逆にトップにやる気があっても末端がやる気なければ、実際に組織として動かないだろう。そのへんは人間力学が複雑に絡み合って決まるだろう。
だから、これは「行政」という漠然とした人間の集合体を批判してもしょうがないのである。
また、
「自治体によって濃淡があるのは、ひきこもり支援に関して法的根拠となる法律がないからだ」
などという人々がいるが、これは甚だ疑問である。いくら新しい法律を作っても、現場でそれを運用するのは人間であるし、運用しようと思えばすでに使える法律はあるからだ。
具体的に、たとえば上に述べた推薦状の件であれば、どう考えられるか。
福祉課には前の課長が残した記録があった。そこまでは事実である。
この事実を、
「たしかに記録はありましたが、それは前の課長が書いたものなので、今年度の私たちがあなた方を存じ上げているわけではありません。だからお断りします」
と使うか、それとも
「なるほど、前の課長が記録を残しておりました。では、それに基づいて私たちの方で推薦状を書かせていただきます」
と使うかは、電話に出た職員やその側にいたであろう上司の胸三寸で決まったのである。けっして
「ひきこもり支援をしなければならないとする法律がないからお断りします」
ということではなかった。
逆にいえば、もしもひきこもり支援を行政に義務化する法律を作ったところで、その法律が、
「ひきこもり支援のためには、知らない団体に関しても行政は求められれば推薦状を書かなくてはならない」
などという規定を入れるわけはないので、やはり同じ結果となるだろう。
このように、私は「地域で支えるひきこもり」という概念に初めからやみくもに反対しているのではなく、私なりに行政とのやりとりの実体験を経て現在の知見に至っているという次第である。
・・・「地域で支えるひきこもり」を考える 第10回へつづく
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
詳細情報 : https://lit.link/vosot
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