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親離れの詩がここにある。谷川俊太郎「これが私の優しさです」論

(文・写真 喜久井ヤシン)f:id:kikui_y:20180210210645j:plain

 

「谷川俊太郎展」を観て

 先日、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「谷川俊太郎展」(※1)に行ってきた。(新宿駅での乗り換えに迷い、あきらめそうになったけれど、人ごみを越えて行くことができた。)谷川俊太郎さんは、詩集「二十億光年の孤独」でデビューして以来、六十年以上にわたって活躍してきた大詩人だ。詩作以外でも、「鉄腕アトム」主題歌の作詞や、「ピーナッツ」の翻訳の仕事など、ユーモアのある幅広い言葉を届けてきた。展示内容は、絵本の「ことばあそびうた」の世界を音楽で表現したものがあったり、ゆかりの品のコレクションがあったりと、小規模ながら親しみの湧くものだった。難しくなりがちな現代詩のジャンルでも、谷川俊太郎さんの手にかかればひょうひょうとした趣が生まれる。やさしい言葉づかいで深いことを伝える書き手で、私はいくつも好きな作品がある。

 ただ、これまでに読んだ中で最も強く印象に残っているのは、気軽に読めて面白いという作品ではない。むしろ、どう受け止めていいのかわからないような、動揺と困惑を与えられた作品にある。私にとっての重大な詩は、「これが私の優しさです」という、短い一編だ。

谷川俊太郎の綴った「優しさ」の意味


    これが私の優しさです

  窓の外の若葉について考えていいですか
  そのむこうの青空について考えても?
  永遠と虚無について考えていいですか 
  あなたが死にかけているときに

  あなたが死にかけているときに
  あなたについて考えないでいいですか
  あなたから遠く遠くはなれて
  生きている恋人のことを考えても

  それがあなたを考えることにつながる
  とそう信じてもいいですか 
  それほど強くなっていいですか
  あなたのおかげで


 初めてこの詩を読んだ時には、理解のできなさと激突して脳がしびれるような感覚になった。
 詩を読解するなら、「あなた」をどうとるかが肝になるけれど、私は母親のこととして解釈した。そうして読むと、この詩に出てくる「私」は、母親が「死にかけているとき」だというのに、一心に思ったり、神さまに願ったりしない。それどころか「考えないでいいですか」と間のぬけたことを云(い)う。親孝行の道徳が念頭にあるなら、こんなにラフな言い回しはありえない。
 しかも、「考えない」なら「優しさ」だとは思えないのに、「これが私の優しさです」と宣言している。通常の「優しさ」とは矛盾している。
 「優しさ」という言葉をひもとくなら、語源に「痩(や)す」という言葉がある。これは身が痩せ細るほどの思いを表すもので、現代の「優しさ」よりもっと身体的な意味を持っていた。詩の中の「私」は、母親に対して身をやつすほどの思いは全然もっていない。「窓の外の若葉」や「生きている恋人」についても、深刻に思い悩むわけではない。この「私」は少なくとも、古来の意味での「痩さしさ」がない。それでも、私は個人的な母との関係性を思い返した上で、ここには「優しさ」があると思う。

 

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「谷川俊太郎展」の展示風景

母と私の「考える」ことの意味


 私は幼少期から、母親との仲が悪かった。母からすれば、私が小学校や中学校へ行かず、他の子とのつきあいを断(た)ったことが原因だったろう。母の思い通りにはいかない子供だった。成績を上げて良い学校へ行き、友達と健康に過ごすこと。なれるものなら、自分のため以上に親のためにそうしたかった。通学ができなかった分、私は母の顔色をうかがうことに必死でいて、母の方も、社会に適合できない子供はものを考える力がなく、親に従う他ないとみなしていた節がある。

自分がどう思うかよりも、母がどう思うかが、十代の私の選択の仕方だった。高校への進学について話した時、母は「あなたが決めなさい」と口先で言ったけれど、結局はすべて母が取り仕切り、私の意見なく進学先まで決まった。私はいつのまにか自分が感じていることやしたいことがわからなくなって、その影響もあり、十七歳頃から精神疾患に苦しみもした。

自分をゴミクズのように扱ってでも、母の望みに対処しようとしたけれど、体も心も壊れてしまって、うまくいかなかった。私は今でも、自分の感情なんてどうでもいいと思えるくらいに、母に対して最大限の「痩さしさ」を持っている。(「ひきこもりはやさしい人たちだ」と言った評論家がいるけれど、自分を傷つけるくらいの「痩さしい人たち」は多いかもしれない。)母も私も、お互いのことを考えてきたはずだったけれど、関係は改善しなかった。


