(文・湊 うさみん)
ひきこもりやニートになると友達が減りませんか。私の場合はだいぶ減ってしまいました。
別にその友だちが「まともに働けないダメ人間と一緒にいるとこっちまで精神が腐ってしまう」といった理由で離れたわけではありません。向こうは普通に自然体のまま接してくれました。差別的なことをしない、とっても気のいい人たちでした。
でもね、一緒にいて苦しいです。
自分がニートであるという現実が重くのしかかってきて、劣等感を覚えてしまうんです。「自分はこの人たちと比べて劣っている。だから一緒にいるべきではない」と考えるようになってしまうんです。
友人たちは大企業に勤めてるとか年収1000万円とか輝かしい人ではありません。一般人に属していて普通の仕事をしており、完全に庶民です。
でも、ダメでした。
釣り合いが取れていない?
自分で自分の生活費を稼いでいるか。つまり自立できているかいないかの差がどうしても大きく感じられ、自分は最底辺だから、普通ラインにいるこの人たちとは関わってはいけない。
被害妄想だとはわかっています。こういった考えを友だち達に言っても「そんなこと気にしなくてもいいのに」と返ってくるでしょう。
確かにそう。でも、根がネガティブなせいで気にしないようにしても気にしてしまうんです。
そうして、その友だち達とは自然に関りがなくなっていき、やがて消滅してしまう。
劣等感の塊のニートになってから、何人の友達を手放してしまったことでしょうか。ちょっと仲が良いくらいの友達も含めると、20人はいますね。
同じ境遇の友達をつくるのもあり?
それなら同じ境遇の人と仲良くなればいいじゃん、と思います。
実際、ひきこもりニートの人と会ったことはあるんですが、表面上はごく普通だと感じました。外見だけで判断すると課長クラスのサラリーマンぽかったりベンチャー企業の偉い人ぽかったり。
人間の最底辺に位置しているという妄想に毒されている私にしてみると、そういう人と仲良くしてもいいんだろうか?などと考えてしまいます。
まあ私も外見はそれなりに着飾っているので、向こうも同じことを思っているのかもしれませんが。
私にとってのひきこもりのイメージって、髪の切ってないから長髪で、すごい猫背で、ぼそぼそとしゃべって、部屋の隅で体育座りしてるような人なんです。自分がひきこもりのくせに、そのイメージはないだろうって感じですけど。
そういう人たちとは同類の匂いを感じ取って仲良くできる気がするんです。けどそんな人いませんね。ひきこもりたちも見た目は普通な人が多かったと感じました。
でも、友達を作ると面倒な人間関係も発生してしまうので、どっかのアニメみたいに愛と勇気だけが友達とか、サッカーボールが友達とか、無機物や概念を友達にしてもいいんじゃないのかなと思い始めています。
執筆者 湊うさみん
20代でドロップアウトして自殺未遂。ニート歴10年以上のエリートニートになっちゃいました。