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〈戸塚ヨットスクール事件〉って何? 今あらためてふり返ってみる

今回は、戸塚ヨットスクール事件と、暴力的支援団体が起こした死亡事件をふり返る。ひきこもりに対する暴力的な対応はなぜ起こるのか。過去と向き合うことで、あらためて見えてくるものがあるかもしれない。

 

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(文・写真 喜久井ヤシン)

 

「こらあーッ! 見えないと思って、ズルけるんじゃないッ!」
 屈強な身体つきのコーチが、少年の太ももを力いっぱい蹴りあげる。ヒイーッと悲鳴をあげて泣き崩れる少年。だが、コーチは手をゆるめない。
 「こいつッ、泣けば許されると思ってるのかあッ!」
 再び、太ももがいやというほど蹴りあげられる。
 火のついたように泣き叫ぶ少年。
 「オイッ、顔見せてみろ。涙なんか出ていないじゃないかッ。ごまかすんじゃないッ!」
 今度は胸ぐらに鉄拳が打ち込まれる。
 グウォッとうなって、少年は倒れた。
 まわりの子供たちはその凄じさに怯えきって、懸命に腕立て伏せを続けている。だが、身体のなまりきっている子供たちのなかに、この訓練を無事乗りきる者は一人もいない。一人、また一人と崩れる子供たち。その身体をコーチたちの足蹴りと鉄拳が情け容赦なく見舞う。子供たちの泣き声と悲鳴は、さながら阿鼻叫喚の図である。
( 『スパルタの海』)

   (『スパルタの海』は戸塚ヨットスクールのルポ本。「日常風景」として描写されている。)


 私は先日、愛知県美浜町にある戸塚ヨットスクールに行った。取材ではなく、たんに戸塚ヨットスクール前の知多湾まで行き、海に花束を投げ入れてきただけだ。むなしい一人旅だった。

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   (旅については、また後日記事をアップしたいと思う。)


戸塚ヨットスクールは、80年代に社会問題となった団体だ。
「訓練生」の中から、これまでに2人の暴行死と、1人の「病死」と、3人の「自殺」と、2人の「行方不明」者が出ている。
行方不明者を含めれば、計8人が死亡している。

   (今回の記事を書き上げたあとで読み返したところ、自分の文章の硬さにびっくりした。内容ゆえにシリアスになるのは当然かもしれないが、必要以上に重くすることはない。ある種の緩衝材として、青字のメモ書きをはさんでいこうと思う。わずらわしければ読み飛ばしてほしい。)


主な事件をまとめると、以下のようになる。

1979年2月 13歳の少年が暴行後に死亡(病死として不起訴)。

1980年11月 21歳の大学浪人生が海に投げ込まれるなどの暴行により死亡。

1982年8月 15歳の高校生二人が、奄美大島の夏合宿から帰る途中、訓練から逃れるため海に飛び込み行方不明。

1982年12月 13歳が竹刀で殴られるなどの暴行により死亡。

4年足らずのうちに、5人の若者が亡くなっている。
事件はメディアに大きく取り上げられ、「教育か体罰か」の論争は社会問題となった。

   (というか、事件前のメディアは戸塚氏を称揚し、「奇跡」とか「救世主」とかいっていた。それが事件後は手のひらを返して大バッシングに変わった、というのがおおまかな流れといえる。)

1983年5~6月 戸塚宏氏と12人のコーチ全員を傷害致死や監禁致死などの容疑で逮捕。

1997年3月 戸塚宏氏に懲役6年、コーチ3人に懲役2年6か月から3年6か月の実刑判決。

上告により裁判が長引き、戸塚宏氏が収監されたのは、判決から18年後の2002年だった。名古屋拘置所で勾留されていた3年余りの期間を刑期から引かれたため、刑務所にいたのは約4年となる。

   (ちなみに先日のニュースだが、目黒区での「結愛(ゆあ)ちゃん」虐待事件は、父親に懲役13年の判決がくだっている。事件によってだいぶ差があるものだ。)

