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桜の醜さ

文:喜久井伸哉

 

昔、ある学者が、「植物の性器なんか見て、なにが楽しんでしょうね」と言い放った。
花見、のことだ。
信じがたい発想。
だが、学問的な客観性を極めると、花を「植物の性器」と言っても、間違いではない、のか。

春の、桜の咲く季節がやって来た。
この国で、桜ほど特別な花もない。
美しさを愛でられ、和歌に詠まれ、満開の花の下では、大勢の人々が、どんちゃん騒ぎを繰り広げる。

とはいえ、その美しさやめでたさは、本当に、疑いようのないものなのか。
桜には時として、冷厳な目も向けられてきた。
精神科医の中井久夫は、その一人だ。
「桜は何の象徴か」という、短いエッセイがある。
中井氏は、花見客のいない、ある名園の桜に驚く。
色の濃い花びらがたわわに群がり、濃厚かつ優雅なたたずまいが、見事な艶を見せていた。
何より、開花した花に持久力があり、長いあいだ散らなかった。
なぜかと問えば、それは、特別な理由ではなかった。
品種が良いわけではない。水に恵まれた土地で、大量に肥料をやり、手入れを怠らないからだ、と言う。

そのように、天地の利と人の努力と世のゆたかさ、ゆとりのあるときには、桜の花はけっして散りいそがない。

と、感慨深く眺める。

一方で、大勢の人々が集う、公園や並木道の桜は、どうか。
「いさぎよく散る桜」、「見ごろが二、三日」という咲き方だ。
中井氏は、これは桜からすれば、とんでもない誤解ではないか、と言う。
日本原種の桜は、山あいのくぼ地に、ひっそりと一本だけで咲く、優美なものだ。
人々のなかで、盛大に咲き、騒々しく散っていくものではない。
中井氏は、栄養の良くないところに群がって咲く桜を、日本の象徴にすべきではない、と説く。

その理由は、桜がめったに庭木に用いられないところにも、表れている。
桜の木は、季節の移り変わりのなかで、実を落としながら、ある種の毒を発生させるため、他の植物を枯らしてしまう。
桜の覆いかぶさる枝の傘の下には、他の草木が育たなくなる。

(言われてみれば、桜の木のまわりには、別種の植物が目立たない。花見の時にシートが敷きやすいのは、整地されている以外の理由があったのか。)

この、わずかに苔だけが生える樹の下の暗い地表は、桜の実の腐りつぶれた残骸とおびただしい毛虫が被り尽くして、人が嫌い寄りつかない場所となってしまう。ただ、花見どきは、人が集まって下で無礼講を開く。それだけである。

では、枝を切り、毒を発する実が落ちないようにすれば良いのかというと、そうでもない。
枝を切るととたんに弱ってしまい、木がダメになってしまうためだ。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という教えは、植木育てにとって、初歩中の初歩だと言う。

散り際の花吹雪は、日本的な美の象徴だ。
だが、その光景を美しい、と思うばかりでは、見逃してしまうものがある。

桜が、『放っておくと図に乗って縄張りをひろげ、その傘の下にあるものを枯らし、汚いものを降らせ、さりとて伸びるのを阻むといじけて哀れっぽく特殊事情を訴える』という象徴にもなりかねないことを時々思い出す必要があるかもしれない。

人々が見上げる桜の下の、靴やシートの下敷きになった地中には、育つことができずに、失われてしまった無数の命がある。
花見の時に、うつむいて地面に目をやる人も、少しはいてほしい、と思う。

 

桜、と明示しないまでも、花が散る光景に、残酷さを見出す人もいる。
一人は中国の、韓永男というベテランの詩人だ。
牧歌的な作風が多いが、「桜吹雪」という詩には、例外的に敵意がこもっている。
以下は、その全文。

花吹雪が
美しい?

あんなに散らかって降る
花吹雪が その深紅の花の血が
君の目には 美しく見える?

花々の肉体が壊れ
花々の血が飛び散って
花々の死体が
積もって 溢れて 降っているのに!

花吹雪が
美しい?

あの 花びら 葉っぱが命なのに
命が あんなふうに 消えていくのに
それが そんなに 美しいのか?

けしからん!
ちくしょう!! 

最終連はもう、詩情を壊すような悪態だ。
だが桜への嫌悪を表すのは、何も詩人ばかりではない。

戦時中には、花が散る姿を、命が散っていく姿と重ね合わせた例が、よく見られた。
その象徴が、今も消えない人々がいる。
雑誌『暮らしの手帖』(2024年8‐9月号)に、「14歳の平和のバトン 戦争を語り継ぐために」という記事があった。
そこでは高齢の女性が、絶対に花見には行きたくない、と語っている。
掲載時に「99歳」とあるので、今は100歳になっているかもしれない。

戦争は常に若者の命をあてにします。日中戦争をきっかけに国家総動員法が制定され、太平洋戦争が始まると軍国主義がどんどん強まっていきました。「日本人は一億一心で、憎むべき敵である鬼畜米英を壊滅するべし」と刷り込まれていったのです。男子は戦いで死ぬことが本懐とされ、「桜のように潔く散れ」と言われて……。私は今でも、桜を見るのが嫌。この近くでは春になると桜祭りがあって、みんな浮かれて出かけて行くけれど、私は絶対に行きません。「桜のように」と言われて殺された人たちのことを思い出し、どうしても抵抗があるんです。

春のめでたさに、桜のあでやかさのもと、花見の楽しさ、となれば、羽目をはずすのも、やむを得ない。
しかし、多くの人が陽気に騒ぎやすいところにも、それだけではない、陰のような暗喩がひそんでいる。

おそらく世の中にも、大勢の人が良いと思う、「花見」のようなものがある。
人によっては、それが「万博」や「オリンピック」かもしれない。

さらに言うなら、みんなが友達だと言わんばかりの「学校」であったり、生涯を共に過ごすと誓う「結婚」であったり、親子の絆などと言われる「家族」であったりも、するかもしれない。

世の中の多くの人にとって、喜びのある、華やかで、美しいものが、自分一人だけには、とてもそのようには、感じられないことがある。春の陽光のなかで、一人うつむいてしまう、そのようなものがある。

 

 

 

 引用文献
『中井久夫集3 1987-1991 世界における牽引と徴候』 みすず書房、2017年
『韓永男詩集』 土曜美術社出版販売、2024年
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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。 ブログ
https://kikui-y.hatenablog.com/

 

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