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【1000文字小説】卵から産まれてきた僕は温めてくれた〈保温機〉まで愛さないといけないだろうか

 

 ひきこもり経験者による、約1000文字のショートショートをお届けします。〈生きづらさ〉から生まれた、小さな世界をお楽しみください。

 

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青木克雄 / 僕らの産まれる前Ⅱ



   保温機

 

ある時、女が保温機を産んだ。

保温機は、産まれてすぐにヴンヴンと稼働した。

「使い勝手のいい元気な保温機ですよ!」と助産師は女に叫んだ。

 

保温機の外側がふかれ、戸棚のそばに設置されると、しばらくして「解除可能」のランプがともった。

助産師が保温機の扉を開くと、大きめの卵が一つ見つかった。

その卵から生まれた赤ん坊は、施設で大切に育てられることになる。

 

赤ん坊が成長して、ひとり働いて暮らしているのが、今の僕だ。

 

――――――――――――――――――――

 

昔いた施設から、「保温機を処分する」という連絡が届いたのは、僕が34歳のときだ。

保温機のことなど、とっくの昔に忘れていたし、今さら捨てられるのを見に行ったところで、何の感慨もわかないはずだった。

仕事は忙しい時期だったものの、偶然休みになっていた日が、処分する日と重なっていた。

僕は深く考えず、気まぐれのように出かけてしまった。

 

十数年ぶりにたずねた施設は、奇妙なほど昔と変わっていない。

懐かしい施設長への挨拶もそこそこに、僕は物置のような一室に案内された。

 

使う人のいない北部屋で、ひっそりと窓際に置かれていたのが、かつて僕を温めていたことのある機械だった。

見た目はきれいなものだったが、さすがに34年前の、古さを感じさせる製品だ。 

思いのほか小さく、扉の開閉部など、ひっぱれば取れてしまいそうなほど弱々しい。

保温機は、僕の卵以外、何も産まなかったという。

僕の卵を温めるためだけに存在し、そして、捨てられていくのだ。

 

すぐ横の机には、箱の中に白い破片が入れられていた。

はじめはわからなかったが、施設長によれば、それは僕が生まれたときの卵なのだった。

「持ち帰りますか?」と聞かれたが、僕は断った。

 

少しは「再会」を味わおうと思い、保温機のスイッチを入れると、稼働音が起き、小さなランプがついた。

古い記憶をよびさます、わずかな温度と静音だ。

指先を側面にはわせると、ほのかなぬくもりが感じられる。

保温機のなかが、ゆっくりと熱せられていくのがわかる。

僕と保温機との、静かな時間が過ぎていった。

しかし2、3分もすると、力なく電源が落ちた。

もう使い物にならないのだ。

 

「回収業者がやってきました。運び出しても、よろしいですか」と施設長がたずねる。

僕に迷う理由はなく、「どうぞ」と答える。

 

しばらくすると、作業着姿の処理業者がやってきて、保温機は手際よく運び出された。

 

施設の玄関脇に止めてあるトラックに載せられ、保温機はその他の製品と一緒くたにされた。

処理業者が、「それでは、失礼します」と、やけに丁寧に言うので、僕は「ありがとうございます」と頭をさげた。

回収のトラックが走り出し、保温機を載せた荷台は、あっというまに遠ざかっていく。

 

その日が、僕と保温機との、再会の日であり、別れの日だった。それだけのことだった。

いまでも僕は、自分に悔やむほどの過去があるのだとは思わないようにしている。

 



 

 

   END

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絵 青木克雄(あおき かつお)

 

文 喜久井ヤシン(きくい やしん)
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui

 

※物語はフィクションです。実在の人物・出来事とは無関係です。



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