文・ぼそっと池井多
被害者が泣き寝入りしなくていいように
「いじめられたほうが泣き寝入りして、他の学校へ移っていった。不公平だった。でも、これからはそうでなくなることを期待するよ」
そう語るのは、高校でいじめ被害に遭ったフランスのひきこもり当事者オギュスト(33)。筆者とは、ひきこもりの或るネットワークでつながっている。
彼は他の生徒たちに嫉みを買い、最初に入った高校でいじめに遭い、やむなく転校した。すると今度は、途中から入ってきた転校生ということで次の高校でもいじめに遭った。すっかり他者が恐ろしくなった彼は外へ出られなくなり、不登校からひきこもりに移行して15年が過ぎている。
「もし15年前に、今度の法律がフランスで施行されていたら、ぼくの人生はずいぶん違うものになっていたかも」
この9月からフランスでは学校でのいじめが厳罰化された。
日本でも報道されたので、ご存じの方も多いだろう。
しかし、ここには少し補足が必要である。
日本と同じように、フランスでもいじめは長いこと学校のタブーとされ、存在しないことにされていた。しかし「もう隠すことはできない」という臨界点を迎える事件が2011年に起こった。
フランス北部の町に住んでいた少年、ジョナタン・デスタンは10歳のころからいじめられ、加害者たちに毎日のように金品を巻き上げられていた。16歳になった時、いじめ加害グループは彼の頭に拳銃を押し当ててこう言った。
「明日の朝までに100ユーロ用意しろ。用意しなかったらお前の家族を殺してやる」
ジョナタンは他に解決方法が思いつかず、ガソリンをかぶって焼身自殺を図った。
奇跡的に一命を取り留めたが、身体の表面積の72%に3度の火傷を負い、3か月のあいだ昏睡状態がつづいた。ようやく意識は回復したものの、もう歩くことも手足を動かすこともできなくなっていた。
大がかかりな皮膚移植と整形手術が行なわれ、以後5か月間の入院で受けた手術は17回。術後は辛いリハビリが続いた。日常の動作を取り戻すまでに2年の月日を費やした。
しかし、ジョナタン・デスタンの事件をきっかけに、多くのいじめが社会で行なわれている実態が暴き出された。
フランスの国民教育省の統計調査をおこなう部署であるDEPPが、2015年にフランス全国を対象に調査したところ、約70万人の児童生徒がいじめに遭っていることがわかった。これはフランス全土の児童生徒の約10%にあたる。
日本のいじめ被害者の数は全部の児童生徒の約3%といわれている。あくまでも認知された数なので、まだ知られていないいじめが多数埋もれていると考えられるが、それにしてもこの数字からフランスでもいかに多くのいじめが行なわれているかがわかる。
そこでフランスはいじめの被害者が転校しなくてもいいように、加害者を転校させる制度をつくった。けれども、それが実行できるのは、いじめの被害者が加害者の転校を要請した場合だけだった。
いじめの加害者と被害者のあいだには力関係の上下がある。そのため、被害者が加害者を恐れて転校を要請できないことが多かった。
そこで2021年に新しい法案が提出され、2022年3月に行なわれたフランス刑法の改正によって、いじめ被害者の要請がなくても、校長と自治体の首長の判断で加害者を強制的に転校させられるようになった(*1)。
詳細はこのような内容だ。
2022年3月2日付法律第2022-299号では、まず「学校におけるハラスメント」 (harcèlement scolaire) という刑法上の犯罪概念が新設された。ざっくりいえば、「いじめ罪」というものが新しくできたのである。
その定義は「一人以上の生徒・学生・職員による一人の生徒・学生へのいじめ行為 (faits de harcèlement moral commis à l’encontre d’un élève) 」というものだ。
この法律によっていじめと認められると、いじめ加害者は以下の刑罰に処せられる。(*2)
「いじめ罪」のない日本
日本ではいじめの加害者の扱いに関する法律としてどのようなものがあるだろうか。
じつは「いじめ罪」にあたる概念が、まだ日本の法律にはない。被害者の身体に攻撃が行われた場合には、暴行罪・傷害罪・監禁罪・強要罪といった刑法ですでに規定されている犯罪が成立するが、SNSによる拡散などによるいじめは、現行の刑法に規定された罪だけでは立件できない場合がある。
しかし、いじめに関する法律としては、いちおう「いじめ防止対策推進法」というものがある。
制定のきっかけになったのが、2011年に滋賀県大津市で起こった事件だった。
公立中学校でいじめが発生し、被害者の男子生徒が自殺した。クラス担任は自殺した生徒から相談を受けていたが、学校側は、