 もう一つ言葉の由来のことを出すと、「考える」の語源に「かむかう」がある。評論家の小林秀雄等の説明によると、「考える」はもともと「むかえる」という言葉だった。詳細は省くけれど、「かむかう」は「彼(か)」方へと「身(む)」「交(か)う」ものと解釈できる(※2)。「考える」とはかつて、単に頭を使う知的な働きではなく、物と親身に交わる経験のことだった。外にあるものを頭で「考える」のではなく、物を自分の内に「むかえる」ところに、「考える」の源流となる「かむかう」がある。

 この「かむかう」ことの言葉を使うなら、母と私はお互いのことを「考える」ことはしても、「かむかう」ことがなかったのだと思う。お互いにむかいあい、むかいいれることはできなかった。相手のことを「考える」のだとしても、君主と奴隷のような絶対的な立場関係では、「かむかう」ことにはならないだろう。本当の意味で「かむかう」ためには、心の健康な人が、抑圧なしに他の何かとむきあうことがいると思われる。

 

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母親に対する静かな宣言

 
  あなたが死にかけているときに 
  あなたについて考えないでいいですか

 この詩の「私」は、母親のことを「考えない」で、「若葉」や「恋人」に気が散る。この「私」は自然を感じる情緒があって、愛する人との大事な関係をつむぎ、自分なりの生活を立てているのだろう。自立していて、成熟した人のように思われる。もし母親が子供に対して自立や成熟を望んでいるのだとしたら、その望みは「考えない」ことによって叶っている。「私」が母親のことを思いわずらい、一挙手一投足に反応して「痩さしく」なるような人間なら、それは精神的な自立が達成できていないことになるためだ。「私」が「考えない」ことは、母親に翻弄されないほどの自立や、人間的な成熟をした証明と言える。
 もし私が病床の母を目の前にしたら、こんなふうではいられない。AC(アダルトチルドレン)の依存関係というか、主従関係というか、愛憎のこもった思いで混乱するはずだ。母の様態を落ち着いて「むかえる」ような、「かむかう」ことはできない。

  それがあなたを考えることにつながる
  とそう信じてもいいですか

 依存的な母子関係を「考えない」ことが、成熟した人間として「あなた」と「かむかう」ことにつながる。

  それほど強くなっていいですか

 個人の内で、親孝行などの世間体に左右されないくらいに、「それほど強く」自立している。そしてそれは何よりも、

  あなたのおかげで

 母親のおかげなのだ。この詩は根底的には母親への賛歌だと思う。
 「あなたのことを考えない」「私」は、母親に対して痩さしくない。けれどそれが「あなた」とかむかうことにつながる。そして、

  これが私の優しさです

 「子供」と「母親」ではない。「あなた」の願いを叶えた、一人の優しい「私」として。シンプルな言葉で綴られた詩が、静かな宣言文にたどりつく。

 私はいまだに、母の望みどおりにならなかった自分を責めて、自己嫌悪して、痩さしく悩み続けている。同世代と比較したり、世間体を気にしたりして、個人として「強く」あれない。自分にとっても人にとっても、私はこの詩の伝える「優しさ」からはほど遠い。
 それでもいつか母との葛藤のさなかに、この詩は自分の感情を抑圧せずにいるための手助けをくれるだろうと思う。母親のために人生のすべてを尽くして苦しまなくてもいい。非道な親不孝者としてでない、感情をもった一人の人間として、私はおそるおそる言葉をたぐり寄せる。これが私の優しさです、と。

 

※1 谷川俊太郎展
期 間: 2018年1月13日[土]─ 3月25日[日]
会 場:東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh205/ 


※2 小林秀雄は本居宣長の説を引き、「かんがえる」の語源である「かんがふ」について解説している。

『彼の説によれば、「かんがふ」とは「かむかふ」の音便で、もともと、むかへるという言葉なのである。「かれとこれとを、比校へて思ひめぐらす意」と解する。それなら、私が物を考へる基本的な形では、「私」と「者」とが「あひむかふ」といふ意味にならう。「むかふ」の「む」は「身」であり、「かふ」は「交ふ」であると解していゝなら、考へるとは、物に對する單に知的な働きではなく、物と親身に交はる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういふ經驗をいふ。』(小林秀雄『小林秀雄全集第十二巻 考へるヒント』新潮社 2001年 287p)


参考文献 谷川俊太郎『自選谷川俊太郎詩集』岩波文庫 2013

 

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