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どうやってうつ状態を克服していったのか 〜日常の些細なことに幸せをみいだす練習〜

どうやってうつ状態を克服していったのか

日常の些細なことに幸せをみいだす練習

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書き手 : 葉

うつ状態の時

うつ状態の時、本当に酷い時は動けなかったり満足に起きれなかったりしていましたが、抗うつ剤を飲むようになっても感情はあまり改善せず、多少小説見たいな例えをすると「世界から色が無くなった」かのような感覚を覚えてました。

別にうつの人でなくても「楽しいことなんかないかな〜」と言っていることがあります。

その人は今の状況が楽しくないからもっと楽しいことがないかなーなどというのかも知れませんが、私は楽しいことなど本当にあるんだろうか、という気持ちでした。

客観的には世界の有り様は何も変わってないのですが、自分の感じ方や認識の仕方が、つまらないものだったのです。

壁にぶち当たる

うつからの回復も長くなっていくと壁にぶち当たります。なにかをがんばってみてもある程度以上回復しない状態になってきます。

ここでどういう事がブレイクスルーになるのかは人によるのだと思いますし、こんなことがうつから立ち直るきっかけになったよ!というのは教えて貰えたら嬉しいのですが、私の場合「良かったこと探し」をするようにしています。それもすごく細かい些細なことが「よかった」ことだと思うようにしています。

子供の頃にどうろの白線の上だけ歩けたら勝ち、みたいなやつに近いのかもしれませんが、もうすこしは広範です。

自分のやっていることを意識する

自分の場合起きる時間も決まってなければ、寝る時間も規則正しくしようとしてもまちまちだったのですが、起きている時にも漫然としていました。

そこでまず自分が何をしているのかを意識する練習をしました。

ちなみにここで昔ひきポスの石崎編集長が語っていた「自分を否定も肯定もしないで受け入れる練習」というのもやっていた気がします。
この自分を否定しない練習というのは「こんなダメな俺スゲー」という様な肯定するのではなく、ただ自分はこうなんだな、と良くもなく悪くもなく受け止めるというものです。
悪くもなく受け止めるのが最初は難しいので、私の場合は、悪いと言ってもそんなに悪いものでもない、と言うくらいに思えるようにしていく感じでした。

それまで、自分の悪い習慣ばかりを責めていました。
たとえば夜遅くまで起きてしまった、とか、もう4日も風呂に入ってない、とか、カップ麺しか食ってないとか。
悪いことばかり考えるけど実際に「良い」に繋がる行動はできていませんでした。(本を読んだとか筋トレができたとか)
いい事だとか悪いことをしてるとかで言えば、悪いことばかりを意識していました。

そこでそもそもいいことも悪いことも無い、という観点にたって、自分のしていることをできるだけ意識していくところから始めました。

ルーチンを見つけ出す

その中から欠かさずやっていることがだんだん意識されていきました。
Amazonのプライムビデオたくさんみてるな、とか
音楽はSoundCloud(サウンドクラウド)で聞くな、とか
買い物はどこそこのスーパーばかり使うな、とか、朝日が綺麗だった、とかです。

そうしたい、とか、したかった、ではなくて実際に自分がどういうことをしたのか、という事実の中から選んでいきます。

ルーチンの中から際立っている特徴をみつける

そうなってくると、今日はプライムビデオで見た動画は面白かった方だ、とか
今日はやたら気に入った曲がSoundCloudで見つかった、とか
スーパーマーケット行く途中に猫を見かけたとか

そういうルーチンの中の例外や際立った部分が見つかっていくことになります。

それを仮に「良かったこと」として心の中でラベルを貼っておきます。
ノートなどに書き出してみてもいいでしょう

こうして、良かったことが積み重なっていることに気がつくことができます。

そうすると、こんなに良かったことがあったのか、と逆に驚いたりもしたこともあります。

ルーチンから外れてみる

そして時にはあまりに同じ繰り返しになっていて、それがつまらない気がするならそれを変えてみるということをします。

これも些細なことで、ちょっとコーヒーを飲むようにするとか、トイレにはいる時には「うひょ」と言う、みたいな事でもいいですし、見たことないものを見に散歩に出かける位できればまさに最上等です。本を読むのにわざわざ安い喫茶店に出かけてみたりとか。ポッドキャストを聴きながら歩いてみるとか。

楽しいという感覚が思い出せるようになってきたのはその頃からでした。

今も気分が意味もなくおちこむ時があります。
自分には発展性がない、とか、社会の中ではやっていけないと、他人や世間の基準と比べておちこんだりします。

その時、自分自身のなかにある自分自身の基準「よかったこと」を思い出すことにしています。
この場合に良かったことが、それをなぜ良いと思ったのかということは、自分が決めたことだからです。

この繰り返しがいわゆるポジティブシンキングの練習にもなった気がしますが、別にネガティブなのも自分自身の特性でもあるし、そんな自分だったのも長い目で見ると悪いことではなかったのかもしれない…

いまも生活は続いています。
これでおしまい、というものでもないので、日々は続いていきます。

(了)