(Photo by Pixabay)
わずかのことがわれわれを悲しませるので、
わずかのことがわれわれを慰める。
(パスカル)
部屋のすみにほこりが溜まっていくように、
体のあちこちにも、すぐに疲れが溜まってしまう。
大そうじをするみたいに、疲れをいっぺんに取り払えればよいけれど、
なかなかそうできるものではない。
まいにちの暮らしのなかで、自分の体のためのわずかな気づかいを、
つづけていくことが大事なのだと思う。
今回は、体と心のための〈ささやかな配慮〉のいくつかを紹介する。
あらためて意識してみることで、発見できるものもあるかもしれない。
目薬をさす
スマホに、パソコンに、テレビに。起きているあいだじゅう、目はずっと使いっぱなしになっている。
一番使っている部位かもしれないけれど、案外意識してケアをすることは少ない。
忘れてしまうことも多いけれど、私はせめて日に一二度、目薬をさすようにしている。
青竹踏みを置いておく
100円ショップで買ったものを部屋のすみに置き、ときどき思い出しては使う。
足ツボの書かれたタイプと、簡素にカーブしているだけのタイプを持っている。
どちらもプラスチック製なので、「青竹」ではないけれど。
眼鏡拭きを丁寧におこなう
レンズを水で濡らし、やや厚手の眼鏡拭き用の布でゆっくりとぬぐう。
このゆっくりさを極めれば、もしかしたら瞑想的な時間にまで高められるのかもしれない
……とも思うけれど、たぶん私にできることはないだろう。
たまには肩たたき棒を使う
肩だけでなく、背中や腰、ふとももにも使う。
叩かなくとも、突起のところを、ぐりぐりと押しつけるだけでも、おそらく良い効果がある。
通販サイトを見ると、高価な電動器具があるけれど、私にはたぶん、そこまでは不要。
まくら選びをあきらめない
人生の三分の一は、眠りでできている。
人がもっともよく使う道具は、布団と枕かもしれず、余力があればこだわりたい。
いくつか持っているものの、いまだに最高のものには、出会えていない気がする。
下着を買い替える
そうそう人から見られるものでもない、下着。
ずっと同じものを履いていて、困ることもないけれど、たまに意識して買い替えると、気分が変わる。
(男性には、睾丸をしめつけすぎないタイプをオススメする。デパートでふんどしが売られているのは、理由がわかる気がする。)
部屋で植物を育てる
花は咲かなくていい。綺麗でなくていい。目立たなくていい。
ただ部屋のすみに在るだけで、少しだけ気分が変わる。
私の家では十年ほど、ポトスが葉を伸びのびとさせている。
あまり日当たりや水やりを気にしなくてよい種類があるので、それらを選ぶと、長生きしてくれる。
金属製の耳かきを使う
100円ショップで見つけられる、小さな買い物。
金属製の方が、木製よりも使いごこちが爽快だった。
耳かきのやりすぎは良くないという話もあるので、ほどほどに。
爪やすりを丁寧にかける
爪切りは定期的に使うのに、ずっと安物を使ってきた。
困るわけではないけれど、ほんの少しだけ爪切りにこだわって、良い道具を選びたい。
ほんの短い時間の買い物が、一生物との付き合いになるかもしれないし。
やや無理をしてでも風呂に入る
風呂は、すごく面倒くさいときがあるし、人と会う予定がなければ、入る動機がなくなってしまう。
けれど、「体をキレイにするため」に入るのではない。
「自分自身に配慮するための時間」だと思って、やや無理をしてでも、入るようにしている。
思い立ったら銭湯へ行く
人前で裸になるという、少しだけ非日常の経験。
熱い湯に長い時間つかっていると、嫌なことを忘れられる。
サウナやマッサージ機も利用するのも良いし、たくさんの漫画が読める銭湯もある。
普段は買わない惣菜を選ぶ
まだ知らない味覚があるかもしれず、思い出したときには、普段は見ないスーパーの棚を見て、あまり食べたことのないものにも手を伸ばしてみる。
「月に一度、旬のものを意識して食べよう」と決めたこともあったが、すぐに挫折してしまった。
その他……
「毎日、一日に3分だけ」みたいなことをしようとしない
「一日たったの3分だけ」、「一日に〇〇を一回だけ」……なんてことは、私にはできない。
わずかなことを毎日の習慣にするためには、すごくエネルギーがいる。
結果、「できなかった」経験を増やしているようで、なんだか全体的には、逆効果になっているように思う。
うまくあきらめることも、大事だ。
おわりに
多くの人は、気にかけもせずに、あたりまえのこととして、自分自身への配慮をしながら、過ごしているのかもしれない。
けれど、私には苦しいことが多く、ささいな物事が、体と心に大変さを生み出している。
意識して、がんばって、自分を助けながらでないと、生活していくことができない。
私は、自分自身へのささやかな配慮をたくさんすることで、せめてわずかずつでも、暮らしを耐えやすいものにしていけたらと思っている。
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執筆者 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年生まれ。8歳から学校へ行かなくなり、20代半ばまで断続的な「ひきこもり」を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター喜久井ヤシン 詩集『ぼくはまなざしで自分を研いだ』2/24発表 (@ShinyaKikui) | Twitter
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