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【男の生きづらさ】高度経済成長は「母」に何をもたらしたか ~母と息子の関係の負の側面~

画:ぼそっと池井多 with Image Creator + Adobe Photoshop

文・まさと

編集・ぼそっと池井多

母の変容

昭和のヒット歌謡に『おふくろさん』(*1)という歌があります。この曲に歌われる母親像には、日本が経済成長の途上にあった、物質的に欠乏していた時代の母というものが浮かび上がっています。

 

*1 森進一『おふくろさん』歌詞
https://www.uta-net.com/song/1051/

 

身を粉にして家事育児をし、家計をやりくりし、息子の将来のために犠牲になるのを厭わなかった母親が多かったのではないかと思われます。その頃は母というものは、どうやら感謝し賛美するのが常識だったようです。

私は団塊ジュニアの世代ですが、私は日本が近代化を終えてから生まれました。

私が育ったのは、便利な家電はほぼ全国の家庭に行き渡り、円高によって輸入食材でも肉でも魚でも毎日食卓に上がるのが困難を伴わなくなっていた時代でした。その頃の専業主婦は、もう食費のやりくりに悩まなくてもよく、家事労働も家電製品によって大幅に軽減されていました。

そこで余った時間とエネルギーをどこに向けたかというと、教育虐待が多かったのではないでしょうか。近代化し物質的に豊かになると、母親というものは毒性を帯びるのかもしれません。

そこで、これから私の母-息子関係を正直に棚卸しをして、一般論に広げて、私なりに出した結論と現在の生活を述べてみようと思います。

 

家族史をさかのぼる

私の母は、まもなく終戦をむかえる8月に生まれました。焼け野原で食糧難の横浜で、祖父母はかなりの重荷を背負っていたのではないかと思います。

祖父は明治生まれで、国立大学を卒業させてもらえる階層だったのですが、宮大工になった変わり者です。それが戦後の混乱期に手に職があるということで、生活が再建できたようです。

母の兄弟は、兄の長男と妹二人です。祖父母の娘たちに対する教育方針は、就職に定評のある中高一貫の女子校に進学させて堅い職種の会社に就職させ、いい会社で手堅い男と社内結婚させて専業主婦にする、というものだったようです。

 

『ヨイトマケの唄』(*2)では、立身出世の象徴はエンジニアになっています。

 

*2. 美輪明宏『ヨイトマケの唄』歌詞
https://www.uta-net.com/song/11342/

 

昔の日本は国をあげてモノ作りと輸出で近代化に邁進していました。一番優秀な学生は製造業にいく時代だったようです。

しかし母はおそらく発達障害をもっているのではないかと思える人間なので就職に苦労しました。そして経済成長に邁進している時代には「遊び人が働く会社」と蔑まれていたと聞く出版業に行くことになりました。

その中堅の出版社には、夜学に通っていた父がアルバイトしていました。父は欲のない人なので、卒業後そのままそこに就職しました。

出版業は儲かっていたようですが、オーナー企業だったので、従業員には利益が還元されていなかったようです。そこで労働組合を結成し、オーナーを追い出して給与水準を上げたのが母だったそうで、これは母の武勇伝となっています。

母は組合活動で大卒者の青臭い議論などに憧れを抱き、子どもは絶対大学に進学させようと思ったようです。同時に給料が上がり、
「アッパーミドル階級とはがなんて心地いいのだろう」
とも思い、アッパーミドルの再生産のためにはまず学歴とも思ったのではないでしょうか。

専業主婦は世間から厳しい目で見られ、子どもがグレたりすると、「子育てもできないなんて」と主婦失格の烙印を捺されたとのことです。

 

遊べないストレスをかかえこむ

おそらく両親の喫煙が原因なのですが、私は小児喘息をもち体が虚弱でした。そこで無理やり水泳をやらされました。

私は気が弱く動物とか女子と遊ぶのを好む子どもだったので、いかつい水泳インストラクターは怖かったし、真冬の雪の日などは憂鬱で仕方がありませんでした。

でも水泳を始めたために食が太くなって元気になりました。

ベートーベンの伝記を読み聞かせされたときに、私が、
「音楽をやりたい」
とうっかり言ってしまったらエレクトーン教室に通うはめになり、もはや「やめたい」といってもやめさせてもらえなくなりました。

中学受験を意識していないのに、小4からは進学塾に入れられました。地域の少年野球もやりました。こうして私は遊べないストレスを抱え込み、学校では問題行動ばかりおこしていました。