「あれはいじめでなく喧嘩である」
として介入を避けていた。被害者が自殺してからも学校と教育委員会は、
「自殺の原因は学校のいじめではなく家庭環境」
と説明し、在校生徒にはメディアからの取材を避けるように呼びかけていたのである(*3)。
教育現場におけるいじめの隠蔽は以前から行なわれていたが、この事件で一気に表に噴き出すかたちとなり、2013年4月に国会へ「いじめ防止対策推進法案」が提出された。
自民党・公明党は、保護者には子どもの規範意識の指導が求められることを明記し、自治体や学校には加害生徒に懲戒や出席停止措置を講じるよう求めたが、野党側は「国が家庭教育に介入すべきではない」「厳罰化では解決しない」として協議は難航した。また、社民党・共産党は教育現場の意見が十分に反映されていないとして反対した。
このような曲折を経て制定されたいじめ防止対策推進法には、学校や行政が積極的にいじめに関与して被害者を助け出す条項がいくつか盛り込まれた。典型的なのが第8条である(*4)。
(学校及び学校の教職員の責務)
第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切かつ迅速にこれに対処する責務を有する。
また第23条では第1項から第6項にわたり、いじめの被害者が安全に学校に出席できるように学校側が積極的な措置を取るべきと定めている。
法律を作っても機能しない
ところが、いじめ防止対策推進法ができて日本からいじめがなくなったかというと、そんなことはまったくない。
2019年4月、北海道旭川市の中学校でいじめが発生し、被害者となった女子中学生が川に飛びこみ、警察が出動した。加害者たちはスマートフォンを初期化するなどして証拠の隠滅を図ったが、警察はこれを復元した(*5)。
しかし、加害者たちはいずれも14歳に満たなかったり、証拠不十分だったりしたため、警察から厳重注意などで処分が留まっていた。
いっぽう被害者の女子中学生は2019年9月に引っ越し、それからもPTSDを発症してひきこもり生活を送るようになり、その後2021年3月23日、零下17度の夜に公園で凍死しているのが発見された。
このようにいじめ被害者が亡くなったあと、2022年9月に第三者委員会が取りまとめた調査結果によると、被害者が川に飛びこんだ2019年6月の時点で学校側が積極的な対応を取るべきであったとし、旭川市教育委員会の対応も怠慢であったと指摘した。
さらに今年5月、福岡市の高校2年生の女子生徒(16)がいじめ被害の遺書を残して自殺した。
遺族は学校にいじめがあったかどうかの調査を要望したが、学校側は生徒たちをカウンセリングした末に6月22日に「いじめはなかった」と結論し、遺族に面会してそう伝えたという。
遺族は「娘が書き残した遺書の内容にしっかり向かい合ってほしい」と訴えているが、私立である学校側は、
「これ以上できることはない。調査をしてもたぶん同じ結論にしかならないだろう」
として、詳しい調査をする予定は今のところなさそうである(*6)。
生徒たちのカウンセリングを担当した臨床心理士は、
「被害生徒の遺書の内容をそのまま鵜呑みにはできない」
などと述べているようだが、もしそれを言うならば、加害生徒たちがカウンセリングで言ったことも鵜呑みにはできないのではないだろうか。
このように日本では、すでにいじめ防止対策推進法という法律が存在しているにもかかわらず、いじめが起こった現場で被害者を救うために効力を発揮できているとは言い難い部分がある。
また、フランスの新法では、「いじめ罪」というべき概念を規定したので、上に述べたように明確に懲役や罰金などの処罰を定めているが、日本の「いじめ防止対策推進法」では「適切に」「等(など)」「速やかに」といった文言で、そこは曖昧にぼかしてあるように思われる。条文を見てみよう(*4)。太字部分は筆者による。
第二十五条 校長及び教員は、当該学校に在籍する児童等がいじめを行っている場合であって教育上必要があると認めるときは、学校教育法第十一条の規定に基づき、適切に、当該児童等に対して懲戒を加えるものとする。
第二十六条 市町村の教育委員会は、いじめを行った児童等の保護者に対して学校教育法第三十五条第一項(同法第四十九条において準用する場合を含む。)の規定に基づき当該児童等の出席停止を命ずる等、いじめを受けた児童等その他の児童等が安心して教育を受けられるようにするために必要な措置を速やかに講ずるものとする。
日本では「加害者も被害者」「加害者の人権も大切」といった思考などから、上述の条項がフランスの新法ほど厳しく運用されないこともあるだろう。
