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漫画『たそがれたかこ』に見る親子関係のふんばり方 わたしが悩んでいるとき親にどう接してほしかったか

 

今回は、2018年の漫画『たそがれたかこ』に注目。「不登校」と「ひきこもり」の経験者が、親子関係の秘訣に迫ります。

 

 

漫画『たそがれたかこ』は、親子関係の苦しさを描いた傑作です。
有名とは言えませんが、私には忘れがたい名作でした。

漫画は雑誌『BE・LOVE』の連載作で、2018年に全10巻で完結しています。
著者の入江喜和は、『のんちゃんのり弁』、『おかめ日和』など、女性が中心の作品を多く描いてきました。

『たそがれたかこ』の主役は、パートをしながら暮らすシングルマザーのたかこ、45歳。
真面目すぎて職場になじめず、更年期に入って理由もなく涙が出てくるという、主人公らしからぬ主人公です。

漫画ではたかこの日常が描かれており、はじめはパッとしない生活がつづられています。
しかし、ラジオをきっかけに若いロックバンドの曲を聞くようになったり、飲み屋のポジティブな飲食店店主に刺激を受けたりして、憂鬱だった毎日が、だんだんと色づいていきます。

 

母親の悩む姿がリアル

特に印象に残ったのは、長女との母子関係です。
娘は「不登校」や拒食症で苦しんでおり、たかこはどう接したらよいかわからず、悩みつづけます。
これは作者の実体験が元になっているといい、相談機関との連携や、進学先の情報の集め方など、リアルな描写がありました。
たかこは予測のつかない長女の変化に翻弄され、どう接したらいいのかわかりません。
離婚した元夫が強引な手段をとろうとしたとき、「やめた方がいい」と思いながらも、それを止めきれない弱さもあります。
考えを尽くして、一度は「これでいいんだ」と思っても、何度もぐらついて悩みます。

おそらく人気の出る作品であれば、もっとメリハリの効いた展開があるでしょう。
問題にははっきりした「原因」と「解決」があり、最後には親子関係がよくなってハッピーエンド、というように。
子どもの悩みに関する本でも、「親が〇〇をすれば解決する」など、まるですべてが簡単に片付くかのような主張があります。
ですが、簡単に解決することなどめったにありません。

 

「わからなさ」をまっとうする

『たそがれたかこ』は、わかりやすさに流されませんでした。
たかこは悩みつづけながらも、さまざまな対応策を講じます。
結果としては、カウンセリングに行ったことや、進学先の情報を探したことが、娘の状況を好転させる一助になりました。

ですがそれをもって、「カウンセリングに行ったのが良かった」「進学先の情報を探したことがよかった」というふうには結論づけられません。
親子関係の悩みに対する、Q&A的な「答え」にはならないのです。
『たそがれたかこ』で際立っていたのは、「どうすればいのかわからない」状況の中で、安易に判断せず、方法を模索しつづける姿勢でした。

たかこは悩みの渦中にあって、選択肢や可能性を確保した上で、結論を下さない状態を維持します。
相談先を探したり、頼れそうな人を見つけたりして、うろたえながら、実際的な手立てを尽くします。

このような態度を示す言葉に、「ネガティブケイパビリティ」があります。
日本語に訳すことが難しいのですが、「不確かさのなかに居続けられる能力」とされ、ケアの分野で用いられています。
解決策を持たずに悩みつづけることは、一般的には特に称賛される存在ではないでしょう。

メディアでは「〇〇をすればよい!」と断言する人の方が目立ちます。
しかしたかこには、悩みつづけていられるだけのネガティブケイパビリティがありました。
私は「不登校」と「ひきこもり」を経験した子どもの一人として、この母親像を積極的に肯定したいと思います。

一つの「解決策」だけでは解決しない

簡単に答えられない物事の一つとして、被災地の復興の話を思い出します。
多大な被害を受けた土地も、月日が経つ中で復興が進んでいきました。
病院が再建され、住民の医療状況もだんだんと改善していきます。

しかし他の地域に比べ、高齢者の死亡率が高いままだったといいます。
医療体制は整っているのに、なぜ死亡率が下がらないのか。
要因としては、緊急時に利用する病院だけではなく、介護やリハビリなどのケアに関する施設が不十分なこと。そして、元々あった交流の場や地域の催事が減ったことで、日常的な健康の維持が難しくなったためと言われています。
ボーリング場のような娯楽施設が再開していなかったため、運動する機会が減っていたのです。
大きな病院が一つあるだけでなく、ケアの周辺にあるものや、普段の活動の場があってこそ、医療的な効力を持つのでしょう。

仮に一つの大きな「解決策」があったとしても、それだけで「問題」を終わりにできるわけではありません。

これは親子関係のQ&A的な理解に対しても、教訓となる部分があるかと思います。
さまざまな手立てを講じて、疑いながらいくつもの手を打っていくことで、結果として、いつか、何かが、どこかで、作用してくる(かもしれない)。
「解決」までの道のりは、あいまいな隘路(あいろ)になるほかないのだと思います。

逆に言えば、あいまいな現実を積極的に持久することこそが、親の手立てだとも言えるのではないでしょうか。
私としては、「答えの出ない複雑さをまっとうすること」こそが、親子関係の最適解だと考えます。
それは結局のところ、世の多くの母親たちがおこなっている対処でもあるはずです。

 

母親こそ自由に生きてほしい

なお『たそがれたかこ』で描かれる母子関係は、物語のごく一部にすぎません。
一筋縄ではいかない人々が登場し、結末に近い箇所では、14歳の少年との関わり方が物議をかもしました。
2018年の『このマンガがすごい』というランキングで第4位に選ばれた作品ですが、ヘヴィーな人間関係を描いているため、万人向けとは言えません。

私にとって本作の核は、生きづらさを抱えた中年女性が、自分の好きなことをやり遂げようとする勇気でした。
それが世間の求める母親像・女性像とは異なっていても、常識的な通念とぶつかっていようとも、自分を貫徹するための強さが描かれていたのです。
そこには決断する勇気と、決断しない勇気がありました。
迷ったうえで、自責も後悔もしながら、それでも自分のやりたいことをやり遂げようとするのです。

母親が自由に生きいきと過ごしていれば、親子関係にも間違いなく良い影響があります。
娘との関係が好転するのも、たかこが落ち込んでいるときではなく、自分の好きなことを始めたときでした。
私は『たそがれたかこ』で描かれた母親象を、全面的に支持します。

 

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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。 ブログ
https://kikui-y.hatenablog.com/entry/2022/09/27/170000

 

 

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