異性を意識する年齢になり、カッコつけたくなる思春期に進学塾に入れられ、カッコつけるために勉強に邁進しました。母の教育虐待を全て受け入れてしまい、私がよく行くひ老会(*3)でしばしば話題になる、「自分がない問題」に早くから苦しみました。

そのため、
「とにかく大学に行って実存的な苦しみと向き合おう」
と考えました。

 

*3. ひ老会:長期高齢化したひきこもり当事者と関係者を主な対象とした当事者会。人生に関わる深い話題が多く出るのが当事者会としての特徴。正式名称「ひきこもりと老いを考える会」
https://hikipla.com/groups/57

 

そのうちに受験勉強ノイローゼになって、不登校になる一歩手前まで行きました。メンタルがぶっ壊れる寸前だったのですが、大学に入学できて、ひきこもりになる危機は脱しました。大学では聖書研究会に入り、哲学書を読み、異文化体験を重ねました。

でも企業戦士として邁進できる人間になれませんでした。就職した会社に適応できず、統合失調症になって、社会から落伍しました。

 

母という害悪

もし私が企業戦士として能力が発揮でき、家庭を築いて親から独立できていたら、おそらく後年になっても教育虐待と言って母を貶めなかったのかもしれません。

その後は長らく統合失調症の陰性症状に苦しめられ、アルバイトもしんどくて仕方がなく、お金がないので実家に寄生していました。

私が受験勉強ノイローゼになったり統合失調症になったりしたのは、母にも原因があったと思います。顔を合わせると母は私に否定的な言葉を浴びせました。「医者に処方された薬を飲むな」などと言い、統合失調症という病気を理解する気もさらさらなさそうでした。

私は母を避けるために、昼夜が逆転してしまいました。このため社会復帰がどんどん遠退きました。

八方塞がりのとき、市にニート支援のオフィスができました。そこに逃げられるので、ちゃんと朝起きるようになり、そこの指導で職業訓練校に行き、針の筵の家から逃げ、障害者雇用の仕事に就けました。

障害者年金を申請したら、障害認定日から5年以上経っていたので、時効にならない5年分の年金が振り込まれ、職場の同僚と飲みに行ったりするお金に不自由することがなくなり、ひきこもりで苦しんでいた反動で、結構遊びました。

なんとか生きていけそうな目処がたっても、母が私に浴びせる悪口や非難はやみません。

私は「自分がない問題」に向き合いましたが、母は人生でそれをしてきませんでした。母は自分で苦しむべきときには何かに依存してごまかしてきた人間です。母は子どもの頃からいい男を捕まえる目標を立て、思考が薄っぺらいので、大学という所に妄想を抱いてしまうのだと思います。

そういう人間には、実在がありません。なのに「自分が偉い」と思い上がりたい。そこで他人をいじめて優位に立つ。それで自分に価値があると誤った認識をするのです。

母は近所の人たちにも威張り散らして、地区の鼻つまみになっていました。あとは父方の祖母を悪しざまに罵ったり、ちょっとでも気に入らないと父を人格攻撃していました。それに対して父はもう諦めの境地に達していました。

やがて父が死ぬと、母の攻撃の対象は私になりました。建設的な批判ならまだいいのですが、母の罵詈雑言は自分が威張りたいだけの、いわば悪口のための悪口なので、聞いているだけで不毛です。

父はコロナで医療が逼迫していた時期にガンで死にました。父のターミナル医療を担ってくれた中核病院の主治医と私が密にコミュニケーションをとり、介護保険の申請を行なったり病院の系列の訪問看護をお願いしたりして、父を医療難民にすることなく安らかに看取ることができました。

その苦労を母は全く理解しません。いまの時代、母の介護やお金の問題をしっかり話し合って戦略を立てておかないと、今度は母が医療難民や介護難民になることでしょう。

ところが、母は私が言うことにことごとく腹が立つらしく、何か言えばすぐここぞとばかりに罵詈雑言を垂れ流します。母はそもそもろくに勉強しなかったので、日本語の理解力に問題があります。

8050問題をこじらせると親子共倒れです。最悪の事態を避けるため、私は母と同居している家から出て、独り県営住宅に入居することにしました。戸籍も離脱する手続きをし、無意味な悪性ストレスから解放されることを選びました。すると毎日が本当に素晴らしくなりました。

画:ぼそっと池井多 with Stable Diffusion 1.5

教育虐待の有害性

これから一般論に広げようと思います。まずは母親による教育虐待の有害性を述べてみたいと思います。

 

マイケル・サンデルの著書(*4)に書いてあるのですが、最難関大学のハーバード大学の受験を突破した学生は、過剰飲酒の問題を抱えるケースが多いそうです。

また上野千鶴子が対談で述べていたのですが、日本の学生の自殺数の多い大学は東大と京大だそうです。上野千鶴子は東大教授時代に多くのメンヘラ学生のケアにあたったと述べています。

これらの話から推測されるのは、過剰な教育虐待を受けて一流大学に進学すると、子どもはアルコール依存症や精神疾患や、最悪の場合は自殺するような人間になってしまうということです。

理解のない夫が原因で妻が体調を悪くするのを夫源病と言うそうですが、母親が原因で子どもが精神疾患になる母源病が蔓延しているのではないでしょうか。

 

ハーバード大学の調査で、言葉の暴力は肉体的暴力よりも子どもに有害であると証明されました。(*5)

私の母は、私の幼稚園時代から姑に対する罵詈雑言を私に垂れ流し、私に悪口雑言を喋り散らしてストレスを解消していました。これは悪質極まりない虐待です。こういうことが虐待として最も有害だとハーバード大学が証明してくれました。他にも母源病はバリエーション豊かなのではないでしょうか。

 

「これは教育虐待だ」
と言うと、母親は、
「これはあなたのためよ」
と偉そうに答えます。

本当に子どものためでしょうか。子どもが良い成績を採ればママ友カーストで上位に行けるとか、親戚に見栄を張れるとか、何らかの意味で自分の利益があるからやっているだけなのではないでしょうか。

 

ここで思い出すのは、漫画で読んだ世界の歴史で、イギリス統治下のインドで鉄道建設の強制労働をさせているシーンです。馬上でムチを持った華美なイギリス将校が、腰巻きだけのインド人人夫に、
「これはお前らのためにやってやってるんだ」
とほざいています。
実際はインドの豊かな物資をイギリスに輸送するためにインドに鉄道網を建設し、現地のインド人に強制労働をさせていたのです。

母ー息子関係は、宗主国と植民地の関係に似ています。インドは独立後、自分達のために鉄道を使って世界有数の鉄道大国になりましたが。

 

結論に移ろうとおもいます。

歌謡曲『おふくろさん』に描かれる、
「息子は母に無条件で賛美と感謝を示すものだ」
という母親観は現代でも根強い社会的圧力となって働いています。
しかし、ここまで論考してきたように、近代化の後は母親の負の側面が暴走する時代になりました。

おそらく団塊ジュニアが団塊の世代と同等の終身雇用と住宅ローンと教育費に不自由しない所得が得られ独立できたら、負の側面は問題にならなかったかもしれません。しかし受験地獄を突破しても就職できず、実家に経済的余裕がなければホームレスか所在不明になる人間が多く発生しているというのが団塊ジュニアの現実です。

母親に支配されて、自分の頭で考えられなくされてしまった同世代は、人生に絶望しています。戦争を望む論考を発表する同世代人もいます。

「団塊ジュニアは母親の負の側面をもろに浴びた世代だ」という共通認識をもち、同じ轍を踏まないように健全な育児をしなければ、このさき日本は滅びます。

母との同居は私にも母にも有害極まりない、と認識した私は、その後県営住宅で独り暮らしをしています。

県営住宅に入居するための書類の申請や事務手続きは複雑でした。しかし私には幸いにも役所に対応するコミュニケーション能力や行動力が身に付いていました。

 

今回のテーマは負の側面でしたが、正の側面もあります。
私は安心してバランスの良い食事と平和な睡眠を与えられ、学費は全額負担してもらいました。企業戦士にはなれませんでしたが、生き抜く上で有利な能力が身に付けられたのは、両親がアッパーミドルの生活をさせてくれたからです。

そこを認識しなければ、愚かなクレーマーと変わりありません。そこで私は完全に母を遮断するのではなく、正月には日本酒を持って実家に帰りました。いろいろなおせちを食べさせてもらいました。母はしおらしく、
「いつでも帰ってきていいのよ」
と言い、悪口らしきことは一切口にしませんでした。

 

私の後頭部は、左側が突起してて容量が多いようです。論理を司る左脳で私の思考は男性脳そのもので、情緒的な女性に嫌悪感をもつ傾向があります。今回は母親の負の側面を顕示するのが目的でしたが、息子も自省する必要もあると思っています。

 

*4. マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』2020年

*5. 「言葉の暴力は肉体的暴力よりも子どもに有害である」
https://gentosha-go.com/articles/-/25218/1000

 

(了)

 

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