ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

不登校もひきこもりも、自分で選んだ人生ではありませんでした

 

私は、自分で選んでいないものによって批判されてきた。

「不登校」がそうだった。「ひきこもり」がそうだった。「ゲイ」がそうだった。

どれも自分では選んでいないが、私は「不登校」として育ち、「ひきこもり」として過ごし、「ゲイ」として生きてきた。

リベラルな考えの人は、よく少数派の人(マイノリティ)の「意志」を重んじ、個人の「選択」を尊重してくれる。
そのため、フリースクールに行くことを認め、フルタイムで働く以外の生き方を許容し、同性と結婚することも支持してくれやすい。

だが私は「不登校」になりたいわけではなかった。
「ひきこもり」を選んだわけではなかったし、「ゲイ」になりたいわけではなかった。
人生にかかわることであっても、はっきりした「意志」をもって、自分らしい「選択」をしたのではなかった。

 

若い世代では、「親ガチャ」という俗語が使われるようになっている。
(「ガチャ」はスマホのアプリゲームでよく使われているシステム。くじを引くようなもので、運しだいということだ。)
子供は、親や家庭環境を自分で選ぶことができない。
「親ガチャ」は、努力や意志の力ではどうにもならず、生まれつき決まっていることはくつがえせない、という、あけすけな諦念を示している。

「選ぶ」といえば、仏教に「四苦」の教えがある。
四つの「苦」といわれるのは、「生老病死」のことだ。
「四苦」を文字通りに受け取ると、「生きること、老いること、病むこと、死ぬことは苦しみだ」という意味になる。
しかし、ルーツとなるインドの言葉だと、ニュアンスが違うらしい。
元来の「苦」とは、「自分自身で選ぶことができないもの」という含意があるという。
つまり「生老病死」の「四苦」は、「生まれること、老いること、病むこと、死ぬことは、自分自身では選べない」という、極めて平凡な事実を言っている。
さすがはお釈迦様の言葉で、「親ガチャ」どころではない。
人間、すべては「ガチャ」ということだ。

 



良い学校に行き、良い就職先を見つけ、良いパートナーと出会うためには、「意志」と「選択」がいるにしても、そこにはどこか、結果論的な評価がないだろうか。
「選択」はそれほど明瞭になされるものではない。

私には、学者同士の対談でつぶやかれた、短い含蓄が腑に落ちる。

『結局のところ、何かに動かされるようにしてしか決めることができないのなら、選ぶとは能動的に何かをするというよりも、ある状態にたどりつき、落ち着くような、なじむような状態で、それは合理的な知性の働きというよりも快適さやなつかしさといった身体感覚に近いのではないか、そして身体感覚である以上、自分ではいかんともしがたい受動的な側面があるのではないか、と。』(宮野真生子,磯野真穂 『急に具合が悪くなる』晶文社 2019年)

不明瞭な言い回し自体に、「選ぶ」ことのあいまいな受動性が表れているように思う。

私は自分の意志で、力強く何かを選んできたわけではなかった。
トランプ遊びで、自分の順番が回ってきたら、必ず手札からカードを出さねばならないルールがあったようなものだ。
自分の手札から一枚を選ぶとき、それが悪手で、自らカードを出すことで負けることが決定するとしても、ゲームを続けるなら、どうしてもカードを出さねばならない。
自らの選択をまずいとわかっていても、他に手の出しようないが以上、敗着を覚悟してカードを選ぶ。
それは自分の「選択」であり「意志」なのだが、実質的には、人生に「打つ手がない」せいだ。

 

にもかかわらず、他人によっては、わざわざ悪手であることを指摘し、あざ笑うような人がいる。
たとえば「自己責任」という悪辣(あくらつ)な言葉を用いて、カードを出した私の「選択」を非難する。
だがそのような人と自分との違いは、たまたまいくつかの手持ちの中に、有用なカードがあったかどうかに過ぎないのではないか。

 

人からは自分の生き方を「選んだ」ように見えるかもしれないが、実際のところ、「意志」を満足に活用できるだけの自由はなかった。
これほどまでにか細い人生で、博打(ばくち)なんてしたくない。

私の人生は、「打つ手がない」状態におかれていた。
そのとき教えてほしかったは、「それは悪手だ」という指導的な非難ではない。
「他にも打つ手がある」という、活路への希望を見出せるだけのアドバイスだ。

 

 

 

 KIKUI Yashin 2022 / Photo by Pixabay
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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。ひきこもり経験者。座右の銘は『汝自らを笑え』。
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui