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地元の精神科で友人と再会した時の話

(文・南 しらせ)

 

番号

「76番さん、どうぞ」

私の隣に座っていた中年男性が椅子から勢いよく立ち上がる。院長先生が待つ診察室の前に向かうと、がらっとスライド式の扉を開いて、前傾姿勢で中へと入っていく。

「78番さん、80番さん、83番さん」

今私が通っているのは、地方の小さな精神科だ。患者の呼び出しの際には、名前ではなく番号を使っている。患者のプライバシー保護のためだろうが、番号で呼ばれることはあまり気分のよいものではない。でも本当は、本名で呼ばれることもほとんどない自分の現状を指摘されているようで、どきっとしたのかもしれない。

手首に巻いた黒色のプラスチックの番号札を見つめる。今日の私の番号は86番。番号は覚えたはずなのに、毎回数字を呼ばれるとその度に自分の札を確認してしまう。

診察予定時刻から30分を過ぎても、まだ自分の番が呼ばれない。あと何人くらいいるんだろうと、私は周囲をぐるりと見まわした。私の一列前に座っている患者の横顔をちらっと見た時に、「あっ、この人見覚えがあるな」と感じた。その人は、学生時代の友人だった。

 

突然の再会

かつての友人と精神科で再会する。それは一言で言うと、とても気まずい。別にお互い悪いことは何もしていないのだが、なんともいえない息苦しさや居心地の悪さを覚えるのだ。

私はその友人との記憶を遡り始める。小学校から高校卒業まで十年ほどの付き合いになるから、顔を見間違えるわけがない。地元で働いているとは聞いていたが、まさかこんなところで会うなんてと自分の運命を呪った。

向こうもこちらの視線に気づいたようだった。前方から流れるテレビの音はもう耳に入らない。背中から変な汗が流れているのが分かる。この感覚を私は知っている。もう忘れたはずだったのに。

昔の知り合いに出会うと、私はいくつになっても、あの学校のあの教室に呼び戻される。中学で不登校になった後、一度学校に戻った時に感じたぎこちない教室の雰囲気。クラスメイトの目。授業中に先生が張り上げる声だけが不自然なくらいに明るくて、吐き気がした。

最終的に診察室に残ったのは、私たち二人だった。

「83番さん、どうぞ」

友人がすっと立ち上がって、こちらを振り返る。私はずっと俯いていたから、友人の表情は何も分からなかった。友人が診察室に入ると、ガンッという音とともに勢いよくスライド式の扉が閉じられた。

私は天を仰いで、大きく息を吐いた。あの頃から何も変わっていない自分が悔しかった。

 

登場人物を増やす

その後の主治医との診察は上の空だった。さっき待合室で友人と再会しましたなんて、言えるわけがなかった。

診察を終えて待合室に戻ると、友人の姿はもうなかった。会計を待つ間に私は、友人が卒業後に歩んだ人生や抱えている悩みについて考えてみた。生身の人間に思いを巡らせるという行為が久しぶりすぎて、なんだか変な感じがした。

そうだった。私はいつも自分のことで手一杯で、周りの人たちのことを気にかけてこなかった。長年そんな生活を続けていくうち、自分の人生に私以外の登場人物が誰もいないと感じてもいた。だから友人との再会は私にとって、頭をぶんなぐられたような衝撃だったのだ。

受付で会計をする時に、手首に巻いていた番号札を返した。その時にふと私は、自分の世界に「私」以外の誰かを増やさないといけないと思った。家族にせよ、友人にせよ、誰かの人生に思いを馳せて、それを自分の中に引き寄せる努力をしないと、自分の世界はこれからも停滞したままだ。

番号札の代わりに、受付の人が私に診察券を返してくれた。診察券にははっきりと自分の名前が記されている。そしてこの世界には私以外にもたくさんの人が生きていて、先ほどの友人や待合室にいた人たちもただの番号ではない。それぞれに名前があり、人生があり、様々な思いを抱えている人間なのだ。

病院を出る時に私は「登場人物を増やさないと」ともう一度強く思った。(了)

 

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執筆者 南 しらせ

自閉スペクトラム症などが原因で、子ども時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。B型作業所は現在利用停止中。