2006年4月、戸塚宏が静岡刑務所を出所。

戸塚ヨットスクールは事件後も運営されている。

出所後は「体罰」をしていないということだが、多数の「自殺」者が出ている。

2006年10月 25歳男性が「事故死」もしくは「自殺」により死亡。

2009年10月 18歳女性が戸塚ヨットスクールの寮から飛び降り。「自殺」により死亡。

2012年1月 21歳男性が戸塚ヨットスクールの寮から飛び降り。「自殺」により死亡。

東海テレビ取材班による『戸塚ヨットスクールは、いま』(岩波書店 2011年)などによれば、上記の他にも自殺未遂、失踪、行方不明、別団体による保護など、生死に関わる問題が起きている。

   (ここだけ取り出すのはアンフェアだろうか?「自殺」者は元々自殺願望があったという見方もできるし、訓練生はこれまでに何百人もいて、戸塚氏に感謝しているという人もいれば、「スクールのおかげで救われた」と証言する親もいる。多数の死者が出ているのは事実だが、支持者が尽きないというのも事実だ。

 倫理学の設問で、「9人を救うために、1人を犠牲にしてもよいかどうか」といったものがある。戸塚ヨットのような団体も、「多くの人が救われるのだから、少数の犠牲者が出ることはやむをえない」という考え方がありえるのかもしれない。しかし戸塚ヨットは死者と「行方不明者」と「自殺者」が多すぎ、倫理学の設問とするにはアンバランスだと思われる。

 

今年で79歳の戸塚校長は、スクールの運営とともに、テレビ出演や講演会などの活動を続けている。

   (なんて精力的なんだろう。戸塚ヨットを支援している石原慎太郎氏もそうだが、ここだけ見ると「高齢者が元気な国」といえるだろう。)

 

過去の暴力的支援団体の事件

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「不登校」や「ひきこもり」の若者の死亡事件を起こしてきたのは、戸塚ヨットだけではない。メディアで大きくとりあげられた暴力的支援団体の事件としては、以下のケースがある。

1987年 不動塾での暴行による死亡事件

1991年 風の子学園での監禁等による死亡事件

2005年 長田塾での監禁事件

2006年 アイ・メンタルスクールでの死亡事件

2016年 ワンステップスクールでの監禁事件

これら一つ一つの事件の影には、激しい暴行や監禁により、心身に一生消えることのない傷を負った人々がいる。また、上記以外にも暴行、拉致、監禁などの事件は起きており、今後も発生する可能性がある。

   (あと、当事者を施設に連れて行き、たいしたケアもないのに何百万円もの手数料を親に要求するという問題も起きている。ある経験者は、団体への告訴を計画中だという。個人的には即勝訴だろうと思ってしまうのだが、現実的には、裁判で勝つのは難しいという。)

 

メディアが事件を生んでいる?

ある当事者は、暴力的支援団体が生まれる理由を、「メディアが視聴者を煽るせいだ」と言う。「ひきこもりが劇的に回復した」などといった過剰な演出で、視聴者を騙しているという主張だ。

たしかにそのような面もあるだろうが、私はメディアよりも、視聴者が先に立っているように思う。「親」の側の過敏な反応が、暴力的支援を肯定するような番組を生み出す源ではないか。

   (このへんは特に硬い文章を書いてしまった。もっと読みやすい書き方だってできたはずなのに。)

 

上之郷利昭による『スパルタの海』(東京新聞出版局 1982年)には、戸塚ヨットスクールが有名となった経緯が紹介されている。

戸塚ヨットは、元々「子どもたちにヨットの楽しさを教えたい」という戸塚氏の希望から、76年に「戸塚ジュニアヨットスクール」として開校した。

当初は「体罰」もなかったというが、あるとき「登校拒否」の子がスクールに参加。
スクールの卒業後、「登校拒否」が劇的に「治った」という取材記事が新聞に載った。
「登校拒否」の子を持つ親たちがその報道に反応し、スクールに我が子を入校させるようになる。
そこから「情緒障害児」を改善するスクールとして知られるようになり、テレビ報道などで脚光を浴びた。
戸塚氏は「体罰」を肯定する教育論を主張するようになり、「教育か体罰か」の議論がメディアで白熱することとなる。

   (ちなみに映画版『スパルタの海』のキャッチコピーは、「暴力か!体罰か!」だった。どっちもダメではないだろうか。)

 

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暴力的支援に頼る親は、子供のことを過剰に心配し、狭まった思考で悩んでいるように思う。
『スパルタの海』で、戸塚氏は子供をスクールに入れるかどうかを悩む親に対し、以下のような言葉を投げかけている。

『あなたは先に死んでしまうからいいかもしれない。しかし、立ち直れないままで残された子供に対して、あなたはどうやって責任をとるんですか。いま、好かれなくとも、将来感謝される道を、なぜ選ばないんです。いまのあなたの甘さ、優しさを、子供は将来、きっとうらむんです。わかりませんか?』

    (たしかに親にとっては、「待ちましょう」というよりも、はるかにぐっとくる言葉だと思う。)

 

『スパルタの海』に登場する何組かの親たちは、子供に対して威圧的な態度をとる人々ではない。社会になじめない子供のことを案じ、うろたえ、苦痛を感じている。
子供の将来を「かわいそう」と思う「親心」が過剰な心理を生み、暴力的支援に傾倒させてしまっているように思う。

 

これらの問題を考えるうえで、芹沢俊介氏の『「存在論的ひきこもり」論』は重要な本だ。

   (私は超名著だと思っている。オススメ。)

そこでは「治療」や強制的な「ひきだし」のような、「ひきこもり産業」が成立する条件が複数挙げられている。
その第一には、『引きこもることに対し、「あってはならないこと」という反応として現れる社会の否定的まなざしの存在』があるという。

私としても、「ひきこもり」を否定的に見る社会が、親の過剰な「心配」をもたらし、暴力的支援団体を発生させているように思う。

大手メディアが制作する番組や、持論を実践する「教育者」も問題だが、私はむしろ身近な一人一人が恐ろしい。テレビ局や雑誌社ではなく、家の中や街角にいる人たちの「まなざし」が、私を殺しうるものを作り出している。日常にひそむ、小さな否定的な意識こそが、暴力的支援団体の淵源ではないか。

   (格好つけた締め方をしてしまった。「淵源(えんげん)」ではなく「生み出す原因」でいいし。)

 


   参照

上之郷利昭 『スパルタの海』 東京新聞出版局 1982年 
   (事件後に出版されているのだが、戸塚ヨットに対して肯定的に書かれている。目次からして「鉄拳が舞う朝の浜辺」「情緒障害児と海」「現代社会が生む“心のガン”」といったもので、なかなか壮観だ。これの映画版がけっこうよくできており、説得力を感じてしまった。ただ死亡事件の経緯などは、遺族の証言とかなり違っている。)

戸塚宏 『本能の力』 新潮社 2007年

東海テレビ取材班 『戸塚ヨットスクールは、いま』 岩波書店 2011年

東海テレビ 『平成ジレンマ』 公式ホームページ http://www.heiseidilemma.jp/
   (予告編映像の冒頭に、コーチが「訓練生」を蹴り飛ばす場面が出ている。暴力的な表現が苦手な人はご注意を。)

芹沢俊介 『「存在論的ひきこもり」論』 雲母書房 2010年

 

 

 

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 執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。8歳からホームスクーラー(「不登校」)となり、ほぼ学校へ通わずに育った。約10年の「ひきこもり」を経験。20代の頃は、シューレ大学(NPO)で評論家の芹沢俊介氏に師事した。現在『不登校新聞』の「子ども若者編集部」メンバー。共著に『今こそ語ろう、それぞれのひきこもり』、著書に『詩集 ぼくはまなざしで自分を研いだ』がある。
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui

 

 

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