「加害者も被害者」という考え方は心理学的には正しくても、これに基づいていては社会的現状の容認につながり対策として実効性に乏しいために、厳罰化という抑圧を導入することでいじめをなくそうというのが、今回のフランスの決断であるといえよう。
さらに、学校の担任教師や校長など教育現場にいじめへの更なる介入を求めることは、それだけ教育現場への負担を増やすことにつながるとして反発も起こっている。
追い詰められる教師たち 韓国の場合
教育現場への負担ということで話題になっているのが韓国である。
韓国では、児童生徒が在校中にいじめ加害などをおこなうと、担任の教師が受験の時に内申書へその事実を記載する。もちろん、そういう記載は生徒にとって受験で不利に働く。
韓国は日本よりもはるかに受験戦争が厳しい国である(*7)。子どもの内申書にいじめの履歴を書かないように、担任教師に圧力をかけてくる親も多いという。
7月下旬、韓国である小学校教師が自殺した。
彼女が担任するクラスでは、ある児童が他の児童に怪我をさせていた。そのことについて、加害児童の親と彼女は夜遅くまで激しい電話やメッセージのやりとりを行なっていた。こうして追い詰められた末に彼女は自殺してしまったと思われる。(*8)
韓国では教師がいじめに介入すると、加害者の親から児童虐待罪で訴えられることがある。
2014年に韓国で成立した児童福祉法によると、教師がいじめ加害者の暴力を制止しただけでも、親から虐待とされてしまう可能性がある。先生が生徒を「いじめはいけませんよ」と口頭で注意しただけでも「感情的虐待」とされうるのだ。
こうした非難を受ければ、教師は即座に停職となるかもしれない。停職は教職にある者にとって致命的な前歴だ。へたをすると二度と教壇に立てなくなる。
いっぽう、生徒にとっていじめ加害の前歴は、後々まで生徒の人生に響く。
こうして、生徒の将来と教師の将来が
今回のフランスのいじめ厳罰化も教育現場への負担増という意味では、いまだ未知数の部分がある。
学校、行政、被害生徒、被害生徒の家庭、加害生徒、加害生徒の家庭という六角形を結ぶステークホルダーがどのようにいじめを公正に処理できるのか、これからも模索が続いていくことだろう。
(了)
<註>
*1. 次の記事によくまとめられている。
安部 雅延「フランス、いじめ厳罰化「加害者を転校させる」背景」
東洋経済オンライン 2023.09.05
https://toyokeizai.net/articles/-/699347
*2. e-enfance : Lutte contre le harcèlement Scolaire - Prévention harcèlement:
https://e-enfance.org/informer/harcelement-scolaire/
罰金の金額のあとに( )で付けられた金額は、 報道のあった2023年9月5日時点の為替レートで日本円で概算したもの。
*3. 大津市中2いじめ自殺事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/大津市中2いじめ自殺事件
*4. いじめ防止対策推進法
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=425AC1000000071_20221001_503AC0000000027
*5. 旭川女子中学生いじめ凍死事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/旭川女子中学生いじめ凍死事件
*6. 遺書でいじめ被害を訴え高校2年生が自殺
学校「重大事態」認定せず、「法令違反と言われればその通り」
西日本新聞 2023.09.15
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1126840/
*7. 【世界のひきこもり】お隣の国 韓国のひきこもり事情
第2回 なぜ厳しい受験社会となったのか
https://www.hikipos.info/entry/2021/08/12/070000
*8. Teacher suicide exposes parent bullying in S Korea
BBC News 2023.09.04 By Jean Mackenzie
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくなっている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
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